オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ユズ収穫・・・

2019-11-16 | 弁当

11/16(土)今日が土曜日と気付いたのは、柚子を収穫するために畑に向かいながらすぐそばの郵便局が閉まっていたことから。早くも田舎ボケか?。

十時前から柚子の収穫を始めた。先ずは妹が一緒であった。今年の柚子は昨年の倍以上か!。柚子だけが豊作なのだ。こんなに多いと取る手間が、採った後の柚子酢を絞るのが大変なのだ。午後から従姉が姿を見せて手伝ってくれた。更に義弟のHIROKATUも来る。

半分ほど収穫した分はJAに持って行くことにし、義弟に集荷所まで運んでもらう。その後も収穫をつづけるも日暮れが近づいたので切り上げることにした。未だ全体の20%ほどの柚子が残っているが、明日の作業だ。明日は午前中に収穫し、午後からは絞って柚子酢を採る予定。

山里は午後の四時ごろには陽は西の山に隠れる。すると、もう夕暮れとなる。

本業じゃないので、沢山採れても困るのだ。柚子酢にして友人知人に貰って頂くしかない!。それと「奈加野」に送って引き取ってもらうことになるか。有料で!。

家に戻り、久々の労働で草臥れた体を風呂で癒す。それから夕食である。独りの夕食なので何を食そうが気ままである。昨日の残り物「オデン」「カボチャ」があるが、一品だけ「チキン&椎茸のバターソテー」を作る。ご飯代わりに安いラーメンに青菜(小松菜)を入れる。

                 

帰郷して六日となるが、一度もご飯を炊いていない。ご飯は冷凍してあったオムスビを一つ食べただけである。

早々と食事がすみ、昨夜に続いて渋柿を12個剥いて干し柿にした。こうなれば200個を目標に渋柿を剥きつづけるか?。そのためには柿を調達せねば・・・。こんなことをしながら長い夜を過ごすのも一興か!。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一汁一菜?

2019-11-15 | 弁当

11/15(金) 朝晩はめっきり寒さを感じるようになった。が、昼間は暖かく、活動すると汗ばむぐらいになる。今日は畑にて柚子を少し採った。本格的には明日、全て収穫する予定だ。そして翌日に柚子酢を絞ることになろう!。

午後にキラメッセ(道の駅)に出掛けた。しきび(仏壇に供える)と、魚に渋柿を買った。その帰りに、球根と花壇用の花を少し買った。帰宅後、花壇に植へ終える頃に山里は夕暮れになった。

今日も一人だけの夕食の用意を始める。が、体調が優れない従姉が「夕食のおかずがない」と、顔を合わせた時に言った。そんなことで、菜を作り届けることにした。

「カボチャ煮」「小イカとチンゲン菜の炒め物」「小松菜と油揚げの煮浸し」、たっぷりと煮た「オデン」などである。そんなことから吾輩の夕食も盛沢山。一汁一菜の目標はどこえやら・・・。食卓の上に藪柿を飾って友にし、一人飯を摂っている。だ!。

                

そんな夕食を終えてから、畑から採ってきた最後の渋柿を十数個剥いて干し柿にしたのである。これで都合、九十個ほどの柿を剥いて干したことになるが、小さい柿が大半である。まだまだ剥きますよ!。

                  

 

剥いた柿を吊るすために二階のベランダに出たら、東の山上に月が出ている。真上を見ると満点の星空が望めた。明日の朝は冷えそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山里の夜は更け

2019-11-14 | 弁当

11/14(木) 帰郷して以来、眠りに就くのは深夜である。何をやるでもないが眠る気分にならない。昨夜は十時頃になって雨が・・・。降るとは思ってなく、星空が見えぬかと小さなベランダに出ると小雨になっていたのだ。

冷え込んできた今夜は、星空が見えている。山里は結構に冷え込むのだ。さて、今夜は何時になれば眠りに就くのか。

今日は昼過ぎに高知市内へ。私の運転では心もとないと妹夫妻の車で出掛けることになった。市内にある古家を貸しているのだが、この前の台風で雨漏りがして屋根の修理をした。僅かながら損害保険に加入しており、調査員の実査がありその立ち会であった。

調査員が迷って30分程遅れて着いた。実査の方は三十分ばかりで済んだが、果たして修理費は出るであろうか?。工務店の修理見積を渡すと、それを見て「真面目な業者さんですね。50~60万の見積だと困ったなと思ってました」と言われた。事前に修理箇所は提出してあるので凡そ修理金額は想定済みであろうから。その言葉を聞いて、色んなケースがあるんだと思った次第。

