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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

主イエスは私たちの模範 第7回

2016年02月03日 | 日記

キリストが手放された5つのもの

イエス様が受肉された時、5つのものを手放されました。青年の皆さん、もし、このことを理解していないのでしたら、是非、メモをとってください。

まず、イエス様が手放されたもの、それは、全能の力です。全能の力とは何でしょうか?

それは、どんなことでもすることができる力です。ヨハネの福音書5章30節にはこうあります。

「わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである」。

イエス様は、常に神様の御心のみを求められ、自らの全能の力を手放されました。神様の御心を求めそれに屈服されたのです。 

2番目は、神様としての記憶を手放されたことです。そういうふりをされたのではないのです。ルカによる福音書2章5節にはこう書いてあります。

「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された」。

この世界を創造された方が、私たちと同じように一つひとつ学んで知識を増されたのです。

3番目は、全知であることです。イエス様は、全てのことを知っておられました。しかし、それをも手放されたのです。マルコ13章32節を見てみましょう。

「その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」。

イエス様がこの地上で生活された時、彼は、もう一度来る再臨の時を知ることが出来なかったのです。全知であることを手放されたからです。神様としての能力を手放されたのです。

なぜ、こういったことを話しているかと言いますと、理由は、一つです。イエス様は、私やあなたと同じ条件でこの地上で生活されたということです。そのことを強調したいのです。

4番目は、遍在する能力です。イエス様はこれを手放されたのです。『各時代の希望』という本にこうあります。「キリストは、人性の制約を受けておられたので、どこへでもみずから行かれるわけにいかなかった。だから、キリストが父のみもとに行かれて、地上におけるご自分の後継者として聖霊をお送りになることは彼らの利益であった」(各時代の希望上巻153p)

 

地上に来られたイエス様は、遍在することが出来なかったのです。ですから、別の慰め主を送ってくださったのです。イエス様は、天におられても栄化された肉体を持っておられます。ですから、遍在することは出来ないのです。イエス様は、私たちの長子となられたのです。それが、イエス様が聖書で神の子と言われている理由です。イエス様のこれほどまでの犠牲を私たちは理解し尽くすことは出来ません。遍在出来ないというのは、色々な所に行けないということではありません。私は、ジョージアに行って、テキサスに行って、中国に行く、そういうことは可能ですね。遍在というのは、そういうことではなく、同時に色々な所に存在するということなのです。イエス様は、私たちのためにそれを手放されました。またこう言われています。

「キリストは、栄化された人体をもって天の宮に上られた」(8TC巻267p)。

神様を心から賛美したいと思います。ここにイエス様は、どのような肉体を持っていらっしゃると書いてありますか? 栄化された人体です。私たちが天国に行く時の体ですね。

神様の驚くばかりの愛と、犠牲を心から感謝したいと思います。

5番目は、その栄光です。主は、その栄光を私たちのために手放されたのです。

『レビュー&ヘラルド』という雑誌の記事にこうあります。

「このお方はご自分の栄光と大権を放棄された。このお方は神であられた。しかし、神のかたちの栄光を一時のあいだ手放された」(1887年7月5日号)。

 

ヨハネの福音書17章を呼んでみますと、イエス様はこの地上で神様の業を成し遂げて、その栄光を表されたと書いてあります(4節)。そして、「世が作られる前にもっていた栄光でみまえで私を輝かせてください」と嘆願し、「彼らがその栄光を見ることによって、天の御国で一緒にいることができるように」と、と祈られたのです。イエス様は、私たちのためにその栄光を手放されました。