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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

イスラムの台頭と聖書の預言 第2回

2016年02月13日 | 日記

 聖書の光

 

ペテロ第二の手紙1章16節から19節に、このようなことが書かれています。以前「変貌の山」と言って、イエス様の姿が、突然変わった出来事があったんですけれど(マタイ17:1~8)、その出来事を目のあたりにした、姿が変わられたイエス様を見たペテロが、このことについて述べているんです。自分はこの目で天の栄光のうちにおられるイエス・キリストを見た、と言っています。そして父なる神様の声が実際に天から下ってくるのを、耳で聞いたと言いました。そう言った後、19節でこのように述べているんです。「こうして、預言の言葉は私たちに、いっそう確実なものになった。あなた方も夜が明け明星が昇ってあなた方の心を照らすまで、この預言の言葉を暗闇に輝くともしびとして、それに目をとめているがよい」。ここでペテロはこう言っているんですね。「私は、光り輝く神様の栄光を目のあたりにしました。天から下ってきた神の声を耳にしました。これは本当に起こったことであり、私はうそを言っていません。それに関しては命を懸けてもいいです」と。しかし彼は、「私たちにはさらに信頼を置ける、もっと確実な預言の言葉が誰にでも与えられています。それが聖書なのです」と言ったのです。

「私がこの目で見た、この耳で聞いた、超自然の出来事よりもさらに確実なものが、この聖書の預言の言葉である」とペテロは言っているのです。過去において、多くの、本当に心の真っすぐな、謙遜な人々が、この確かな預言の言葉から、神様に信頼することを学んできました。

黙示録を書いたイエス様の弟子であるヨハネは、パトモスという島にいるとき、幻を見せられました。その幻の中で、彼は驚くべき光景を見せられました。その幻を見せられたヨハネは、後の時代の私たちが理解できるようにと、彼が見たこと聞いたことを、預言の言葉として巻物に書き表しました。

私はこの聖書の預言というものを、長年にわたって研究してきました。その結論として申し上げますが、聖書の預言の言葉というのは、まさしく信頼に値する神様の言葉です。この、黙示録に描かれている様々な預言の中に、七つのラッパと言われている場所があります(黙示録第8章、9章)。聖書の預言を理解するにあたって、重要なのは、その解釈をするためのキーワード、そのカギとなる言葉を見つけることです。そうする時に、聖書の言葉で聖書を解釈することが出来るようになっています。聖書の中にある様々な謎、その神秘的な箇所を、鍵となる言葉、キーワードでもって解き明かすことが出来るようになっています。ある学者が解釈する言葉に、私たちは信頼を置くことは出来ません。