オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

肉じゃが

2018-01-17 | Weblog

1/17(水) 今朝の弁当は「肉じゃが」をメインにした。他には「メカジキのソテー」と「タコピリ辛炒め」、最後に定番の卵焼き。以上であった。

                  

昨夕は七時半過ぎに「ローカーボ」に顔出し、HOYA兄いと世間話をしマッチャンを呼び出した。暫くして、NAKAMURA大将が、本日、佐賀から上京したと現れた。何時ものメンバー揃い踏みとなっていた。

年末始の出来事など聞きながら、再会を祝した。最後に「ちょっぷく」に顔を出してこの夜はお仕舞にした。最寄駅着は23時20分、午前様にならずに良かった。前夜につづき、東急ストアにて食材のシラタキとメカジキを贖った。

なにをしても、さておいても弁当のことだけは忘れないのである。で、今朝の成果物は二つであった。

                        

 

 

 

 

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「古賀武夫伝」

2018-01-16 | Weblog

1/16(火) 昨日の午後、一つのレターパックが机の上に届いた。待ち望んでいた古賀さんの伝記であることが、差出人の橋本和喜氏の名と、パックの重量感で判った。出版が決まったのは平成26年の晩秋も押し詰まった頃であった。ライターは橋本さん、出版社は福岡で地道ながらも良書を出し続けている「石風社・福本社長」にお願いすることになった。

翌春の「武桜祭」(古賀武夫の生誕祭)から取材が始まり、三年あまり橋本さんにはご苦労を掛けた。初稿・二稿を経て今回で三稿となるが、これで出版にこぎつけられるであろうと確信する。古賀武夫の幼少期から留学、佐賀日仏会館から地球市民の会へと発展し、人々の平和と国際交流の意義を説き活動に邁進した稀有なる人物「古賀武夫」の伝記である。

                    

笑いと涙、いひゅうもんと呼ばれながら真実の平和を、人間としての生き様を探究した実践家「古賀武夫」、その人生が漸く日の目をみる時が近づいた。橋本さんには、体調が悪い中をご無理をさせた。時には酔っ払って電話もしたが、今、心中からご苦労様でしたと伝えたい(これは本になってからがいいかな・・・)。

原稿量は文字数にして25万文字以上である。古賀武夫は、昭和二十五年三月二十八日佐賀市に生誕、平成二十年三月十八日肝臓癌悪化により不帰の人となった。逝去の一ヶ月ほど前に貰ったメールは「ホスピスに入院したが、まだまだ元気。ご心配なく」であった。桜の頃に会いに行きます、と返信をしたが、蕾だった桜の時に佐賀に向かうこととなった。

逝去から丁度十年、彼の伝記が世に出て行く。深くかかわってきた者として嬉しく思う。肩の荷が一つ下りるが、肩は両肩ある。もう片方から荷が下りるときが、長年暮らしてきた東京での潮時になろう・・・・。もう一つ大荷物?小荷物?か、肩ならぬ背中に背負っているものがありそうだが、どう荷下ろしをするか、思案六方だな。

いいやつ、面白い男ほど早くに旅立つのであろうか・・・・。アホな奴、間抜け男のオイラなんぞにゃ、中々お呼びがこねぇ・・・・・。

 

で、昨夜は気分よく酒場へと・・・・。遅れていた一月の「セイジュ会」の例会である。が、その前に「高松」に来ているUSUI老のお相手を軽くしなきゃならなかった。要は勘定方のお役目だ。店に行くと満席だったが、老は常連のお姉さんを前にして機嫌よく飲んでいた。

会うたびに、口から出るのは「高知へ行く」ばかりだ。昨夜は、四十八か所のうち、高知には十六ヶ所あるんで、これを車で廻ろう」が加わった。何がなんでも高知へ! が、口癖になっている。昨年夏、一緒に来たスタッフのF&Tにも今年も行くぞとやかましい。こっちはその都度『来なくてもいいから』を連発するのだが、馬耳東風とは老のことである。

