オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

サプライズ

2016-11-10 | Weblog

11/10(木)昨日明らかになった米国の大統領選、これぞサプライズと云うべきでなかろうか・大方の予想がクリントン小母さんと思っていたろうし、サプライズ小父さんよりは理解しやすいと思っていたろうから。これで暫くは混とんとした状況がつづくのではなかろうか?

お隣の韓国の混迷、中華帝国の覇権主義、白熊ロシアの大国復権願望や、南の国の大統領の独自路線と日いずる国を取り巻く状況は俄かに難しくなったように思える。先夜、MATUMOTO大先生と酌み交わし時にこれらの状況を講釈いただいたが、その折はクリントン小母さんが勝つことに立脚していた。

あらためて情勢判断が必要だろうが、小生の如き門外漢、浅慮が働いたところで意味がないか。ここは、政治が長期視点でかじ取りを間違えないように進むことを願うしかない。が、大丈夫かいな?

そんなことを心配するよりも、先ずは弁当のことよ。と、五時前に目覚め蒲団の中で沈思した疑念を振り払ったのである。

余計な心配をしたお蔭で、台所の所定の位置に付いたのは六時になっていた。今日は午後一番の便で帰省するので、早めに会社に出るつもりでいたが。これじゃいつもとおりだ。

今日のメニューは「鶏唐揚げ」と「牛炒め」と、前夜から決めてあった。その分、仕度は早い。唐揚げ序に牛蒡唐揚げも追加。「牛蒡と蓮根のキンピラ」「鯖の文化干し」「卵焼き」がまたたたく間に出来上がった。

                         

残念なことは、今日も一人分の弁当であった。

                                

帰省してのやることは、柚子の収穫と柚子酢搾り。渋柿を剥いて干し柿にすること、従兄のとこの次郎柿の収穫だ。畑の準備もあるが、それまでやる気になるかだな。では、来週の月曜日までお休みをいただきます。サヨナラ・サヨナラ・お元気で

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛スキ弁当と鮎飯の話

2016-11-09 | Weblog

11/9(水) 木枯らしが吹き、江戸の街も寒くなってきた。本格的な冬の到来を思わせる昨日・今日である。出勤途上で見かけた女性はコート姿が目立つ、男性は未だそれほどでもない。

到着駅の階段にうずくまったホームレスは、首をうなだれたままでピクリともしなかった。これからの季節、ねぐらを持たぬ面々にとっては辛い日々となろう。ホームレス、浮浪者・ルンペン、乞食と表現は変わっても実態に変わりは無かろう。自分がそうであったら、秋が始まると南へ、春になると北へ歩こうと常々思ってきた。が、幸か不幸か夜露をしのげるあばら家が在る。

我が住いの在る学芸大学で、台車に荷物を乗せてガード下で憩っている老人らしき姿を長く見ている。以前は近くに在った古本屋にマンガや週刊誌の類を持って入る姿を見かけたが、近頃目にするのはコンビニのゴミ場箱を探る姿である。或る時は、役所の者らしき背広姿の二人連れに、何やら訊かれている姿も見かけた。

この老人らしき姿を見かけると、弁当の一つも差し上げたい気になるが、そんなことは一度もしたことがない。一時の気まぐれは却って失礼になるのでは?と、面倒なだけだが。この老人にみすぼらしさは感じない、例えゴミ箱を漁っていようが・・・・。春も夏も秋も、これからの冬の季節も姿をみてきた。されど、何時まで元気にいられるのか・・・・。朝晩の冷え込みと、木枯らしが吹く時期になるとそんなことを思う。

さて、昨夕は渋谷村で友人のY氏と会うことになっていた。薄暗くなった時刻、YOSHIOとドトールでのコーヒータイムを済ませてから渋谷へ。暫くして携帯が鳴った。何かと思えば、急案件ができたのでキャンセルさせてくれとの連絡だった。泣くこと現役には勝てない。かといって、一人酒も面白くないし、人形町に戻るもしゃくだ・・・・。

