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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

Bible Nabi 第23課 聖霊か悪霊か?第13回 デイビット・カン

2017年10月10日 | 日記

B.霊を見分けるクリスチャンにならなければならない!

 

①.聖霊の賜物は感情とは関係ない!

 

聖霊を受けたことの証拠は、私たちの感情や感覚とは全く別のものです。ある人々は聖霊を受けた証拠として感情の高まりを期待しますが、聖書はむしろ聖霊の働きを次のように説明しています。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」(ヨハ ネ3:8)。

 

私たちは風そのものを見ることは出来ませんが、風が何をしたかは分かります。たとえ私たちが聖霊を見ることが出来ないとしても、それが、私たちが神様の子でないという証拠にはなりません。私たちは神様の聖霊が心にあるとき、それを見ることは出来ませんが、その方は静かに私たちに新しい生命を持って来てくださいます。たとえ私たちが聖霊を見たり触ったり出来なくても、その方がしてくださったことは見ることが出来ます。もし私たちの心が、聖霊によって変化するのであれば、私たちの生涯に聖霊が臨まれた証拠となるのです。

 

私たちが神様の霊を受けたとき、私たちは恍惚的な刺激的な興奮状態になるのではなく、むしろ落ち着きとバランスのとれた判断力を持ち、キリストの福音を宣べ伝えることに生涯を捧げることとなるでしょう。イエス・キリストの生涯と働きを考えてみましょう。キリストのように聖霊で満ちあふれている方は他にいませんでした。しかしキリストの生涯は、感情的な歓喜や興奮で満ちあふれたものではありませんでした。むしろ犠牲と奉仕に貫かれた生涯でした。キリストは罪と不義を拒絶し、病人や貧しい人を助けるために心を砕く人生を送られました。


Bible Nabi 第23課 聖霊か悪霊か?第12回 デイビット・カン

2017年10月09日 | 日記

このような悪霊の欺瞞に深く溺れる人たちを見ていると、私たち天使は次のような3つの共通点を発見しました。

 ❶ 彼らは“霊魂は不滅である”という教理を信じている。

 ❷ 彼は死者の魂を通して、霊界と接触しようと試みるため、奇跡と賜物に彼らの全関心が集中される。

 ❸ 彼らは自分たちが体験した奇跡と相反する内容の聖書の言葉を決して認めようとしない。

 ③.天使の忠告

真理に導かれて信仰の道を歩く人は、サタンの欺瞞に惑わされることはありません。偽りを真理と錯覚し、かたくなについて行く人たちを助けることはほぼ不可能です。そのため真理の中で真の信仰を維持する人たちだけが、天使の助けを受けて救われるのです。

 真のリバイバルは真の悔い改めから始まります。真の悔い改めを通して新しく生まれ変わったクリスチャンは、自分の欲望に身をゆだねません。彼らは主の足跡を探し、その道に沿って歩むことを決心します。彼らは主が清くあられたように、自分たちの生涯と品性が清くなることを願います。

 そのような人たちは、以前は憎んでいたものを、今は愛するようになり、以前は愛していたものを、今は憎むようになります。傲慢で自分の主張だけをしていた心は完全に変えられ、温和で謙虚となり、虚栄に浮かれていた心は着実で慎み深くなります。軟弱であった者が強健となり、酒豪だった者が酒を飲まなくなり、道楽が好きな者が端正で節制する者と変化し、この世で成功することや金儲けに興味がなくなります。忍耐と根気と犠牲を恐れず、むしろキリストのために非難と試練を受けることを特権と思い楽しみます。ですから、改革と生活の変化のない悔い改めは、本物ではありません。

 しかし、最近の教会の中で起きているリバイバルは、あまりにも奇妙な姿に変わってきています。多くの聖職者が、人々の好奇心を満足させるために、感情的で刺激的な方法を使っています。信徒の理性に訴えて、真理を教える代わりに、ムードを盛り上げ、没我的な陶酔感にひたらせることが信仰の喜びであるように思わせ、信徒の心を奪おうと努めています。

 預言者と使徒たちが築いてきた、真理の上に信徒たちの関心を集中させる代わりに、各種の賜物と奇跡を強調し、瞬間的な満足と、恍惚的な気分を高める感情的信仰を立てようとしています。それによって聖書の言葉に無知な羊たちは、真理の言葉に自我を屈服させ、忍耐と謙遜によって、キリストの犠牲的愛を分け与えるために生涯を捧げる代わりに、奇跡と賜物によって霊的な満足感と救いの確信を得ようと努めているのです。


Bible Nabi 第23課 聖霊か悪霊か?第11回 デイビット・カン

2017年10月09日 | 日記

悪霊につかれた者たちは、ひどい苦痛を感じるという事実が、聖書に記録されています。しかし、例外的にそうでない人たちもいます。聖書は超自然的な能力を得るために、自らサタンに服従する人たちの話が出てきます。彼らは悪霊と戦って追い出すのではなく、悪霊を呼び出しその力によって行動する者たちです、たとえば、占う悪霊に憑依された者として、魔術師シモン(使徒行伝8:9)、魔術師エルマ(使徒行伝13:8)、ピリピでパウロとシラスの後を追った占いの霊につかれた女のような者たちです(使徒行伝16:16)。