相席している女史が、渡嘉敷島のハーフマラソンにでるので日曜日に20km走ったという。そんな話の中で「お腹が出ちゃって。胸は出てないのに」なんて話になった。老は「腹が出てるていうのはこんな腹をいうんだ」とジャンパーのファスナーを下ろして腹を出した。隣に女史が立って腹比べをはじめた。

                         

                         お腹比べ

女史に向かって『マラソンやるから、胸の肉が落ちて腹で止まってんじゃねぇか?』なんて、余計な言葉を吐きながら二人の腹を写メしたのだ。勿論手前が老のお腹さ・・・・。与太話をしていると、AOKIとHOYA兄いが姿を見せたが、もう椅子もない・・・。

更に込み合ってきたので、席を立つことにした。「セイジュ」へと向かう。マイバスで摘みと氷・炭酸を仕込んだ。ウイスキー(角)は、ランチタイムにハナマサで2.7㍑瓶を仕入れてきたのでこれで万全だ。

「セイジュ」に着くと、丁度店を開けたところ。早速、AOKIが会費徴収担当になってお金と引き換えに会員証に収納シールを貼る。銭には厳じいんだ。いっかいくらい見逃してくりゃしゃんせ・・・・・。YOSHIOの来るのが遅い、ウイスキーを持たしてあるんだが・・・・。

前に置いた熟柿(芋焼酎)と、ママさんに頂いたある50°のニッカウヰスキーをショットグラスで飲み始める。「ローカーボ」で、濃~いハイボールには慣れているが、50°のストレートには胃も驚いたことだろう。カウンターを占拠し、カラオケが始まる。も、今宵の小生は何故か気分が乗らないのであった。

一時間半ほどで、独り先に出た。帰るつもりでいたが、「ちょっぷく」の灯りを見てちょっくら顔出しをすることにした。赤ワインを飲みながら、同席した客と適当な会話が・・・。「お仕事はなんですか?」と訊かれたので『社名の如く、自然食品などを商っております』なんて、酒場話を盛り上げていたら・・・。

その中の一人が、デザイン・WEB系の専門学校で指導しているとのことだ。名刺を貰ってよくよく学校名をみると、聞いた名前だ。うちのスタッフOGAWAが通った学校であった。貰った名刺の名前は「金」とあったので、韓国ですか?と訊くと「中国の瀋陽です」との応え。調子にのって『じゃあ、中国の朝鮮族ですね』と。更に『何十年先になるかはわからないけど、朝鮮半島と中国の朝鮮族が一つの国になる可能性がありますね。何時かそうなるでしょう』なんてことをお告げしたのである。

そうこうしているとHOYA兄いが姿を見せた。「セイジュ」の騒音に耐えかねたか?。一杯飲んでから、今度は「ローカーボ」へと向かうことになった。

「ローカーボ」のカウンターの中にRYOKO嬢が立っていた。今夜から、週一でバイトに復帰とのことであった。優しいオジサンたちはお嬢にご馳走するであろうから?店の売り上げもアップか・・・・・。常連客を相手にひとしきり盛り上がる。HOYA兄いがシャンパンを一本奢り、相客にも振舞った。

                    

今宵も人形町の夜は更け行き、賑やかであった灯りも消えてゆくのであった。学芸大学駅に着くと零時をまわっていた。改札前の東急ストアで、弁当用の買い物をしてからの帰宅となった。

そして朝、お目覚めは七時前と遅かった。が、飯は前日の残りが沢山あったので、これで「炒飯」と云うことになった。今日は二人分のお弁当を用意する。

菜の方は前夜に買った「生鮭のバターソテー」「野菜とパスタのサラダ」、これだけじゃ淋しいかろうと「タマネギと牛小間の炒め物」を追加した。チャーハン用に人参・ピーマン・タマネギを刻んで炒める。卵二個を落として飯を炒める。

                     

そんなことで弁当の準備が整ったが・・・・・。長女が来ない?どうしたんだ?なんて言ってるところに電話が入った。「遅くなっちゃたので、タクシーで仕事に行きます」とのことだ。加えて「お弁当あったら取っといて、SORAの分もあればお願い」とのこと。夕食にしようとの魂胆だろうが、それにしてもタクシー?。