かくして、学芸大学に帰ることにした。帰って何をするか?それが問題だ。本を読む!で、甦ったのが”池波正太郎”のエッセイに出ていた「鮎飯」のことだ。池正先生は、埼玉県寄居に在る鉢形城址の取材で宿泊した宿「京亭」で食した鮎飯を激賞していた。この料理宿は、鮎飯で有名なようだ。電車の中で、そのことが浮かんだのだ。

幸いに鮎は、冷凍物ながらも秋鮎の子持ち鮎が有る。鮎開きや鮎寿司がよく作るが、鮎飯或いは、鮎ご飯と云うのは作ったことがない。出汁と鮎で米を炊けばできるだろう・・・。念のためにネットで作り方を見た、、後は応用だ。

19時過ぎに帰宅、出汁を取るために鰹の削り節を買ってのことだ。二合半ほどの新米を、それもHIROKATUが作ったやつを。丸々の秋鮎もHIROKATUが獲ったやつだ。我が地元産の鮎と米で、鮎飯にチャレンジした。昆布と鰹節で出汁をとり、鮎は素焼きした。酒・醤油・塩・味醂を加えて、土釜で炊いた。素焼きした鮎は途中で入れたが・・・。最初から入れてもよかったか?

炊き上りが心配だったが、頃合いだろうと火を止めた。十分ほど蒸らしてから土鍋の蓋を取ると・・・・。醤油味醂でほんのりと焦げ茶色になったご飯の上に、鮎二匹が土鍋の寸法一杯に寝姿よく横たわり、鮎と醤油の匂いが香ばしく漂いのぼってきた。これを写真を撮ってないのだ・・・。

別皿に鮎を一旦取りだして、頭やヒレなどを覘いて釜の中に戻した。それを炊きたてのご飯と混ぜ合わせたのである。ただ、それだけのことだが、これが美味かったネ! 絶品だったとお伝えする。私の料理腕の確かさと?産地良しの鮎と米、これらがあいまった成果であろう・・・。

鮎飯のことは、スタッフのAOKI君が料理家のJIN先生のとこに私の鮎を持参し田ことがある。その時に鮎飯を作って振舞われたそうだ。その鮎味がとてもよかったと聞いてはいた。今度HIROさんとこへ行ったら、披露するか・・・・。

思いがけずに時間が出来、ゆっくりとすごせた夜であった。新メニューへの挑戦もできた、ドタキャン大いに結構である。

 

で、今朝の弁当となるが、「牛スキ弁当」である。日山で買ってあった牛スキ焼用きり落とし(880円/100g)を使ったスキ焼である。牛の他にタマネギとエノキが入っただけのシンプルなやつだ。他には、「ポテ&キャロ&マカロニ&茹卵のサラダ」たったそれだけ。ゆで卵を半分弁当に入れたか。

                         

長女は夜勤明けなので弁当不要。たった一つの弁当だぜ、料理人の腕も泣いてらぁな・・・・。なんて言いながらも、真剣だよ。唯一の趣味だからね

なんちゃって言ってるが、美味い物を喰わしたい、美味しく食べて欲しい。この気持ちがなくなれば弁当作りから撤退、廃業する。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弁当三つ・・・

2016-11-08 | Weblog

11/8(火) 昨日の退社は19時半過ぎであったか。偶々スタッフのRIE嬢とエレベーターが一緒になった。ビルの裏口を出て100m程まで同じ方向だ。その間に『軽く飲ってくか ? 』 と声をかけた。ではではとなり、「ローカーボ」へと・・・・。

店に着くと、開いているドアの向こうのカウンターにHOYA兄貴とマッチャンの両雄が並んでいた。逆さL字型のカウンターの底辺に椅子が二つ在る。我等はそこに腰を下ろして、両雄を右目にみながら会話に参入した。何時もながらの、オヤジ同志の与太話さ。その合間に少しは真面目なこともRIE嬢と話したかな・・・・。

