11/15(火) 昨日の午後便にて高知から帰京。日が暮れる前に会社に入った。東京も汗をかくような気温であったが、郷里と同じく小雨が降っていた。
今週の終末には事務所の移転がある。その準備などで落ち着かないが、不在中にも予定とおりにスケジュールは進んでいた。六時半過ぎに何時ものメンバー、人形町パトロール隊のHOYA兄い、悪徳不動産マッチャンと「高松」で懇談。マッチャンとは移転のことで話もあった。今度移る事務所は、西へ200m程のとこだが、仲介はマッチャンである。
「高松」の後は「ちょっぷく」で安ワインを飲り、所定時刻の22時を廻ったところでお開きにした。時間厳守はオトコのけじめさ?
蒲団に入ったのは零時前であったが、夜中に汗をかいて目が覚めた。電気もラジオも点いたままであった。それから眠れなくなってしまった。電気もラジオも消したのだが・・・・。眠れそうで眠れない、朦朧としたまま時だけが進んでいた。
六時半、蒲団を抜け出して弁当作りに入った。今日のメニューは「松茸ご飯」と「牛焼肉」と、前夜に決めておいた。脇を固めるにはもう少し菜が欲しい。其処で、野菜煮と小松菜の卵とじ、鯖文化干し焼を加えた次第。
残念なのは、今日も家人一人の弁当であること。長女は今日は休みとのことだが、折角の「松茸ご飯」だ。後で食べに来るようにと、メールを送って貰った。
「松茸」を東京で捌いてほしいと、田舎にいるKATUOが送ってきたのは今月の初旬だった。あれからまた、KATUOは山に入っていた。それも二度三度と通ったようだ。帰郷した翌日の晩飯会に、kATUOは松茸ご飯を持参したのだ。そして、帰京の前夜の晩飯会に、これみよがしに持ってきたのが、写真の松茸だった。
傘が大きく開いたのが二本と、これまでお目に掛かったことのない超デカの松茸が一つ。こいつの大きさにはビックらこんだった。築地の市場でも、こんな大きいのは見かけなかった。傘が開いた松茸は香りがいい、超デカは300gの重さだとか。
『持ってきたと云うことは、俺に渡そうと思ってのことだろう』と、若干の惜しそうな表情もあったが、頂戴してきた。それと、冷凍して大事にとってあった「天然うなぎ」もゲットしたのである。KATUOのお蔭で、山・川(昔の映画にでる合言葉みたいだが)の珍味を味わえる次第だ。
帰省した翌日は、従兄の家に甘柿(次郎)を採りに行き、山のようにもいできた。土曜日は柚子の収穫、併せて畑の渋柿を取って干し柿にしたのだが、これがひと苦労さ。百個ばかりの柿の皮をむくのに三時間ばかり要し、紐で縛って振り分けて吊るした。
庭先の次郎柿 と 干し柿
日曜日は昼前から前日に収穫した柚子搾ったが、十ケースの柚子を手作業で搾るので五時間も掛かってしまった。大凡、40リットル程の柚子酢が採れた。
土曜日の夜、従姉達との食事が終わった後の独り柿の皮を剥いた。 ― そう云えば、四年前のこの頃。親父の手術に立ち会あってから実家に戻り、今夜と同じように渋柿を採ってきて皮を剥いて干し柿にした。そんなことを思い出した ― 。親父の入院で畑の渋柿を採る者がいなくなった。代わりに私が皮を剥いて干し柿にしたのは、手術に立ち会って戻った十五日の夜、丁度今日の日だった。
それから三日後に親父は急逝した。あっけない、死の訪れであった。柿の季節になると、あの時のことが甦る。
郷里では連日従姉達との晩飯会だが、今回も同じよな物ばかり作った。野菜(茄子・カボチャ等と厚揚げ・薄揚げ)の煮物、ピーマン肉詰め・ロールキャベツ、トンカツにカツ丼、銀フグのナベ、刺身、鮎飯などであった。これでまた、過食となった!
月一度、束の間ではあるがリフレッシュと大食。採れたての野菜に天然新鮮の魚、時には猪・軍鶏・鰻と珍味が加わる。空気と米は美味い。贅沢な時間と云えよう・・・・・。田舎に感謝だよ 。