 今日でも、進んで悪霊と交流しようとする人たちがいます。彼らはサタンと悪天使たちによって惑わされているにも関わらず、自身たちは善天使や、亡き家族や友人の魂と霊的に交流していると信じているため、死者の魂を装って現れる悪魔に、すべての問題を相談することとなるのです。

 聖書が悪魔や悪霊の正体を、サタンと悪天使だと指摘しているにも関わらず、ある人々は悪魔や悪霊が死者の魂だと信じています。聖書は、死者はよみがえる時まで、墓の中で眠りの状態で待っていると言っているにも関わらず、彼らは悪人が死ぬと悪霊となり、善人が死ぬと善天使となると思い込んでいます。だから、彼らはある人が悪霊、すなわち悪天使につかれたとき、悪天使を追い出してくれと祈る代わりに、死者の悪霊を追い出してくれと祈るのです。

時々、そのような彼らの祈りが通じ、奇跡的な癒しが起きるようなことがあります、それは神様の奇跡ではなく、悪魔の奇跡です。サタンはある人々に病を与え、病を治す奇跡を見せることで、人々の信心と信仰を自分の望む方向へ引き連れて行くのです。神様の奇跡は、聖書に記録されている真理の言葉と食い違う方法で決して起こりません。それなのに、ある人たちは自分の祈りによって神様の奇跡が起こったと思い込んで、感情的に浮かれ、その奇跡がどこから来たのかについては、まったく考えもしません。


Bible Nabi 第23課 聖霊か悪霊か?第10回 デイビット・カン

2017年10月07日 | 日記

②.悪天使にだまされないように

天使の正体についての誤解は、聖職者たちが手を置いて祈って病を治したり、悪霊を追い出したりすることにも、深刻な問題を起こしています。サタンと彼に従う悪天使(悪霊)たちは、天から追い出されてから現在までに、膨大に蓄えた知識と経験を通して、人々をだまそうとしています。彼らは慣れた手つきで、人々の心だけでなく、肉体までも支配しようと努めています。そして聖書は、心と体が悪霊に制圧された状態を「悪魔に押えつけられている」(使徒行伝10:38)と表現しています。サタンと悪天使たちのとりこになった人は、ただ病気になって苦しんでいるのとは、本質が違うという事実を理解しなければなりません。

聖書には、そのような悪霊(悪魔)につかれた者たちの話が、何度か出てきます。ツロ・フェニキアの女性の娘が、汚れた悪霊につかれ苦しんでいるのをイエス様は追い出されました(マタイ15:21-28)。その他にも「そのとき、人々が悪霊につかれた盲人で口のきけない人を連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた」(マタイ 12:22)。「霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました」(マルコ 9:17-27)。そして安息日にカペナウムの会堂を騒がした「汚れた悪霊につかれた人」(ルカ 4:33-36)をイエス様が癒されました。

新約時代にイエス様が悪霊を追い出し、ある病気が治ったということで、すべての病を悪霊の仕業だと誤解してはいけません。清潔な衛生環境と、正しい治療法を通して治さなければならない病気を、悪魔につかれたものと誤解し、悪魔を追い出そうと巫女や牧師を訪れる人を見るたびに、私たち天使はとても残念でならないのです。


Bible Nabi 第23課 聖霊か悪霊か?第9回 デイビット・カン

2017年10月06日 | 日記

第2部:天使と悪霊を区別できますか?

 A.天使の忠告

 天の聖なる御使いたちは、悪魔の霊がはびこるこの世界で、人々が欺かれる姿を見ながら、とても残念がっていることでしょう。もしかしたら天使たちは、人々が悪霊によってだまされる姿を見ておれず、次のように忠告するのではないでしょうか?

 ☆ 天使の忠告  

①.欺瞞の始まりを知りなさい

現在、キリストに従うという人々の中で、多くの人が私たち天使について間違った理解を持っています。このような状態に、天使たちは心を痛めています。人々が天使について誤解をしたのは、死と霊魂について、間違って教えられたことから始まっています。人間の肉体は死んでも魂は不滅だというサタンの教えが、中世の宗教暗黒時代の間に、サタンの代理人となった人間を通して、教会の中へ徐々に入って来ました。

 「生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる」(伝道の書 9:5)という聖書の明白な真理があるにも関わらず、あるクリスチャンたちは天使を死者の霊と誤解しています。人間世界で死が存在する以前から、すでに天使たちが存在していたにも関わらず、ある人々は人が死んだら天使になると信じています。

 天使を死者の魂と信じる人々は、悪霊たちの欺瞞を、扉を全開にして待ち構えていることとなります。そのような人はサタンの悪霊が死者の姿で自分の目の前に現れた時、その悪霊を喜んで迎え入れる土台を持っているのです!