ハイボール四杯のはずだが、時刻の方は進み22時半近くになっていた。これりゃイカンザキだ22時切り上げの誓いをまたしても破っていた。ローカーボのハイボールは、町場の飲み屋の倍位の濃さなのだ。これが美味さの秘訣の一つだが、酔うんだなぁ~。

学芸大学駅のホームから、下りのエスカレータに乗っていると微かに焦げ臭い匂いが漂ってきた。これやぁ焼芋に違いない・・・・。

改札を出ると、直ぐ前に焼芋の屋台がでていた。想定どおりだ、となると焼き芋を喰いたくなった。これもアルコールが脳を侵している証拠、因果はアルコールだ。『オヤジ、焼き芋を一つくれよ』と、ぞんざいな言葉を掛けた(これもアルコールの所為だ。普段は丁寧・丁重な僕だ)。

と、オヤジは大きな焼芋をだして半分に切った。その切り口を見せて「どうです、茨城の芋ですよ」と自慢そうに言い、紙袋に入れた。お代は千円也。比べちゃいけねえだろうが、オイラが祭りで販売した安納芋は一個200円だ。小さくはあっても、今や芋の大王さまだ。大なりとは云え、芋が千円か ・・・。

余談だが、祭りで販売した安納芋は赤字だった。30kgの芋が、送料込で約14000円、これに焼き芋機のレンタル代とプロパンガスレンタル代が加わる。〆て三万円近い原価を要しているのだ。今年の芋は、昨年よりチョット大きい。と云うことは数が少ないのだ。150個以上売らないと原価回収が出来ないのだが、販売数は百個ぐらいだろう・・・。

二日で売る予定の芋は、一日で完売。挙句に買えなかった客もいたのだから。安納芋や恐ろしだ。丁度この頃、取り寄せている種子島・安納地区の生産者NAKZONOさんは、TV局の撮影が入って多忙だったそうだ。祭りから二週間ほど後の土曜日、食彩の王国と云う番組?、東ガスの提供する番組にNKAZONOご夫妻が出ていた。

自分の部屋でこれを見た私は、家人に伝えるべくリビングに行くと、既に電話で種子島の友人と話をしていた。NKAZONOさんの奥さんの姉が、家人の友達。そんな縁があって安納芋に繫がったのだ。二年前だったか、祭りの前日のダッシュ村の番組に安納芋とNAKAZONOさんが出た。この時は大いに芋の販売でPRさせて貰ったのだ。

余談が長くなった、千円の芋の半分を齧りながら家路に向かった。お行儀の悪いことだが、酔っている、深夜に近い、行き交う人はおらず、誰にも見咎められる心配はない・・・足元はしっかりしていたはずだ?

そんな昨夜を過ごし、今朝の起床は6時20分。台所に向かい弁当作りだ・・・・。

今日のメニューは「ヒレ肉の一口カツ」と、煮物はインゲン豆と万願寺に油揚げ、一つ残っていた松茸を最後に加えた。更に、茄子と挽肉の味噌炒め、焼き鮭である。米は、妹が送ってきた新米だが、これは亭主のHIROKATUが味が良くなると云う菌を培養して田圃に巻いている。届いてから随分経ったが、他の新米があるので食してなかった。                               

だが、今週の十日に帰省する。ついては味見をし、コメントが出来るようにしなければならないのだ。松茸や鮎、三種の新米、それに焼き芋まで。これじゃ痩せる間もないさ・・・・。

またしても話が逸れた。本題は弁当のことだった・・・・。弁当の準備をしていると、「MIZUKIは、今日は日勤深夜だわよ」と、家人が言う。日勤をしてから、深夜勤務に出るのだ。数日前のことだが、23時半頃にほろ酔いでホームに降りると、上り電車をまっているMIZUKIに出会った。こんなことは、これまでも何度かあった。今夜も会うかもしれねえな?