帰りに安芸市内のスーパーに寄り、野菜と渋柿を少し買った。野菜はオデンでも作り置きして、数日間で食べようということだ。

五時近くに帰宅後、夕食の準備になったが簡単である。一汁一菜を理想とするので、かつてのように品数を作ることはしないし、ボリュームのあるものを作る気もない。ここ二ヶ月、過食で体が重くなっているのだ!。

そんな次第で、今夕は「大根おろし」「冷奴」に酒の肴はウルメイワシが二匹。煮物の残りにサラダの夕食。ご飯は冷凍してあるオムスビを一つ。以上である。

                 

食後に買ってきた渋柿を剥いたが、十個だけだ。後、70~80個は剥きたいがどうなるか?。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徒然なるままに

2019-11-13 | 弁当

11/13(水)今日は特に予定がない。昼前から昨日採った柿を剥いて吊るし柿にすべく用意をする。柿の渋で包丁の鉄分が滲みだして鈍色になる。途中でステン包丁に変えた。先ずは、四十個を剥き、熱湯に浸してから二階のベランダに干す。

薄日が差していたが、いつの間にか曇り空になっていた。庭の花木から一枝切って見様見真似で花器に活け、床の間に置いた。母は、生け花を長くやっていたので花が大好きだった。そんなことを思い出し、剣山に刺してみた。

                

様になっていないが、こんな遊心もいいだろう!。角度を変えて撮ってみた。

そして畑に行き、用が無くなった重要書類を焼くことにした。焚火をすれば焼芋と云うことになるが、その芋が傑作?。初夏に少しだけ芋の苗を植えた。それを掘ったが・・・。まるで栗ほどの大きさにしかなってなかった。こんなことは初めてだが、安納芋の苗の所為か、土壌の所為か、何れにせよ酷いものだった。が、それを焚火の中に入れた。結果は写真の通りながら、芋の香りと味は十分であった。こんなに小っちゃいと笑うしないが。

                 

畑は柑橘が殆どで、種類的には柚子が二十数本、小夏が大小四本、文旦が二本、後は一本づつで、甘夏・八朔・晩白柚・ネーブル・清美・小ミカン・温州・ポンカンが植えて十年から十数年になるか。然し、手入れの所為かどの樹も大きくなっていない。

         

 

三~四年ほど経つ若樹が、レモン・紅ミカン・晴美・デコポンである。これらの中で、豊作と云えるのは柚子だけで、比較的味のいい文旦・小夏が大不作である。

             

渋柿も五本あるが、全くの不作で二十数個しかない。それを採って帰り、干し柿にしたがこれが手間であった。果たして、美味い干し柿になってくれるか?。

 

そんな一日の締めくくりは夕食。粗食を旨とするが、ラーメンにした。生メン三食入り200円ほどのパックを買ってあるのでこれだ。椎茸・チンゲン菜・モヤシの具ににネギをタップリ。朝煮た大根&コンニャクの煮物とサラダ、そして妹が持ってきた切干大根煮になった。

食事のお供は、ニッカウヰスキーのザ・バレル51°のハイボール。なかなか入手できないこのウヰスキーは、自分が店をやるときのために一ダース買い溜めしておいたものだ。店オープンの計画がとん挫したので飲むことになった。

                 

食事後のデザートに冷蔵の「熟し柿」。これをシャーベットにして出しているのが熊本・菊池の「きじの松田家」さんである。次回はこの方式で試してみよう。

 

明日は高知市内まで出掛ける。市内にある古家が台風被害で雨漏り。その修理に伴う損害保険の査定だ。修理代が出ればいいが、期待薄だね。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰郷

2019-11-12 | 弁当

11/12(火)昨日の午後、予定どおりに曇天の東京を発って帰郷した。五分遅れで晴天の高知空港に着陸した。妹夫妻の迎えで実家に向かう。

途中、安芸市内のスーパーマーケットで食材を買うのも何時もどおりだが、本格的に田舎暮らしを始めるにあたっての方針は「清貧に生きる。一汁一菜を旨とする」だ。何処まで徹底できるかは?ながら、手始めと買い物を極力抑えたのである。