俺もサラリーマンの現役時代には、度々やったな・・・・。娘もオヤジに似ちまったか。嗚呼~。弁当三っ、用意したのは云うまでもないが。

                     

 

 

 

 

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穏やかな週末

2018-01-15 | Weblog

1/15(月) 週末は穏やかに過ごした。土曜日から日曜日の朝にかけて長女と孫のSORAが来た。そして日曜日の夕方には、次女の一家が姿を見せて夕食をともにした。典型的な爺様生活のようだが、両家の孫は「ニイサン」と呼ぶことに馴れきった。が、SORAの方は小学生になってから友達の居るところで「兄さん」と云うのは抵抗があるようだ・・・・。

土曜・日曜と風が強かった。その寒風の中、電車に乗って遊びにでかけた。大人の遊び場だからゲーセンじゃないよ。ゲームはゲームでもボートゲームさ。ボートレースと云うやつだ。土曜日は±ゼロ、日曜日は三勝六敗と負け越しだった。勝利の女神は我に微笑まず。帰宅してからは、反省と研究だったが・・・、成果と云うやつは一朝一夕には出ないのだ。仕事も同じだろうが「弛みなき研究と努力」、この上に女神は降臨するのだ!。女神チャン、降りておいで!・・・

そんなノンビリした週末を過ごし、今朝を迎えた。睡眠は十分、夢見も悪くなかったはずだ?。目覚めたのは六時過ぎで、弁当作りに入ったのが六時半と、標準時でのスタート。残念なことに、今日も弁当は一つである。

一つ弁当と云うこともあり、お手軽&お手抜きの弁当だが、その旨は前夜、家人に伝え済み。何事でも予見を与える、さりげなく、或る時は明確に。これが肝要で、特に仕事に置いては欠かせないと思うが?。

予見とサプライズ、この絶妙さが人生も弁当も楽しくしてくれるのだ。とはいっても、今日の弁当にサプライズは無い。『時間ないから、弁当止めた』なんて言う、悪い冗談もなし。弁当ではないが、平日にしては珍しく「お味噌汁」を作った。これがサプライズと云えなくもないか・・・。

朝は寒い、加えて家人は週末から風邪を引いていた。昨夕は良くなってきたとのことだが、未だ本調子じゃない。キッチン台の上に大根の尻尾が残っているのを見て、これで味噌汁を作ることにしたのだ。熱い味噌汁で体を温める、オイラは寒くなった懐を温める。てな分けさ・・・・・。

味噌汁の具は、大根・タマネギ・エノキ・キャベツ・ソーメンと云う組み合わせにした。実は、味噌を加える前にソーメン・タマネギ・キャベツを一部取りだして、弁当用に「ソーメンパスタ」にしたのだ。之で、一応は一品と云う姑息な手段だ。

然し、アツアツの味噌汁は美味かったよ。家人も喜んで飲んだし、オイラは台所仕事をしながら二杯も飲んじゃった。寒い朝に、湯気が立っている味噌汁!、いいねぇ~。

で、肝心の弁当は「ギンダラ照り焼き」「鶏の香味焼き」、昨夜の残り物「オデン」に前述のソーメンサラダである。

               

何はともあれ、今朝のヒットは「味噌汁」だったんじゃないかな・・・・・。

 

今夕は半月後れの「セイジュ会」だ。ウイスキー&摘みを持ち込み、会費を払って酔っ払う。USUI老も楽しみにしているようだし・・・・・。オイラもグラス片手に昭和演歌でも・・・・・。そんな夜になりそうだ。

 

 

 

 

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気が付けば・・・

2018-01-12 | Weblog

1/12(金) 今朝の目覚めは遅かったねぇ~、「七時だよ!」の、山の神の声に起こされたのだから。なんでこんなことになったか?昨夜の酒の所為か、或いは零時前に日高屋で喰ってしまった旨煮ラーメンがたたったのか?。何れにせよ無様な朝になった。

其処から鍋で飯を炊き、大慌てで菜の準備をした分けだが・・・。具合の悪いことに、今日は長女が弁当を取に寄る日だった。こんな日に限って弁当二つ・・・・。三十分で勝負だ。