それじゃMIZUKIの弁当は二つ作ろうとなった。親心だねぇ~・・・・。菜の方も昼夜同じじゃいけねぇ。「エビフライ」「豚野菜炒め」「卵焼き」を追加した。

                       

申し遅れたが、HIROKATUの作った米は美味かったよ。粘りっ気と仄かな香り、炊き立てだからね! この米は、奈加野に行くと今年いっぱい食べれる。が、少し他所米と混ぜてるかも?

 

そんなことをしていると、時間が・・・、時間が迫ってきた。悪いことに、今日は会社の全体会議がある日。何時もより出勤時間は三十分早いのだ。日課の朝風呂にも入らずに出勤となったのである。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立冬

2016-11-07 | Weblog

11/7(月) 今日は立冬ということで、東京の気温も今冬一番の冷え込みとか。これからは、毎日のように気象予報士のそんな声が流れることであろうが。寒くなって来たので、暖かい弁当でもと云うことになればいいのだが、そうはならないのが弁当。

今朝の弁当は一つ、加えてその弁当を持って行く家人は「軽めのお弁当にして」と言う。午後にセミナーやらがあるとかで、ゆっくり食べていられない、沢山食べると眠くなる。そんなところであろう・・・。

深夜の三時過ぎに目が覚め、本を読んだりしているうちに時計の針が五時を指した。これでも弁当作りに入るは早すぎる。何しろ一つだ、それも軽めにとのこと。六時まで時間を遣り過ごして、台所に入った。

三時に目覚めてから、冷凍庫の鶏とブリ切り身を出しておいた。鶏の唐揚げと思ったが、片栗粉が無かった。鶏は、生姜とニンニクに漬けてからソテーとなった。ブリは塩を振って焼くだけ。

                          

前夜の残り菜「大根と蒟蒻の煮物」があったので、ゆで卵を作って加え、煮卵風に温めた。後は、小松菜の胡麻卵とじとした。時間がたっぷりとあるにしては、簡単な弁当である。早々に出来上がった弁当を家人に渡し、一服とまった。

 

土曜日の午後、情報誌に掲載するペットの撮影で赤羽公園へ。前日に飼い主のインタビューはとったが、職場での取材で肝心のペットとの写真がなかった。自宅に近い公園で、ペットと一緒の撮影となった。ペットは「くるみ」と云う名で、犬種はジャックラッセルテリアとのことだ。とても可愛い犬だった。

                              

撮影を終えてから出社したが、来週末に迫った事務所移転と移転先のレイアウトの作成が目的。限定された空間に如何に治めるか。ああでもない、こうでもないを何度も繰り返している。いい加減にうんざりしてきたが・・・・。

先々週に一社が退去、残ったのは意地を張っている我が社だけだ。とは云え、今の事務所を来週末の19日・20日に出るのだが。移転先は200m先のビル。悪徳不動産のマッチャンが探してきた物件だが、気に入っている。今のところは、と付け加えるが。

現在のとこに越してから、未だ二年と四ヶ月だ。ビルの競売とやらで、移転を余儀なくされたがたった一本の文書しか来ない。後は落札した業者からの通知だけだ。ビルのオーナー会社が倒産したなら兎も角、他に何十棟かの貸しビルは営業している。それでいながら、保証金は返ってこない。なんか可笑しくねぇか?こんな民法は。

挙句に、売る側と買う側がグルだろうから腹が立つ、始末が悪い・・・・・。こんなことを言っても、貧乏人の遠吠えだ。禍転じて福となすって言葉もある。面白がって次の事務所に参ろう・・・・。ノー天気 OYAJI だからネ

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サプライズ

2016-11-04 | Weblog

11/4(金) 祝日前の水曜日の夕は、大手町の某社に勤務する後輩二人と地下街の安酒場で懇談。一人は二十年ぶりの再会だったので、それからの勤務先などを利き、かつてのことを懐かしく語り合った。今、二人が勤務する仕事の課題などを聞きながら焼酎を飲んだ。

