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光の威力を例証してみよう。たとえマッチ一本でも、真っ暗な部屋の中で点火すれば、闇は消失する。光がどんなに小さくても、闇は光に勝つことができない。太陽が昇ると、地を覆っていた闇は追い散らされる。光が照り輝くと、木々やつるの陰は退いてしまう。
キリストは、「わたしは世の光である」と言われた(ヨハネ8:12)。光が私たちの心に入ってくると、あらゆる誤りと罪は追い散らされる。私たちの魂は、肉体となられたみことばなるキリストを通して純潔にされる(Ⅰペテロ1:22参照)。つまり、キリストが私たちの内に宿り、私たちが彼の内に宿るとき、私たちは光の子らとなるのである。キリストの内に宿るとは、彼が歩まれたように、みことばと戒めに従うことである。「もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである」(ヨハネ15:10)。真理に従うことによって、キリストが聖霊を通して私たちの内に宿られるように、私たちはキリストの内に宿るのである(ローマ8:5参照)。
説教集:永遠の愛 ⑥ よき死はよき生から
大阪に淀川キリスト教病院という所があります。ここは、日本の終末期医療・ホスピスの草分け的な働きをしてきた病院です。この病院のホスピス長をしておられる、柏木哲夫先生という方がこのように書いておられます。
「私は今まで臨床医として400人近い人の死に、直接、間接にかかわりを持ってきました。中には本当に平安な死を迎える人があるかと思うと、苦しみ悩みながら死を迎える人もあります。そのありさまは人それぞれ、実にさまざまです。しかし、多くの人々の死を看取ってきて、もっとも印象に残り、また教えられたことは、人は生きてきたように死んでいく、ということです。言いかえれば、人は生きてきたようにしか死ねないということです。しっかりと生きてきた人はしっかりと死んでいきます。人に感謝しつつ生きてきた人は、人に感謝しながら死んでいきます。人をいたわって生きてきた人は、残される者をいたわりながら死んでいきます。いっぽう、まわりに依存して生きてきた人は、医者や看護婦に、そして家族に依存しながら死んでいきます。すべて、その人の生きざまが死に反映するというのが患者さんから教えられた一番大きなことでした。よき死を迎えるためには、よき生を生きなければならない。これは私自身がこれまでホスピスの働きを通して学んだ最大のチャレンジであると共に、私の人生に対するチャレンジでもあります」。(『安らかな死を支える』)
よき死を迎えるためには、今日という日をよく生きる必要があります。そのよき生を、そしてよき死をイエス・キリストは私たちに教えて下さるのです。
《 あなたによき生が与えられますように 》