面倒なことはできないので、冷凍庫にあった鮭を先ず焼く。同時に豚肩肉とシャブ肉を解凍する。里芋を剥いて下茹でを始める。牛蒡をカットして唐揚げの仕度を・・・。天麩羅鍋に火を点ける。トンカツの仕度をし、シャブ肉には出汁と片栗粉をまぶして揚げる準備をする。先ずは、牛蒡の唐揚げだ。

トンカツを揚げ、シャブ肉を最後に揚げる。里芋出汁と金胡麻を降って煮上げる。竹輪が残っていたので切る。ガスが空いたので、フライパンに溶き卵を放り込んでスクランブルに焼く。

                              

そうこうしているとこに、娘を従えた長女が・・・「お弁当あるの?」と、入って来た。『おう!今仕上がるとこだ。弁当箱よこせ』てなことで、炊き立ての飯を詰め、出来上がりのトンカツを切って弁当箱に・・・・・。てなことで、なんとか帳尻を合わすことができた。

昨夜の酒か飯で、体が重い。なにやら肩まで凝っている。深酒と大飯はイカンザキだ。何時も翌朝になって反省というか、後悔をするのであった。

 

昨日の夕刻、予定どおりに香川県に本社がある印刷会社の社長が来社。新年の挨拶と云うことで、毎年立ち寄ってくれる。遠方より来て下さるので、毎回、夜の部をお誘いし、懇談するようにしている。

今年は人形町にしてもらい「うまし」にて懇談することにしていた。五時前に、社長と付添いの東京営業所長と営業担当者の三人を案内して「うまし」へ。店に着いいたのは丁度五時、開店の時間である。

社長はお酒はさほど飲まれないが、お話しが好きな方である。社長の独り舞台あで盛り上がった。当社の窓口であるRIE嬢が途中から加わったので、助かる。ず~っと相槌をしているのも疲れのだ。途中、TOMOKI君から電話が入り、三岳のボトルが一本半あたりでお開きにした。三時間近く飲み、話をしていたことになる。

駅前までお送りし、我等は「ちょっぷく」へと。既にTOMOKI君は来ていた。

TOMOKI君から、話を聞いてくれと以前に頼まれていたのだ。そのことで彼はやってきた。ワインを飲みながら彼の話を聞く・・・・。

ベトナム駐在の打診があり、返事をする時期が迫り、それで悩んでいたのだろう。俺に相談しても何の役にも立たねぇだろうが、誰かにじっくり聞いて貰えば、自分で答えはでるものだ。そんな心境で話を聞いた。

そして案の定、自らが答えを出した。後は、家族の問題もあろうから話しあえばいい。自分がどう生きたいのか、職業人としてのビジョンは那辺にあるのか。それさえ、確認できれば選択肢はおのづと定まるものだ。

彼の場合、ご両親を早くに亡くしている。兄貴がいるが、病気なのだ。そこらの心配と、異国からの奥さん、そして小さな子供。悩むことと心配事が一杯なのだ。相談する、話をする相手が俺じゃ可哀相だが、背中を押すのは特異だからね。彼もそれを期待してたのかな?

そんな夜であったが、最寄駅に着くと「飯を喰えと」弱った脳味噌から指令がでたのだ。止せばいいと、分かっちゃいながら・・・・・。困ったんもんだぜ。

 

今夜は早く帰れそうだ・・・HOYA兄いは業界の新年会があると言ってた。人形町に舞い戻ることはなかろうし、マッチャンは病気だからネ(金欠と云う」、店に姿を現さないはずだ。一二軒、軽くやって帰ることにしょう・・・・。それにしても、今日は寒いぜ、オイラの財布も寒くて風邪引きそうだぜ・・・。なら、熱燗に湯豆腐か 。

 

 

 

 

 

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ランチ会

2018-01-11 | Weblog

1/11(木) 今日は会社のランチ会を開催する日である。朝の全体会議が済んで、何件かの処理の後に準備に入った。炊く米は一升二合で、電気釜二つで炊く。今日のメニューは「春巻」「ピーマン肉詰め煮&茄子煮」、スープは中華味の野菜&スープ、サラダはキリギリス仕様のレタス&胡瓜である。