ここがお開きの後、独り渋谷へと向かった。「奈加野」に、この朝築地市場で買ったマグロと鮭を預けてある。それを引きとることと、かの”松茸」を引き取ってもらう件である。松茸の方は、自分で処分をしてもよかったが、オヤジに話をしてあったので念のためと云うところだ。

この夜も珍しく閑散とし、静かな店内。十四・五人の椅子が在るカウンターに客の姿がなかった。行った以上は飲まなくては、何か注文をしなければオヤジがブツブツお爺さんになっちまう。ビールと焼酎の湯割りを出してもらった。序に板長に松茸を焼いて貰った、『味見してよ』の一言を添えて。

                           

香りはそれほど濃くないが、歯応えと切れ具合がいい。板長曰く「上々の品ですよ」と。奥の席で客の相手をしているオヤジにも、持って行かせた。戻ってきたオヤジに『六千円でいいよ』というと、「四千円だ」と言う。じゃあ止めるよ、と応えると「そうは言うなよ」と返してくる。持って帰って自分が喰おうと思ったが、五千円で手を打った。中ぐらいのやつが三本であった。

この日の昼、会社で松茸ご飯を炊きスタッフに振舞った。インスタントの松茸の吸い物を付けて。上々の評判であった。ベッタラ市の時にNOBORUが提供した、新米の近江米が残っていたので使うことにしたのだ。うちの連中は、松茸ご飯を食す機会は少なかろうとの親心・・・・。

 

そして祝日の昨日。息子からこの日を開けてくれと言われていた。昼、横浜のイタリアンレストラで、息子が付き合っている女性の両親との顔合わせだと云う。前々から『いい加減にけじめをつけろ』と言ってきたので、漸くかの思いであった。

彼女の方はしょっちゅう家に出入りしているの承知の助だが、その両親とはチラリと顔を合せたことがあるのみ。先方は、ネクタイに背広のきっちりとした姿。こっちは、何時ものラフな格好であるが、一応ジャケットは着用していた。

両親とも剣道をやっている一家、剣道といえば我が家も縁があった。そんなことで、和気あいあいの雰囲気で時間を過ごしたが、サプライズは息子が婚約指輪をこの場で渡したことだ。そんな話は寝耳に水、ちょっくら驚いたが・・・・。子供じゃねえ、勝手にドンドンやってくれだ。

                      

手造りの記念帳に、転居予定11月下旬、入籍は年明けの1月下旬、披露宴は平成30年となっていた。披露宴が遅すぎるんじゃねえか、と言うと「貯金しなきゃ・・・」だった。

一応一区切りついたし、愉しい食事会になってよかった。と、思うOYAJIであった。

 

一夜明け、今朝の弁当となるが、長女の分は昨夜炊いた「松茸ご飯」と、これも残りものの「エビフライ&一口カツ」、今朝作った「肉じゃが」と鮭焼き、卵焼き。家人用は、炊き立てのご飯に「肉じゃが」「油揚げと小松菜の煮物」、鮭焼きと卵焼き。

                          

もう一つ、深夜勤務だという長女用に、夜勤弁当も作った。こっちの方は、白ご飯に「小松菜&油揚げ煮」「肉じゃが」と、ブリの塩焼き、卵焼きとなった。今朝の弁当は都合三個となった。

                          

人生なにがなくとも、弁当作りがあれば生きていけそうだ・・・・・?。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松茸

2016-11-01 | Weblog

11/2(水) 昨夕、郷里のKATUOが採った松茸が届いた。届いたといっても、売ってくれとの依頼である。売値を付けとけと言ってあったら、細かく値段を貼ってあった。立派な一本ものが3500円、小さ目が二三本まとめて3000円とあった。売値は都合43500円になるが・・・・。

会社のスタッフに声を掛けると、13500円分が掃けた。後は奈加野のオヤジがどれだけ買ってくれるかだが・・・。残ればオイラが引き取ればいいだけのことだ。明日、小僧が付き合っている女性の両親との顔合わせが予定されている。そのお土産に使えるだろう。

