聖所は救いの青写真
こんにちは。聖所セミナーへようこそ。
まず、前回の学びの復習をしたいと思います。聖所の目的とは何だったでしょうか?
神様はなぜ、この地上に聖所を造るように言われたのでしょうか。確信を持って言えることは、この聖所のメッセージこそ私たちを現代のイスラエル、真の神様の民とするものだということです。聖所のメッセージは、救いの問題を明確にする青写真です。私たちは、イエス様の真の福音を伝える使命を持っています。それは、永遠の福音です。聖所のメッセージは、神様がどのように私たちの心から罪の問題を解決するかを教えてくれるものであります。神様は、3つの段階を通して罪の問題を解決されるのです。それは、外庭、聖所、至聖所です。これらは、それぞれ義認、聖化、そして、調査審判の経験を表しています。
詩篇77:13 欽定訳には、「おお、神様、あなたの道は聖所にあります」と書いてあります。
また、出エジプト記25:8にはこうあります。
「また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである」。
今回の講義では、聖所の外庭の経験、義認について考えていきましょう。前回の講義でもお話しましたが、聖所の経験というのは、罪人が罪の意識を持ち、自分の家畜の中から、傷のない燔祭を選ぶところから始まります。彼が聖所に燔祭を連れて歩いて行くと、3つのものが見えます。第1に白い亜麻布、2番目に燔祭から立ち上る煙、3番目に神様の臨在を現す雲の柱、です。
罪人は、神様がこの聖所に招いておられることを感じるのです。「ここに来て、救いを受けなさい。私は、ここにいる!」。神様の愛を感じるのです。
罪人が聖所の前に着くと、門の前で、祭司たちに迎えられます。祭司たちの仕事は、罪人が燔祭の意味と、その捧げ方の手順を教えることです。どのようにして、神様に受け入れられるのか、どのように罪を告白し、そして、犠牲を捧げるのかを教えるのです。神様のみ前にどのような心で出るべきかを教えるのです。牧師の仕事というのは、どのようにして義とされるのかということを神の民に教えることです。言い換えるならば、信仰による義認の経験へと導くことです。
この働きがなされないならば、場合によっては、罪人が神様に受け入れられることなく、間違った安心感をもって、家に帰ってしまうことさえあるのです。