忙しいはずのYOSHIOが、昨夜で仕事に区切りをつけて助手に。加えて、JIN先生の料理教室にも一緒のAOKIが応援となった。春巻き具の皮巻から配膳と活躍してくれた。量が多い、台所が狭い、熱器具は卓上コンロに縋るなど二重三重の難しさの中で、食事開始予定時間どおりに準備を終えたことは僥倖と云えようか。

                             

春巻きはお一人さま二個、肉詰めと茄子煮、すーぷ&サラダは御勝手にと云うことになった。春巻きの具をもう少し丁寧に刻み、炒めたかったね・・・・。デザートは郷里の酒造元「南酒造」さんが送ってくれた甲浦ポンカン(地元では有名な産地なのだ)を供した。

                             

概ね好評?と云うことにしておこう・・・・。前日のリハーサルや買い物も意味があったと云うことだ。

さて、今朝の弁当はアジ・トンカツ・タマネギのフライ。鶏と蒟蒻・牛蒡・大根の旨煮風。卵焼きと竹輪と云うラインナップであった。今朝も一つ弁当なので、張り合いはいまいちだが・・・・。キャベツを刻み、竹輪に胡瓜を指し込んだ。変り映えもしないが、朝飯で食したらそれなりに旨かった。

                  

 

昨晩の依田君のお通夜、大勢の参列者がおり、彼の人柄であろう。後輩たちも現役・OBと顔を見せた。私より年配はMAEJIMA先生だけか?否二三人は年嵩がいるか。とは云っても、剣道部では92歳の先生を除いては私が最古参であろう(稽古をしないOBだから何の意味もないが)。

通夜の後、不動前駅そばの居酒屋でOB連八人でお浄め&偲び酒となった。私とYOSHINO意外は皆現役の剣道人である。稽古をしない俺たち二人がえばってみても、所詮は昔の名前の空威張りか・・・。

八段に挑戦して稽古を重ねている者、入社後に初心者で初めてから七段を取得したものと多彩なメンバーたちである。故人を偲びつつ、大いに盛り上がった一夜となった。継続と努力は嘘をつかない、才能の欠片もないであろう面々が、揃いも揃って七段だからね・・・・。そんなことを改めて実感しつつ焼酎を飲んだ。払いは、年長者になるは致し方ないか。

 

 

 

 

 

 

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予習を兼ねて・・・

2018-01-10 | Weblog

1/10(水) 明日は月例の全体ミーティングとランチ会の日である。ランチ会のメニューの一つは「春巻き」で、これはITO女史のリクエストに応えるような一品。もう一品はYOSHIOが「マーボ豆腐」を作ると意気込んでいたが、中華鍋は一つでこれで春巻きを揚げなくてはならないのだ。加えてYOSHIOの仕事が立て込んでおり、時間の余裕が覚束ない。

そんな次第で迷った末に、「ピーマンの肉詰め煮」を作ることにした。焼の方が好きなのだが、フライパンがないのだ。狭い台所に、乏しい調理道具と食器なのだ。肉詰め煮なら鍋で煮込めばことが足りると云う訳だ。中華風のスープにサラダと云う献立でいくことにした。

                              

そんなこともあり、今朝の弁当事は「ピーマン肉詰め煮」を作ることにした。何度も造っているの今更ながらだが、狙いはこの煮汁をスープに使えるかどうかの確認である。結果は、ピーマンの香りがたちすぎてスープとしては難があると出た。

今日の弁当の菜は「ピーマン肉詰め煮」と、「ホーレンソウの胡麻炒め卵とじ」「パスタサラダ」「鮭ハラス焼き」に板カマボコを少々となった。

                  

変り映えしない弁当であるが、ランチタイムにゆっくりと食してほしい、の思いは込めている。

 

午後、八重洲の某社を訪問した後、桐ケ谷斎場に向かう。後輩の依田照彦君の通夜である。明日の告別式にも参列したいのだが、全体会議や来客の予定が決まっており、断念せざるを得ない。