KATUOは大工が本業だが、本業の方の仕事は少ない。鮎や鰻を獲ったり、こうして松茸のシーズンには山に入っている。今年の松茸は随分と遅かったそうだが、日曜日に沢山採れたとのこと。田舎では殆どをただで配ることになるだろうから、オイラに頼んできた次第だ。

畑仕事の手伝いや、鮎・鰻をを獲って来いと何時も言っているので、こんな時には協力をするのが努め である。

                          

余り長くは置けないので、早目に始末をしなくてならない。我が家であれば、差し詰め「松茸のスキ焼」と「松茸ご飯」、それも弁当が手っ取り早い・・・・。早速今日の弁当で登場させた。「松茸と牛のスキ焼」「松茸ご飯」である。後の菜は、焼き鮭と卵焼きと云うシンプルさである。

                     

 

昨晩に、熊本在住の友人TAKEMURA君が上京した。少し相談事があると言うので定宿の帝国ホテルまで迎えに行き、久しぶりの歓談。銀座界隈をブラリ散歩し、馴染の店で一杯。TAKEさんの思案は、彼が創業し理事長を努めている医療系専門学校の未来についてだった。

彼なりの構想は、各国から留学生を受け入れる大学に発展させることであったが、果たしてそれが成功するかと云う点であった。建設関係の会社や専門学校、社会福祉法人と事業を成功させてきた実績がある。そのセンスがあれば大丈夫だろとは言ってみたが・・・。

『理念を持ってやれば、理念を明確にしろよ』と、助言にもならぬことを伝えた。そして、自分で抜き書きしてあったドラッガーの言葉を、読んでみたらと渡した。

銀座からいったん会社に戻り、帰宅は23時45分であった。

今朝も夜明け前に目覚めたが、六時過ぎまで蒲団の中で過ごした。今朝の弁当は「松茸」の出番かと、昨晩から思案していた。幸いにも、過日の土曜日に「日山」で贖っておいた弁当用の牛肉が在った。これを使って「松茸の牛スキ焼」が実現した。「松茸ご飯」の方は、土釜を使っての飯と凝ってしまった。美味しいものを、おいしくいただくには手間暇を掛けなくちゃ!

そんな弁当作りタイムを過ごし、向かったのは「築地市場」である。先般のベッタラ市で販売した「安納芋」を手配してくれた、家人の種子島の友人にお礼のイクラ醤油漬けを送るためだ。イクラが好きだとのことで、お礼は毎年これにしている。イクラ醤油漬けの最級品を二箱、何時もの北田商店にて手配。

北田の前にあるのが、生マグロ専門の「米岩」だが、ここのオヤジと話をしているうちにマグロを買う破目になった。蓄養マグロのトロのある部分を1kg(8000円)買ってしまった。これと、北田で弁当用に買った紅鮭の半身を「奈加野」のオヤジの品と一緒に持って行ってもらう。そう、奈加野のオヤジも仕入れに来ていたのだ。尤も、こんな話は昨夜のうちに連絡済のことだ。でなきゃ、出社前に魚を買ったりしない(帰りに、奈加野に寄る羽目になるが)。

魚市場の前に、ヤッチャ場を抜けた。目当ては、松茸の値段であった。KATUOが付けてきた言い値が、如何ほどのものかリサーチしたかったのだ。国産の一箱(3本~6本)が、15000円程度から25000円程。産地や大きさ、香りなどで異なるので一概に比較はできない。が、kATUOの値付けは程々と判断した。化粧をしてないので見栄えで劣るが、香りがいいのだ。

                           

米岩の隣が、鯛・白イカ・アマダイなどの活漁専門の「原秀」だが、ここのオヤジは10月末で店を閉めた。偶々最後のチェックに来ていた。魚を売っていた姿と打って変わり、粋なジャケット姿であった。『ヨッお大尽』と声を掛け、『最後に記念の写真を撮ろう』と写したのがこれだ。

               