郷里での暮らしの主目的は実家の整理であるが、先ずは部屋や庭の掃除。黄色くなった畑の柚子の収穫と柚子酢絞りがある。実家に着いてすぐ、墓参りと隣接する畑の様子を見てきた。二十数本の柚子木しかないが今年は豊作のようだ。

           

昨年不作だった柚子とは裏腹に、文旦・小夏・柿などの果樹が全くの不作。吊るし柿用の渋柿も殆ど実が残っていない。今年は極端のようだ。

               

こんな畑の様子を確認してから、一人だけの夕食の準備をした。この日はウドンにした。野菜をタップリと鶏肉を少しだけ具にした煮込み風のウドンにした。他には竹輪胡瓜を少し、黒ビールを一缶のささやかな食事であるが・・・具の大さでお腹いっぱいに!。

                 

一夜明けた今日は庭の落ち葉を拾いと部屋の掃除が中心。トイレ掃除をしながら思い出したのは・・・、二年ほど会社のトイレ掃除をしたことだった。八時ごろに出社(定時は十時)して、男女のトイレを掃除した時期がある。その時のシーンを思い出したのだ。ふとした時に、過ぎし日に在ったシーンがまま甦る。

庭掃除をしながら空き家になっている隣の叔父の家の柿が目についた。掃除を中断し、妹を呼んでその渋柿を採った。木が高いので脚立を立て、長いはさみを使って四十個ほど頂いた。晒しと干し柿にでもしようと。

          

柿の木は見えないが、叔父の家は橋の向こうに見えている。空き家になって三年は経っか・・・。

かくして田舎での二日目の夕食は「焼きそば」「豚バラとのチンゲン菜炒め」に、朝食で残った「厚揚げと椎茸・四方竹煮」と「サラダ」にした。

テーマは清貧に生きる!だが、副菜の品数を少なくしても量が結構あるのでとてもじゃないが清貧の気配や何処である。

庭の落ち葉拾いは済んだが、花壇の草取りも、中庭の掃除も未だ。野菜畑の草取りと耕しもある。気長に行こう、田舎暮らしは始まったばかり。時間だけはたっぷりとあるはずだから。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壮行会・・・

2019-11-10 | 弁当

11/10(日)東京で過ごす最後の夜になった。年末には一旦帰京するので、大袈裟な言い方ではあるが!。明日の午後、13:15発のANAで郷里の高知に向かう。

昨夜、東京から故郷に拠点を移す私のために、人形町の酒場「ちょっぷく」のメンバーが壮行会なる飲み会を開いてくれた。約束の夕方六時、店に行くとこの夜のメンバーが揃い、宴会の準備が整っていた。

店は土曜日なのでランチで終わり、掃除などを済ませて宴会準備をしてくれたのだ。二年ほど前まで、現役で仕事をしていた頃、土曜日出勤の帰りの夕刻に店によって仕事仕舞いの酒席に加わり飲み、唄いなどして一緒に遊んだものだったが、土曜日にここで飲むのは久しぶりであった。

この夜のメンバーは、オーナー店長のYMAKAGEさん(通称YAMAちゃん)、チーフのヨッチャン、何時も助っ人として店を手伝うマッチャンとFUNAKIさん(通称フナッシー)にケンちゃん。そして人形町パトロール隊と称して一緒に飲み歩くHOYA兄いとNAKAMURAさんであった。

テーブルの奥の棚に、なんと「有澤様壮行会」なる文字が・・・。マッチャンの作らしいが、ちょいと大袈裟じゃないか?。

              

お酒はなんでもあるが、自分好みのニッカのバレルというアルコール度数51°のウイスキーを持参。酒の摘みは鉄板焼き、鍋、ヨッチャン得意のもんじゃ焼きなどであった。フナッシーが鍋奉行、一番若いケンちゃんが鉄板焼きを担当した。

YAMAちゃんがよく冷えた日本酒を何本も出してくる・・・。酔いに任せてか「長い間ありがとう」なんて言いやがる。礼を云うのはこっちの方だよ、と応じたが。

三時間程飲み食いで騒いだ後は、お決まりのカラオケとなった。マッチャンが代行ママをしている「セイジュ」に場所を移して唄いまくり・・・。いつの間にか23時半を過ぎていた。

            

