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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主イエスは私たちの模範 第6回

2016年02月02日 | 日記

     低さのきわみまで

イエス様は、最も低いところまで下ってこられました。彼は、私たちと同じ弱い堕落した肉体をとってこの世に来られたのです。人類が失敗してしまった、その戦いにおいて勝利するために来られたのです。そして、その生き方を私たちが模範とすることが出来るために、イエス様はこの世に来てくださったのです。これが、受肉の奥義です。イエス様が同じ条件で人として勝利されたのだから、私たちもそのようにすることが出来ます!イエスがされたように、「イエスの信仰」を持ち、聖霊様の助けを受けるなら、イエス様のように生きることが出来る、私たちがそのような希望を持つことが出来るように、イエス様は人となられたのです。

ガラテヤ4章4、5節を読みます。

「しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。 それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった」。 

なぜここで聖書は、子どもになるという表現ではなく、「子たる身分を授ける」、養子にすると言っているのでしょうか? ローマの法律では、いったん養子にした子供を勘当することは出来なかったのです。養子でない自分の子供であれば、本人が子どもであることが嫌だとか、親が勘当した場合は、親子の縁を切ることが可能でした。しかし、自分の意志で養子とした場合、勘当することは出来なかったのです。その子どもがどういう子なのかをよく分かったうえで、自分の意志で養子としたからです。ですから聖書は、私たちに「子たる身分を授ける」と書いてあるわけです。私たちは、神様の息子、娘となれるのです。これは、なんという大きな特権でしょうか。