原秀のオヤジは「やっさん」というのだが「俺の写真を日本橋に貼っといてくれ」と、威勢がよかった。最後のコーヒーでも飲みに行こうよと誘い、奈加野のオヤジと三人で「愛養」へ。コヒーを飲みながら『何年やったのよ?』と訊くと「四十年だよ」とのこと。

「最後の日に、仕入れ場に入ると、四~五十人いたメンバーが拍手で迎えてくれ、花束まで渡されてしまったよ」「築地で店仕舞いをするというのでTVが撮りにきて、おまけに売り先の店で自分が売った鯛やイカを頂くシーンまで放送された」と、ちょっぴり淋しげながらも嬉しげに喋った。

やっさんが商売を始めた四十年前は、市場の中卸は1200軒あったそうだ。今では、半分近くになったとのこと。豊洲への移転を契機に、店仕舞いするところが多いとか。魚離れだけでなく、流通形態が変わったことも大きいだろう。築地に昔日の面影はない。

初めて奈加野オヤジから「寿司でも喰えばいいよ」と、築地に付いて行ったのは三十年以上も前のことか。知れの後で連れて行って貰った「寿司屋」は、市場で働く人や仕入れに来た人ばかりだった。

店内は落ち着いており、旨い寿司をゆっくり食べた覚えがある。今の市場の寿司屋は、何時でも長蛇の列。異国人らしき人々が半数以上は並んでいる。市場は観光地、これは異国も変わらぬようだが、少なくとも場内の店はそれ向きに出来ていない。豊洲に移転したらどうなるかな?

そんなことを思いながら、築地を後にした。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手抜き弁当

2016-11-01 | Weblog

11/1(火) 今朝も四時ごろに目が覚めた、がそのままもう一度眠ることができた。起床は、6時20分であった。そこから弁当作りに入ったが、今朝のメニューは出来合いの品がメインだった。

手抜きをするつもりはなかったが、今週は家人用の弁当だけである。それを考えると、簡単な方向にいってしまうのは致し方ない。手抜きも、人生行路では大事な方策である?

冷凍の「牛プルコギ」と「チキンカツ」、小松菜の胡麻和え、卵焼きがメニューである。手慣れたものばかりで創る方としては面白くもないが、今日の午前は取材があって直出する。時間に余裕を持ちたかった。珍しくもフルーツ(柿&水晶文旦)まで用意したが・・・・。

                     

さくさくと弁当を用意し、朝風呂に入って一息ついた。それから、取材へと向かった。幸いにも、ドタキャンの連絡は入らなかった・・・・。

 

昨日の午後、N社時代から交流を頂いてきた「渡邊一雄」さんの”湧くわく講座10周年を祝う会『人生これからだ』と題した、講演会が練馬文化センターで開かれた。ご案内を頂き、TUGAWAさんと二人で聞きに行った。通称ナベさんは、フイランスロピーの国内における草分け、先達である。

八十歳になられたが、ますます元気に溢れていた。湧くわく講座は、都内10箇所で十年に渡ってつづけており、通算1000回を突破。今回はそれを記念した祝賀の会とのこと。渡邊さんのサポーター&ファンが大勢駆け付けて、600人収容のホールは満席であった。

二十年以上にわたり、氏の講演や話を聴いてきたが、益々冴えてきた。無論、たゆまぬ努力の結果であるが。渡邊さん曰く「千回やってきて、なにを得たのかと問われ、自問する」と。フィナレーでその答えを「今日の日です」と言われた。

「人の為に為すことは、己の為になすこと」を座右に、ナベさんはこれからも”元気とありがとう”を届けつづけることだろう。会のフィナーレ、ナベさんは”ありがとう”の歌を朗々と披露して感謝を表した。

                         

観客はシニアばかりだが、とてもいい会であった。シニアなればこそ、ナベさんの問いかけが、語ることを理解し共有できるのであろう。

練馬駅前の路地の居酒屋で、HIROさんと一杯やりながら人生の機微を問わず語りしたのであった。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする