SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

デビット・カン先生の証 1

2012年08月23日 | 日記



    ひまわりさんより(8月23日)

21日に紹介した、イチジクは、実は家の前をいつも散歩しているおじいさんに1個差し上げました。
すると、今日その人が、お礼の手紙を届けてくださいました。
この方は実は絵手紙を教えておられるそうで、すてきな絵手紙を書いてくださいました。
手紙をご紹介させていただきます。
「鉢植えのイチジクなんてとてもめずらしい・・・と申したところ、『大きくておいしい実がたくさん生る』と言って、
過日(8月22日)のウオーキングの折に完熟したイチジクを1個いただきました。
妻と二人で、その日の朝食後にいただきましたところ、ややモチモチ感のあるとても美味であったことにおどろきました。
『早起きは三文の得』と言われる所以を改めて納得いたしました。
ただ、朝のウオーキングではじめてお会いした方から、早くもおいしい果実をいただくとは、なんと幸せなことでしょう。
ごちそうさまで、ありがとうございました。(写真はその方の絵手紙です)

    デビット・カン先生の証

   神の恵みによって今がある(1)
私は世界のあちらこちら旅行します。
神様の恵みによって、これまでに、30から35カ国を回りました。
どの国に行っても神様の「現代の真理」を信じる忠実な民に出会います。もちろんその人たちはSDAです。
また、他教派の人の中でも信仰深い人に出会います。今日は、その神の民の出会いから証をしたいと思います。
どういうわけか、神の民は同じような笑顔をしておられます。
神の栄光、神のご品性は同じです。
空港で迎えに来られた先生に会いましたが、彼を見た瞬間、この人は私の兄弟だとすぐにわかりました。
同じように真理を理解している方だと思いました。
今まで会ったこともない人に、このような感じを持つことができるのです。
 皆さんが回心した時に皆さんの見かけが変わるのです。考え方も変わります。
皆さんの表情、雰囲気も変わります。
皆、それぞれ見かけは違うにもかかわらず、そして、育ってきた環境、文化、さまざまな背景も違うのに、
神の民は一つになることができます。そして、皆似ています。同じ品性を反映しているからです。
それが、イエス・キリストの品性なのですね。
 今晩のお話は、私の個人的な証です。私自身のことを話すとき、私がどんな人間か、知っていただけると思います。
私がどこから来た人間か、神様の恵みによってどのように変えられたか、知っていただけると思います。
始めに、1コリント15章10節を開いてください。
世界中のクリスチャンに、よく知られている有名な聖句です。とても単純な聖句です。
それでも心に深く食い込んでくる御言葉なのです。これは、使徒パウロの証です。
そして、これは、多くのクリスチャンにとって証となっています。私にとってもそうです。
「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである」 
神の恵みであると書いてありますね。この聖句を読むたびに、私は、この聖句と同様の思いにかられます。
私ではなくて、「イエス・キリスト」の恵みによるのですね。
その恵みによって、私はここに立って、皆さんにお話をしているのです。




後の雨に備えて デビット・カン講演28

2012年08月22日 | 日記



   ひまわりさんより(8月21日)

私が訪問看護で行っている70代のおばあちゃんがいます。
この方の所へ行くと、必ず何かお茶菓子を出されます。私が間食はしないとか、
夕食は軽めにしているなどと言うと、「そんなの関係ないわよ、食べなさいよ」と言ったり、
時には「付き合いが悪い」と言って怒り出すこともありました。
この方は、両下肢のむくみがひどくてなかなかよくなりませんでした。
ところが、今日訪問したら、「あんたに話したいことがある」と言って足を見せました。
すると、足のむくみがすごくよくなっていたのです。
そして、「むくみがひかないからどうしたらいいかと思って、ためしに夕食を軽くしたんだよ。
5日間やったら、足のむくみがひいてきた」と言われました。
この方は、今日は顔もすっきりしているので、いつもは足だけでなく顔もむくんでいたことがわかりました。
健康のメッセージは、言い続けていけばいつかは感化を及ぼすのだと思いました。
そして、この話を聞いて、わたし自身も、現在の果物ジュースとナッツの夕食を継続していきたいと思いました。