そんな次第で、皆さんに甘えて楽しい一夜を過ごしたのである。人形町は人情の厚い良い町だと、つくづく思わせてくれた。

皆さん、ありがとうございます。 。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宴&邂逅

2019-11-09 | 弁当

11/9(土) 木曜日の午後、武蔵小金井のTUGAWA&HANAOKA女史宅を訪問。帰郷前のひと時を歓談して過ごした。二時半から八時半まで六時間もお邪魔をし、女史の手作り料理とお酒を堪能して来し方行く末を話し合った。

             

この家を訪ねると、居心地のよさに長居をしてしまうのが常である。甘えてばかりだ。挙句に、POLOの素敵なセーターをプレゼントされた。忝い!。

そして翌朝の金曜日を迎えた。最後になるかもしれぬ弁当を作る。「スキ焼」「厚揚げの根菜煮」「九条ネギとイカの酢味噌」「小松菜&油揚げの胡麻油炒め」「シメジ豚巻き」、焼きタラコとスクランブルエッグになった。

            

小松菜の胡麻炒めとスクランブルエッグにしたのは、弁当箱のスペース制約があることから、ご飯の上に載せるためだ。

 

こんな弁当を作り終え、外出の用意をした。夕方には錦糸町のホテルで「関東高知県人会大懇親会」があり、これに出席するので最近では珍しくスーツを着用した。ワイシャツは好みのボタンダウンのピンク、ノータイである。

その前に、一番の大事なことがある。東横線菊名駅からJRに乗り換えて新横浜駅へ。ここから新幹線で三島へ。三島駅で心の友、MIWA君に会うのだ。凡そ四十年も顔を合わせていなかったが、帰郷前に会えることになった。十代に出会った三島、彼の最寄り駅と云う三島へと向かった。

                  

どんな風になっているか?と思いつつも、彼のこと故昔と変わっていないだろうなどと想像しながら。こっちは身も心もボロボロの雑巾のようなものながら・・・。

正午前、三島駅に着くと、MIWAは昔のままに精悍で、落ち着いた太い声でにこやかに迎えてくれた。彼の車に同乗し、食事を摂る沼津の鰻屋に向かいながら邂逅までの諸々を聞く。随分と苦労があったとのこと・・・。

彼の心中をおもんばかるばかり。それもすっかり過去のことになり、元気に暮らしていた。旨い鰻を頂きながら、妻のYUMIKOさんや家族のことを聞く。何しろ四十年も月日が流れているのだから。

長男は防大を出て防衛省に勤務、米国の大学にも留学したとのこと。防大と云えば観音先の高台に建つ。自分が横須賀の研究所に勤務したおりには防大の副学長と親しくしていた。

次男は米国の大学を出、その縁で知り合った女性と結婚。今は津軽岩木山の麓の旅館を継いでると言う。岩木山の麓と云えば岳温泉になるが、訊けばそうだという。

岳温泉を下りた直ぐのところに湯段温泉があり、佐藤初女さんが主催する「森のイスキヤ」があり、取材などで何度か尋ねている。岳温泉のバス停前にある旅館のことも記憶にある。様々に縁のつながりを実感するのであった。

すぐ裏に狩野川が流れる鰻店を出て、沼図市内を抜けてMIWAの家に向かう。沼津は静岡県東部では最大の街だが、シャッター通りになりつつあるとか。都会だったのにねぇ~、残念だ。

MIWAの自宅は、かの駿河銀行のオーナーが開発した裾野の高台に広がる、ゆったりとした邸宅が建つ処にあった。落ち着いた佇まいの宅で、YUMIKOさんが迎えてくれた。髪型も野際子さん風の昔のままに素敵だった。

掃除の行き届き無駄を省いたリビングに腰を落ち着けて、お互いの行く末についてあれこれと話しながら、かつての時代が甦るのであった。

新婚間もない夫妻が住んだ原駅の近くの小さな借家に泊まり、朝飯と茄子の糠漬けの美味しかったこと。牛臥の実家に泊めてもらった夏のこと、大瀬崎の剣道部キャンプにMIWAがヨットで来てくれたことなどに思いが至るひと時であった。

夫妻に三島駅に送ってもらい、別れを告げた。邂逅し、旧交を温めて充足感があった。会えてよかった。新幹線ホームに上がると夕日になろうとしていた。

              

16:24発の「こだま」にて東京へ。混雑する東京駅で総武線に乗り換えて錦糸町に向かい、ホテルの宴会場に入ったのは会が始まるところであった。

 

弱小の町、出身高校のテーブルは中学の同級OGAWA君に地元からの町長・副町長、遅れて先輩が来た。知人たちと挨拶を交わしながら故郷の料理や酒を頂く。

             

