イスラムのヨーロッパ支配
当時の背教した教会とはどの教会でしょうか。ローマ法王教、カトリック教会以外の何物でもありません。この教会は、異教の様々な偶像礼拝の教え、慣習をキリスト教に取り入れて、まぜこぜにして、聖書の真理からかけ離れた教会を築いていったものでした。このローマ教会がキリスト教全体を変えてしまったのです。
しかも、神様の真理、神様の民に対して反逆し、神様の民を迫害する側に回りました。中世時代にローマ・カトリック教会が迫害して殺したクリスチャンの数は5千万人から1億人に及んだと言われています。では過去にイスラムの軍隊が、背教した教会を襲って危害を加えたことがあったでしょうか。歴史がそのことを証明しています。その通りなんですね。1299年8月27日から1449年7月27日まで、イスラム勢力が東ローマ帝国を攻撃したわけです。そしてついには、イスラムがヨーロッパの国々の王位を継承する許可を与えるほどになりました。東ローマ帝国がイスラムの膝元に屈する時まで、こういった状態が続いたわけです。
ローマ法王教に対して、東ローマ帝国に対して、イスラムの攻撃は150年間続きました。そういった歴史を見ると、私たちは預言が実際に成就したことを、過去の歴史の証拠から見てとることが出来るわけです。神様ご自身がイスラム勢力が台頭するのをお許しになってローマ法王教、ローマ帝国を攻撃し、その力を弱めるように導かれたわけです。
黙示録9章12節にはこのように書かれています。「第一の災いは過ぎ去った。見よ、この後なお二つの災いがくる」と。この神様の言葉によると、背教した教会、背教した国家に対する神の災いはすでに過ぎ去った。しかしなお二つの災いが、将来やってくると言っているわけです。
14節には次のように書かれています。「ラッパをもっている第六の御使いにこう呼びかけるのを私は聞いた。『大ユフラテ川のほとりにつながれている四人の御使いを解いてやれ』」。ここで言われている四人の御使いというのは、イスラム勢力の四人の主だった指導者なんです。この四つの勢力、イスラム内の四つの勢力が結合して、さらに強力なものになっていきました。15節を見ると「その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使いが人間の3分の1を殺すために解き放たれた」これはどういう意味でしょうか。
3分の1であってすべてを殺すためではなかったということです。しかも、その攻撃期間というのは、1時間、1日、1月、1年でありました。このことを覚えておいて下さい。17節をお読みします。「そして、幻の中でそれらの馬と、それに乗っている人たちを見ると、乗っている者たちは、炎の色と青玉色と硫黄の色の胸当てをつけていた。そしてそれらの馬の頭は獅子の頭のようであって、その口からは火と煙と硫黄とが出ていた。」ここに3つのことが描かれています。
まず第二の災いにおいて、四人のイスラムの勢力の主だった人たちが、解き放たれてイスラム勢力を盛り上げたわけです。その結果、彼らが東ローマ帝国を痛めつけて、攻撃してそれが1年、1カ月、1日、1時間続いたと言うわけです。彼らは様々な武具を見につけていました。胸当てですね。非常に合理的な武具を身に着けていました。そして馬を見ると、その頭はライオンの頭のようだと書かれていますね。そしてその獅子のような顔の口から火と煙と硫黄とが出ていたと言うのです。非常に奇妙ですよね。これが第二の災いの描写です。黙示録の幻でヨハネが見せられた、これは、まぎれもない軍隊で使われた大砲のことだったのです。こういった大砲という武器を用いた最初の軍隊が、イスラムの軍隊でした。こういった大砲を馬で引っ張ってきて、敵地に向かって大砲を打ち込むわけです。
獅子の顔のような口から、煙、火、硫黄が噴出されたと、そのような描写がなされています。そしてその大砲の弾が敵の基地に届いた時には、爆発して多くの人を殺すわけです。そういった驚くべき勢力を描くのに、ヨハネはあのような描写をしたわけです。そして、過去の歴史において、黙示録の預言通りのことが、期間を含めて正確に成就しました。この記述について見ていただきたいのですけれども、1年、聖書の預言で1年は360年です。なぜならユダヤカレンダーではひと月というのは30日でした。そういった観念を基に計算していきましょう。1年は360日です。ひと月というのは30日、360プラス30、いくつになりますか?390日で390年ですね。聖書の預言では、象徴的に1日は1年を表わします。ひと時は1時間です。預言の計算では、1日は24時間ですから、1時間はその24分の1、預言の計算では360÷24で15日に当たります。聖書の預言のひと時、1時間というのは15日です。それを全部足していきますと391年と15日に当たります。