  力ある後の雨の注ぎ(デビット・カン講演28)

そのとき、神様は私たちに印を押してくださいます。後の雨の力を注いでくださいます。
私たちは、ものすごい力を持って福音を説くようになります。そして、奇跡を行うことができるようになります。
驚くべきことが、私たちの前途に起ころうとしています。後の雨を、私たちは祈り求める必要があります。
もう、あまり時は残されていません。そのことを私は知っています。
あの臆病者のペテロが、ペンテコステの日に聖霊を受けたとき、あれほどの大胆な者になりました。
祈らないといけません。皆さん、どうぞ祈ってください。
イエス様に、永遠にわたって献身するための時を費やしてください。

   《 祈り 》
天のお父様、あなたが私たちに与えてくださった光、真理を感謝いたします。
お父様、私たちの心を清めてください。あらゆる汚れから清めてください。
世のあらゆる悪から私たちを清めてください。永遠に救われるのに安全な者になりたいと願います。
何が起ころうと、私たちは、罪深い生活をもう送りたくはありません。イエス様の心を心とさせてください。
あなたの後の雨を受けるようになりたいのです。働きを終えて、天の故郷に帰りたいと思います。
もうこれ以上、罪深い世界にとどまりたいとは思いません。
神様、どうぞ私たちに聖霊を与えてください。この教会を祝福してください。
イエス様の御名を通してお祈りいたします。 アァメン
(デビット・カン先生の『後の雨に備えて』のメッセージは今回が最終回です)





後の雨に備えて デビット・カン講演27

2012年08月21日 | 日記



    ひまわりさんより(8月21日)

今日は、家のイチジクを2個収穫しました。
このイチジクは、去年、夫がカインズホームで買ってきたものです。
夫は、「このイチジクは、“聖書にも登場した生命の果実”と書いてあったから買ってきた」と言っていました。
ちょうど、30センチぐらいの大きな鉢が余っていたので植えたら、立派な実が実り、20個ぐらいの収穫がありました。
今年は引越しがあり、環境が違ったので実がつくかどうか心配していました。
そして、実は実ったのですが、小さくて硬いままで、このまま大きくならないのではと思っていました。
ところが今日の朝、少し色がついていたので、もしかすると2~3日後には実るかもしれないと思いました。
夕方家に帰ってみると、2個がすっかり熟して食べごろになっていて、収穫となりました。
このイチジクを見て、幹につながっていれば、私たちも神様の恵みによって、必ず実を結ぶことができると思いました。

   今は勝利するとき(デビット・カン講演27)

ではなぜ今だに、後の雨が降り注がれていないのか、ご存じですか。
ホワイト夫人によると、もし今、後の雨が降り注がれるとしたら、
教会に、さらなる問題と分裂を引き起こすことになるからです。
「私の力は、あなたよりすぐれている」とかですね。ですから、まだ教会には用意ができていないのです。
上からの力を受ける用意ができて、品性において安全になっているときに、後の雨が降り注がれます。
このときの後の雨は、前の雨とは異なるのです。私たちは、前の雨の時期に住んでいます。
成長するときです。真理を学ぶときです。勝利するときです。イエス様のようになるときです。
私たちの心は、イエス様の愛、同情、あわれみには、とうてい比べものにはならないわけですけれども、
それでもイエス様の心が、自分のものとなっていきます。これが、前の雨の経験です。
私たちの用意ができたときに、完全になります。






後の雨に備えて (デビット・カン講演26)

2012年08月20日 | 日記



    ひまわりさんより(8月20日)
8月16日に書いたように、私は今、新しい働きをしようとしていますが、それは私にとっては、
いわば、アマゾン伝道に出かけるようなものでした。
でも、そう思った時、心のわずらいは消えていきました。
ところがそれは、理由を見つけて、自分を納得させようとしていることで、まだ、全く自己をむなしくして、
「何になってもいいし、ならなくてもいい、という、アブラハムのような信仰の姿勢とは違いました。
そのために、何かあると心が消極的になってしまいます。
アブラハムが、行先も、理由もわからないまま、ただ神様が「行け」と言われたので、
その言葉に従って旅立っていったような信仰とはずいぶん違っています。神様に従うとは、理由があるからとか
、意味があるから、ではなく、神様が行けと言われたら、自分を捨てて、すぐに従うことだということを学びました。

    聖霊の力(デビット・カン講演26)
『聖書』と『証の書』は、単純にこのように言っています。
父なる神は、み子と、聖霊の神を無限に与えて下さいます。
イエス様は、聖霊のバプテスマを受けられました。私たちは、そのように聖霊を受ける必要があります。
聖霊のバプテスマを受けるならば、聖霊の力を備える者となっていくわけです。
バビロンの諸教会に、癒しの力を持った人がいて、奇跡的に目の見えない人を癒したりしているのを見たことありますか。
あれ、偽物ですよ。あれは、悪霊によるものです。
しかし、私たちが後の雨を受けたときに、福音を宣布する力を帯びるようになります。
人々を説得する力を帯びるようになります。
昔、エルサレムの門でペテロが立った時、彼の言葉は、その発する言葉は、率直で力がありました。
1日に3000人が改心しました。これが聖霊の力です。彼らは、死人を甦らせることもしました。
兄弟姉妹の皆様、私たちも死人を甦らせるようになります。
どうしてですか? 私たちの説いていることが、天から来た真理であるという事を人々に知らせるためです。
奇跡というのは、神の力の証拠です。






後の雨に備えて デビット・カン講演25

2012年08月19日 | 日記





     ひまわりさんより(8月19日)

今日は、朝の3時半ごろ目が覚めてしまいました。
そのあと寝むれないので、『キリストの実物教訓』を読もうと思って起きることにしました。
夫や子供を起こすといけないので、電気をつけないで、一階の集会室まで行こうと階段を降りていきました。
階段には手すりがついているので、真っ暗でしたが安全に降りることができました。
その時、「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」(詩篇119:105)
という聖句を思い出しました。
暗闇の中でも手すりがあれば安全に行けるように、み言葉は、私たちを安全に導いてくれるのだと思いました。
朝読んだ『キリストの実物教訓』にはとても大切なことが書いてありました。
「聖書の探求によって受け得る教育は、救いの計画を体験的に知ることである。
このような教育は、魂の中に神のみかたちを回復する。
それは、誘惑に対して聖徒の心を強固にし、この世界に対するキリストの恵みの働きを、
キリストと共にするのに、適したものにする。
この教育は、彼を神の家族の一員とし、光の中にある聖徒たちの嗣業にあずからせる」

    見失われている後の雨の備え(デビット・カン講演25)

この点を、多くのアドベンチストが見失っています。
どのようにして後の雨に備えるのかということを・・・。
「もう、完全にならなくちゃいけないんだ。親切にしなくちゃいけないんだ。愛をもたなくてはいけない。ああ、節制しなくてはいけない。
ああ、あなた白米食べてたでしょう。罪だよ。ああ、牛乳飲んだでしょう。あ、牛乳に白砂糖入れて飲んだでしょう」。
そういう態度のアドベンチストが大勢いるわけですね。
保守的な人たちの中に、そういう人たちが大勢います。完全というのは、
神様の愛を心にいただいて、もう罪を犯さなくなることなんです。健康メッセージ、健康改革、たしかに大事です。私たちが完全になる手助けをしてくれます。私たちが、明晰な頭脳を持って神様の言葉を、み心を理解できるように助けてくれます。私たちの、体、思考、感情を正しく保つ手助けをしてくれます。しかし、健康メッセージを受け入れたからといって、それが、私たちを義とする功績となるわけではありません。