マグロの解体ショーが始まり、物まね芸人が舞台で芸を披露して会を盛り上げる。そんな時間を過ごしてから、先輩に誘われるままにOGAWAと渋谷「奈加野」へと流れた。珍しく奈加野は盛況!。先輩の予約で小座敷を空けてくれていた。

店主のNAKANOオヤジも座り込み、一緒に飲み始めた。私の送別だからオヤジがご馳走すると言うが、料理なんか要らないと断る。飲むのは俺のボトルだし・・・。郷里の同じ町の出身が四人、田舎の話に尽きた。引き留めるオヤジの所為で、帰宅は零時を過ぎたが、気分のいい一日であった。

 

土曜日の今夕、人形町「ちょっぷく」のオーナー店長YAMAちゃんとチーフのヨッちゃん、それに常連の数人で送別会をしてくれるそうだ。有難いと云うしかないか・・・。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

獺祭の如くに・・・

2019-11-07 | 弁当

11/7(木) 一日一日と時が過ぎ、帰郷まで今日を含めて四日となった。会わねばならぬ人、会いたい人とメモにしたが、その大半に会えぬまま会わぬままの旅たちになろう。落ち着いたらハガキでも出して挨拶とするしかない。

帰郷前の為すべき事項の一つに部屋の片づけがあった。これまで文庫本の大半は誰かに渡してきたが、未だ古い本や手紙の類など書棚・引き出しの中で眠っていた。期日に迫られて昨日の昼前から部屋の片づけを始めたが・・・。

これが一向にはかどらず、遅々として進まない。夕方になっても散らかったままで、漸く六合目と云う塩梅。七時から家族の食事会で焼肉屋に集合だった。途中で諦め、三十分以上遅れて駅前の焼肉店「東紅苑」に向かった。

             

部屋の中は散らかり放題で、さながら獺祭の如くなり。余りにも散らかったまんまなので写真を撮ったと云う次第である。

この夜の食事会は末娘のAZUSAが発起人で、給与手当てが出たので皆に馳走するとLINEで集合を掛けたのだ。家族六人に、婿&嫁に孫一人が集まった。賑やかに飲み食事をしたが、長男のAIBUNは、三姉妹から、実家をどうする気だと詰められ面白かった・・・。

帰宅し、片づけを続行!。一段落つけたのは深夜二時であったが、そこから掃除機をかけた。未だ、衣類や書類が残っているが、土・日の昼間にでもやるしかないネ。

この日の弁当は「四方竹&鶏の炊き込みご飯」、菜は「四方竹&万願寺&油揚げ煮」「味付き焼肉」、魚は「粕漬焼き」、茹でモヤシの胡麻油和えに出汁巻き卵であった。

          

 

そして今朝の弁当になるが、二日続けて炊き込みご飯だったので銀シャリ御飯にした。菜は「ハンバーグ&ピーマン肉詰め」「オージービーフのカットステーキ」「小松菜の煮浸し」「豚アスパラ巻き」「焼鮭」に炒り卵である。

      

弁当作りも、余すところ一回か二回である。これまで、唯一の存在を示せる場であったが・・・。これも致し方ないか。

                

田舎暮らしとなれば、このBLOGテーマをどうする?、止めるのもありかな・・・。

 

今日の午後は、津川さんを訪ねて懇談する。明日は、懐かしの三島にてMIWA君に会い、夕方から錦糸町のホテルで開かれる関東大高知県人会なる郷里の会に参加。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田辺慶治さんを偲び・・・

2019-11-05 | 弁当

11月5日(火)祝日の昨日、御徒町駅前の吉池9階の「吉池食堂」において五月に急逝した田辺慶治さんを偲ぶ会があった。集まったのは、田辺さんと職場を同じくして親交が深かった面々である。

交通機関の乱れで一人が欠席し、酒席やバス旅行などを共にした十一人が集って田辺さんの冥福を思い出話で祈った。私は二年、職場を同じくしただけながら、その後二十年近く付き合いがつづいたことになる。これだけ愛された男も少ない。

九階の窓から見える秋晴れの空は澄み渡り、それぞれの思い出話に頷きながら田辺さんを偲んだ。お墓は埼玉の児玉にあるとのこと。揃って墓参をしたいものだと云うことになった。出来れば、来春の四月が有難いと伝えた。