墨田体育館の道場で顔を合わせ、彼の在所である山梨・身延での合宿。後輩のYASUYOちゃんとの結婚、息子がボクシングで東日本新人王に輝いたときの報告など、人なっこい彼の笑顔が浮かぶ。依田君との付き合いも四十年以上となるか・・・。逝くのにはちょっと早すぎる。

今夜は剣道部のOB連中も来るであろうから、弔い酒となろう。

 

 

 

 

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正月気分も・・・

2018-01-09 | Weblog

1/9(火) 年始明けの三連休も終わった。本格的に始動するべきだが、こちとらはスターターもエンジンもない身だ。スタッフの元気な稼働・活動を見守るのみである。諸君 ! 、今年も元気一杯明るく健康な社会生活を送り給え・・・・と。

三連休前の五日(金)、馴染もこの日から店開きのところが多い。そんな次第で、前夜に顔出しができていない店に行くこととなるのが道理。ところが何処もかしこも一杯・満席だとHOYA兄いから電話が入った。前夜は店が開いてなく、今宵は口開けから満席とは、民の竈は賑わいよるわいと喜んでいるばかりとはイカンザキだ。

取り敢えず「こま吉」に参集となった。正月早々から「ホッピー」とは常に変らぬが、この店に腰を下ろすとホッピーが口からでる。正月らしく、温めの燗酒頂戴なんて出ればいいのだが・・・・。ホッピー飲んでハッピー! なんちゃって語呂もいいのでご勘弁をだ。

前夜につづき、この夜もHOYA兄い、マッチャンの三バカならぬ、三オヤジでの出撃。途中で「高松」に電話を入れ、空いたら席をと願った。「高松」「ローカーボ」「うまし」「セイジュ」「ちょっぷく」に、ここ「こま吉」に加えて「三浦」まで足を延ばしたいところだが・・・・・。

                              

七時過ぎからでは全ては廻りきれない、それに満席の店があるのだ。結果、こま吉~高松~セイジュ~ちょっぷく、までとなった。この夜の帰還は零時か。セイジュからAOKIが姿を見せたのを思い出した。たしか、丁稚羊羹(近江の名物とか)をママさんに渡していた(バカヤロ~俺たちにも渡せ)。帰りのメトロはAOKIと一緒だったはず・・・・。

                      

土曜日、この日は正午に成城学園駅でTUGAWAさんと待ち合わせ。翌七日の、黒田君の命日前に墓参をすることにしていた。駅まで花を買って寺を訪れた。黒田が亡くなって三年、寒かった葬儀のことを思い出し、本堂前の縁台で一服しながら暫しそんな話をした。帰路、駅前の中華店で一献交わす。

                            

そして日曜日、後輩のYOSHINOから電話が入る。剣道部の後輩、依田君が亡くなったという連絡であった。数年前、彼が血液の病気で入院していた五反田の病院に見舞ったことがある。その後、OB会などで会っていたが全快には至ってなかったようだ。残念である。彼の奥さんも初心者で剣道を始めていたし、看護学校では家人の一年後輩になる。明日のお通夜に参列する予定でいる。

葬儀で思い起こすのは、故人となれた方のことである。サラッリーマン時代の上司であった上田さん、横須賀で私的に厚誼を頂いた横塚さん、もうすぐ一周忌を迎える剣道部の大木先輩。暫く墓参ができていない。そして、大先輩の若山先生は伊豆・大川に眠っているが、長い間墓参していない。先輩方のお墓めぐりをする時期かもしれない。

正月の酒場巡りから、お墓めぐりへと話が転じたが、私にとっては全部が同じであると云うことであろう・・・・。全て、日常であると云うことかな・・・・・。

 

連休明けの今日の弁当、今週は家人用だけの一つ弁当となりそうだ。長女は、夜勤・明け・休みがつづくとのこと。

今朝のご飯は「かしわの素」を使った炊きこみご飯である。九州の炊きこみご飯の素で、味が濃いのが特徴。菜の方は、軽めに「豚シャブ&水菜のゴマダレ」「ギンダラの焼き物」。定番の「卵焼き」である。

                   

これに、出汁をとった後の昆布を胡麻油と金胡麻で炒め煮した「昆布佃煮風」。この佃煮とは言わぬ(言えぬ)、風と云う処がいじましいではないか。出汁と採った後の昆布は、もっぱら刻んで佃煮風にして食している。

                           

 

 

 

 

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年賀挨拶廻り

2018-01-05 | Weblog

1/5(金) 仕事始めの昨日、夕方に社内の祝賀祝いが軽く終わる頃にHOYA兄いからの電話が・・・。昼間、新年の挨拶方々、兄貴の事務所に顔を出し「それじゃ今夜と」挨拶を交わしていた。

開口一番「どこも開いてないんだよ、何処にしようか?」との連絡だった。マッチャンに、高松蕎麦の大将ミッチャンも来るとのことだが、馴染の店は軒並みお休みなのだ。取り敢えず、うちの事務所の前で待ち合わせとなった。時刻は七時半頃であったか、外は寒かった・・・・。

本当に何処も店を開けてない、生ものを扱わない「こま吉」も「ローカーボ」もやっていない。「うまし」は魚料理が主だ、市場が開くのは明日なので休みなのは分るが・・・。

「こま吉」の裏手にある「キハ」の看板が灯っていたので、ここにしようと云うと「入るの初めてだよ」と、HOYA兄いが言う。店名が示すように、ここは汽車オタクがよく来る店なのだ。店主は若い?が、当人はさほどのオタクじゃないと言う。狭い一階は立ち飲み、二階は長椅子とテーブル、電車の吊革がぶら下がった大部屋だ。

                            

狭いカウンターに所狭しと並んだ缶詰、先客三人を奥に押してカウンターに並んで飲む。この妙な狭さが何ともいえない味わいを感じる。前に五六回は来ているし、ベッタラ市ではここも店を出しているので話はよくするのだ。初めての兄いは、興味津々で根掘り葉掘りと質問をする。

                        

先月には小峠が、サマーズも撮影で来たなんて話を聞きながら小一時間飲んで店を出た。出た処で、馴染の店はやってない。狭い路地の奥に、ポツリと看板の灯りが・・・。近づくと「ポンちゃん」との看板が。以前に一度来たことがある店だが・・・・。覗いたマッチャンが、一人だけ客がいますと云う。

ここでいいじゃん入ろうぜと、四人掛けのテーブルに腰を落ち着けた。面倒なので全員揃ってホッピーを頼む。改めて乾杯~!。会話は、一月の料理教室のスケジュール、セイジュ会の日程など・・・。そして、四人が参加した「矢切の渡し」日帰り旅の愉しかったことなど・・・・・。

話をし飲みつづければ、時間が経つのは早い。俺と兄いは、22時を過ぎたのを汐に引き揚げることにした。マッチャンとミッチャンは、何処ぞで夜中まで飲むことだろう・・・・・。肩をすぼめての帰宅は、23時丁度であった。

そして今朝、起床は六時半。鍋で飯を炊き弁当の用意を始める。今日の弁当は二つであるが、一つは「オムスビ」弁当にするのだ。

昨晩帰宅してからのこと『明日の弁当は二つだよな』と言うと、「そうだけど、私は明日の午後、直ぐに出るので弁当食べる時間ないだろうから要らないよ」と、家人が応えた。

訊いてみると、福井に居る母親が転んで骨折したので様子を見に午後の新幹線に乗るとのことだ。その骨折の話は聞いていた、時間を作って行ってこいと言ってあったが、明日の午後に行けるようになったとのことだ。

『そうか、それじゃ電車の中で弁当喰えるだろう。オムスビにするから持ってけよ』と、オムスビを作ることにしたのだ。本人は美味しい駅弁でもと、思ってたかもしれんが・・・・・。

炊き立ての飯を握り、鮭と梅干のオムスビを一つづつ。卵焼きを作ろうしたが、なんと卵が一つしかなかった。これじや用が足りん、スクランブルにして長女の弁当に入れた。

                        

メインは「牛肉炒め」である。すき焼き用に買ってあった肉を、炒めた。小鯵のバターソテー、シメジ&エノキ炒め、板カマボコ、以上が弁当の菜である。

                             

 

 

 

