SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 45

2013年07月07日 | 日記

 

  福音の道しるべ 45

もしもキリストの苦しみが、肉体的苦痛だけによるものであったとしたら、彼の死は、他の殉教者たちの死以上に痛ましいものではなかったことになる。

 しかし、肉体の苦痛は、神のいとし子が味わわれた苦悶のほんの一部に過ぎなかった。世の罪が彼にのしかかり、犯された律法の刑罰を受けられた彼は、天父の怒りを痛感なさった。・・・罪が神と人との間を引き裂くのであるが、カルバリーのお方はその断絶を十分に悟り、強烈に感じられたのであった。彼は、暗黒の勢力に圧迫された。未来を明るくしてくれる一筋の光も、彼には見えなかった。

     

 ああ、何と偉大で驚くべき愛であろう。キリストの愛は、死よりも強いものであった。なぜなら彼は、私たちを罪から救うためならば、たとえご自分が永遠に失われようとも、私たちのために死なれる決意をなさったからである。これが、十字架の意味するところである。読者諸君、あなたはイエス・キリストに心をささげただろうか? すべての罪を捨て去って、十字架のもとにひれ伏しただろうか? もう二度と、キリストを十字架につけた罪を繰り返したくはないので、それらの罪を捨て去る力を祈り求めたことがあるだろうか? ひたすら神を愛し、神の御心だけを行うと決意しただろうか? もしそれをしていたら、あなたは贖いの経験をしていることになる。もしもこの経験をしていなければ、十字架のもとにひざまずくことをお勧めする。なおもキリストは、至聖所であなたを待っておられるのだから。


 

   説教集 愛とゆるし 3 上がったり下がったり

「お天気信仰」という言葉があります。日本人に多いそうで、お天気がいいと心がウキウキして楽しくなり、天気が悪くなるとイライラして、神も仏もあるものかと思ってしまう、心の状態が環境や感情に非常に左右されやすい人のことだそうです。いくらいい決心をしても、次の瞬間にはそれを破ってしまう。あるいは、三日坊主で、何事も長続きせず上がったり下がったりの毎日……。

しかし、考えてみますと、私たちは誰でも、そういう面を持っているようです。そして、私たちが環境や感情に左右されやすいものであること、いい決心をしてもなかなかそれを実行できないこと、そこに私たちの大きな問題があるのではないでしょうか。

実は聖書の中にも、私たちと同じような、いや、私たち以上に上がり下がりの激しかった人の事が出てきます。新約聖書マタイによる福音書26章31節~35節です。

その時、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなた方は皆わたしにつまずくであろう。『私は羊飼いを打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである」。……すると、ペテロはイエスに答えていった、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。イエスは言われた。「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」ペテロは言った。「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。

これは有名な、キリストの別れの説教の場面です。キリストは、まもなく自分がローマ兵によって捕らえられる運命にあることを悟っておられました。そこで、自分がいなくなった後も、弟子たちが失望することなく信仰を持ち続けていくようにと諭されたのです。特に、キリストという中心を失った弟子たちが、どんなにもろいかをよく知って、あらかじめ弟子たちのつまずきも予告しておられました。ところがそれが気にいらなかったとみえ、弟子のリーダー格ペテロは、キリストに、「どうしてそんな事をおっしゃるのですか。他の者ならいざ知らず、私はあなたにつまずくことなどありません。」と大見得をきりました。ペテロという人は、もともと漁師でしたから、おそらく腕っぷしなら誰にも負けないぞというような力自慢、筋骨たくましい勇み肌の人間であったことでしょう。しかも、キリストを信奉する心も、人一倍強かったのです。それなのにキリストが、十把ひとからげで、「みんなつまずく」と言われたので、たまらずそう答えたのでしょう。

それに対してキリストは、おだやかな口調で、「今夜、にわとりが鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うよ」と、もう一度念を押されました。そこまで言われたペテロは、悲しみと憤りの混じった心で、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」と叫びます。弟子たちもまた、同じように答えました