二時間半の偲ぶ会がお開きになってからも、話したりないのか二軒目の居酒屋にも全員が揃った。

           

昨年の小森谷さん、そして今年は年下の田辺さんとつづいた。元気で居てくれるのが何よりである。

 

さて、今日の弁当について記したい。今朝は「チンジャオロース」をメインに、「ブリの照り焼き」「春雨のサラダ」「茄子&豚肉の味噌炒め」「出汁巻き卵」とした。

            

出汁巻き卵の芯にホウレン草を茹でて入れた。ご飯は「栗ご飯」であるが、チンジャオロースとはアンマッチである。これも愛嬌と思えばいいか・・・。

              

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉家の会

2019-11-04 | 弁当

11/3(日) 時刻は既に11/4になったが、気分は未だ3日の日曜日のままである。

土曜日の夕刻五時に上野駅アトレ二階にある「米香」なる居酒屋で、横須賀の研究所に勤務した当時に単身者寮で一緒だった数名と、隣に在ってお世話になった「埼玉家」と云う店のご夫妻で歓談。年に一度、この時期に持ち回りの幹事で会を開いき旧交を温めている。

今年もスケジュール調整が大変だったと、幹事役のUENOさん。メンバーの二人が欠席で、六人での会になった。特に、私が来週から帰郷するので無理に2日の土曜日に設定してくれたようだ。

五時前に店に入ると、既に埼玉家のご夫妻が着いていた。女将さんが趣味で集めていたぐい飲みの猪口から、記念にと落ち着いた色合いで風雅のある猪口を一つ頂いた。

            

これに郷里の銘酒「南」の大吟醸でも注いで飲むとひと際旨さが増しそうだ!。私も今回で最後になるやもしれないので、自宅の近所にあるケーキ屋「マッターホーン」でクッキーを贖って皆さんに渡した。

このケーキ屋さんに皇室の某令嬢と婚約したKEI君の母が勤めていたので、騒ぎとなったことがある。

三時間の飲み放題と云うことで、よく飲み、食べ、喋りと楽しいひと時はあっという間に過ぎていった。

 

そして今日の夕刻、待ちに待った沼津のMIWA君から電話があった。何十年ぶりかで聞く彼の声は昔のままであった。郷里に引き上げるにあたり、どうしても彼と会っておきたかった。電話番号が分らず、ハガキを出して彼からの連絡を待っていた。

MIWAとは大学一年のオリエンテーションの席で偶然にも知り合い、以来十年に渡り交流がつづいたが、その後途切れて年賀状のやり取りだけになっていた。彼の実家や、新婚間もない彼の家に何度も世話になっている。

早かった彼の結婚式にも出たし、私が結婚した際にはまだ幼い子供を連れて田舎まで来てくれた。剣道部員たち連れて行った夏の大瀬崎、富士の裾野の乗馬クラブに遊んだこと、奥さんの糠漬けの美味かったこと、学生時代の八丈島への貧乏旅行・・・。クルーザーを数年かけて手造りした彼の根気。素晴らしいやつだ。

その後、仕事や遊びにかまけて長い長いご無沙汰となったが、MIWA夫妻の交流、お世話になったことは勿論、人柄と忘れようもなく、会いたくてしょうがなかった。東京を後にする前に会って礼を伝えたかった。

八日金曜日の昼、三島駅で落ち合うことになった。四十年ぶりに会う彼の姿を、彼の親父さんに重ねているがどうなっているだろうか・・・。この夜、どうしても外せない会があり東京に戻る必要がある。昔のようにゆっくりと過ごす時間がないのが残念である。

良い連絡があった後の夕食作りは軽快である。この日の夕食は鍋、アンコウと鶏つくね、豚シャブに野菜をたっぷり。後は根菜の煮物だけであるが・・・。

 

夕食後、友人に渡すのを忘れていた宮本常一の文庫本三冊(民俗学の旅・忘れられた日本人・旅する巨人)を送る用意をした。

明日は、昼前に御徒町へ。駅前の吉池ビルのレストランで五月に急逝したと云う田辺君を偲ぶ会に出る。田辺君とは上野通信機器営業支店時代に一緒だった。明るくてフットワークがよく、営業マンたちは助かっていた。飲み会・旅行会では座持ちがよくて慕われていた。そんな彼らしく、退職後もキャリアを活かした次の仕事で元気に働いていたはずだが・・・。残念である。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする