11/8(火) 昨日の退社は19時半過ぎであったか。偶々スタッフのRIE嬢とエレベーターが一緒になった。ビルの裏口を出て100m程まで同じ方向だ。その間に『軽く飲ってくか ? 』 と声をかけた。ではではとなり、「ローカーボ」へと・・・・。
店に着くと、開いているドアの向こうのカウンターにHOYA兄貴とマッチャンの両雄が並んでいた。逆さL字型のカウンターの底辺に椅子が二つ在る。我等はそこに腰を下ろして、両雄を右目にみながら会話に参入した。何時もながらの、オヤジ同志の与太話さ。その合間に少しは真面目なこともRIE嬢と話したかな・・・・。
ハイボール四杯のはずだが、時刻の方は進み22時半近くになっていた。これりゃイカンザキだ!22時切り上げの誓いをまたしても破っていた。ローカーボのハイボールは、町場の飲み屋の倍位の濃さなのだ。これが美味さの秘訣の一つだが、酔うんだなぁ~。
学芸大学駅のホームから、下りのエスカレータに乗っていると微かに焦げ臭い匂いが漂ってきた。これやぁ焼芋に違いない・・・・。
改札を出ると、直ぐ前に焼芋の屋台がでていた。想定どおりだ、となると焼き芋を喰いたくなった。これもアルコールが脳を侵している証拠、因果はアルコールだ。『オヤジ、焼き芋を一つくれよ』と、ぞんざいな言葉を掛けた(これもアルコールの所為だ。普段は丁寧・丁重な僕だ)。
と、オヤジは大きな焼芋をだして半分に切った。その切り口を見せて「どうです、茨城の芋ですよ」と自慢そうに言い、紙袋に入れた。お代は千円也。比べちゃいけねえだろうが、オイラが祭りで販売した安納芋は一個200円だ。小さくはあっても、今や芋の大王さまだ。大なりとは云え、芋が千円か ・・・。
余談だが、祭りで販売した安納芋は赤字だった。30kgの芋が、送料込で約14000円、これに焼き芋機のレンタル代とプロパンガスレンタル代が加わる。〆て三万円近い原価を要しているのだ。今年の芋は、昨年よりチョット大きい。と云うことは数が少ないのだ。150個以上売らないと原価回収が出来ないのだが、販売数は百個ぐらいだろう・・・。
二日で売る予定の芋は、一日で完売。挙句に買えなかった客もいたのだから。安納芋や恐ろしだ。丁度この頃、取り寄せている種子島・安納地区の生産者NAKZONOさんは、TV局の撮影が入って多忙だったそうだ。祭りから二週間ほど後の土曜日、食彩の王国と云う番組?、東ガスの提供する番組にNKAZONOご夫妻が出ていた。
自分の部屋でこれを見た私は、家人に伝えるべくリビングに行くと、既に電話で種子島の友人と話をしていた。NKAZONOさんの奥さんの姉が、家人の友達。そんな縁があって安納芋に繫がったのだ。二年前だったか、祭りの前日のダッシュ村の番組に安納芋とNAKAZONOさんが出た。この時は大いに芋の販売でPRさせて貰ったのだ。
余談が長くなった、千円の芋の半分を齧りながら家路に向かった。お行儀の悪いことだが、酔っている、深夜に近い、行き交う人はおらず、誰にも見咎められる心配はない・・・足元はしっかりしていたはずだ?
そんな昨夜を過ごし、今朝の起床は6時20分。台所に向かい弁当作りだ・・・・。
今日のメニューは「ヒレ肉の一口カツ」と、煮物はインゲン豆と万願寺に油揚げ、一つ残っていた松茸を最後に加えた。更に、茄子と挽肉の味噌炒め、焼き鮭である。米は、妹が送ってきた新米だが、これは亭主のHIROKATUが味が良くなると云う菌を培養して田圃に巻いている。届いてから随分経ったが、他の新米があるので食してなかった。
だが、今週の十日に帰省する。ついては味見をし、コメントが出来るようにしなければならないのだ。松茸や鮎、三種の新米、それに焼き芋まで。これじゃ痩せる間もないさ・・・・。
またしても話が逸れた。本題は弁当のことだった・・・・。弁当の準備をしていると、「MIZUKIは、今日は日勤深夜だわよ」と、家人が言う。日勤をしてから、深夜勤務に出るのだ。数日前のことだが、23時半頃にほろ酔いでホームに降りると、上り電車をまっているMIZUKIに出会った。こんなことは、これまでも何度かあった。今夜も会うかもしれねえな?
それじゃMIZUKIの弁当は二つ作ろうとなった。親心だねぇ~・・・・。菜の方も昼夜同じじゃいけねぇ。「エビフライ」「豚野菜炒め」「卵焼き」を追加した。
申し遅れたが、HIROKATUの作った米は美味かったよ。粘りっ気と仄かな香り、炊き立てだからね! この米は、奈加野に行くと今年いっぱい食べれる。が、少し他所米と混ぜてるかも?
そんなことをしていると、時間が・・・、時間が迫ってきた。悪いことに、今日は会社の全体会議がある日。何時もより出勤時間は三十分早いのだ。日課の朝風呂にも入らずに出勤となったのである。