 

 

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仕事始め・・・

2018-01-04 | Weblog

平成30年1月4日(木) 戌年がスターして四日目となる今日は、官公庁を中心に仕事始めの日でもある。かく云う我が小体このうえなき「ナチュラル」も仕事始めとなった次第。

一年のスタートともなれば大いに張り切って、今年の抱負や方針をもって臨む。と云うのは一般的な話であるが、オイラなんぞはここ数年、そんな高尚なる考えを持ったことがない。云いかえれば、自然体と云うこっちゃな。社名の如し、とも云えるか・・・・。

そんなことより、今日の仕事始めに出社できるかどうかもあやふやであった。今朝まで。大晦日の三十一日から鼻水が垂れ放題、挙句に二日かからはタバコも吸えなくなり、咳き込むようになっていたのだ。風邪薬は服用していたのだが・・・・・。

昨夕、帰京した。一向に回復の兆しがみえないので、夕食の後で、プロポリスを喉に垂らした。塩水で鼻の通りをよくした。酒はなめる程度に、ビールも一本だけにした。出来うるかぎりの手をうって、蒲団に入った。数日振りの部屋と蒲団は寒く、冷たかった。じっと耐えてた・・・・・そして暖かくなり、汗ばんだのであった。

夜中に何度か目覚め、ようよう浅い眠りに入ることができた。起床は七時前と遅かった。が、喉の具合も鼻水も格段に改善していたのだ。これぞプロポリスのご利益か。半ば、今日の出社は諦めていたのだから・・・・。

平成三十年の初弁当も無事に作り終え、仕事始めの出社が叶った。初弁当は残念なことに、一つだけであった。

弁当の菜は「シメジ&ネギの牛巻き炒め」と、「牛蒡&鶏肉の煮物」。蒲鉾を切り、最後に「卵焼き」を作ってお仕舞となった。

                 

一つ弁当じゃ張り合いがないが、弁当事始めの日だと、炊き立ての飯を用意したのである。

風邪の気配か菌か、背中や肩はおろか鼻筋から額に掛けて留まっているような、漂っているかの如し。うっとしさが去らない、暫くは致し方ないな・・・・。

 

年末は29日の午後便にて帰郷。生家に向かう途中の安芸市内のスーパーで正月用品を贖った。三十日は、これ等を重箱に詰め、酢の物などを「作る。しめ飾りや餅を所々に飾り、カレンダーを取り替えた。

ふる里の光景は変わらない、静かに静かに佇む山と家々、穏やかな細い川の流れと営み。

                  

愈々大晦日となる、買い物の不足を補うために隣町「田野町」のスーパーまで車を転がしていった。戻って畑と、お墓に詣。畑の蜜柑は、文旦の収穫時期だが一月ほど樹で熟成させることに。今年は実が少ないので樹勢も持つだろうと。

小さな畑ながら、眺めていると面白い現象が見える。畑の土がそこここ盛り上っているのはモグラの仕業だろう。ヒヨドリらしき羽根が散らばっているのは、ノリスにでも襲われたか・・・。小屋のなかには子ネズミ、秋にはマムシの小さいのを二匹見た。春になれば、蜜柑の葉は幼虫が・・・・・。

                         

張り替えたお札を早々と焼いた。焼き芋までする時間はない、焼き芋は家のストーブの上で・・・・。

年越しの蕎麦を二日もつづけ喰い、元旦には雑煮を。と、ありふれた正月の風景である。十一月に吊るした柿はいい塩梅に出来ていた。

元旦二日と、妹の子供夫妻もやってきた。東京からわざわざ送った牛肉で「すき焼き」をする。田舎寿司や、三段のお重に詰めたお節などを出す・・・・。処が、これの売れ行きがよくない(来年は止めよう、と思う)。

そんな日々があっという間にすぎ、昨日の三日。午後の便で帰京となった。風邪をもったままに・・・・。

てな次第の年末始を過ごし、仕事始めの日を迎えた。どんな年になるのか・・・・皆目見当がつかない、所詮、風まかせの始まりである。

 今年も宜しくと  、お願いするばかりの年初であります。

 

 

 

 

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