全的献身の象徴
次の段階は、その動物の皮をはぐことですが、それは、これまで自分の欲望と名誉のために生きてきた、高慢の皮をはがして、神様の義の衣を着て、神様のために再び生きる誓約をすることを意味します。この燔祭の儀式は、悔い改めを通して、真に生まれ変わる経験を表しています。
次に、いけにえの腹を上から下に切り裂き、その中にある内臓を全て取り出し、きれいな水で洗います。それは、私たちの全身全霊を、神様に捧げることを意味しています。「神様!今まで私は自分を喜ばせるために、タバコの煙を入れてきました。これからはこの肺を、神様が喜んで下さることのために用いていきます。神様!私はこれまで、胃腸の中に、自分の好きな物を好きなだけ入れて生きてきました。主よ、私は悔い改めます。これからは、飲むにも食べるにも、また何事をするにもすべて神様の栄光のために生きます」。
そのように、内臓の一つひとつを洗いながら、罪人は、自分の全身が、洗い清められなければならないことを感じます。また、水は聖書では、聖霊と神様のみ言葉を象徴しています。それゆえ、私たちは、水と聖霊によって新しく生まれ変わるように教えられているのです。新しく生まれるとは、神様の真理のみ言葉と、聖霊の造り変える力を通して、罪が洗い清められ、自由にされ、そして新たな心を授かることです。
いけにえの頭と、二本の足は切り離されました。頭を切り離すということは、私たちの思考や、感情、心の動機まで、全てを神様に捧げること、これからは自分の考えではなく、神様に頼って、み言葉によって生きることを意味していました。
二本の足は、私たちの生活や行動を象徴しています。足の向くまま、自分の行きたい所へ行き、やりたいように行動してきた私たちの生活習慣を捨て、聖書と聖霊によって清められ、真理に従って生きるようになることを表していました。
その後、全ての部分を祭壇の上に並べて焼き、燔祭としなければなりませんでした。その焼かれる香りは、神様に「ささげる香ばしいかおり」(レビ記1:9)と言われていますが、その理由は、罪人が完全に屈服し、罪を捨てて神様に全的献身したことを象徴していたからです。神様は動物の脂肪が焼かれる香りを好まれるのではなく、罪人が罪を放棄して御前に進み出ていくことほど、神様が喜ばれることはないからです。