詩 の 雫

人生の喜怒哀楽を <冠 句> に深め・・・ 

“春夏秋冬の囁き”を 爽やかな風 にのせて・・・

     

一歩一歩をかみ締めて・・・

2017年01月17日 15時30分49秒 | Weblog

厳しい寒波に大雪となりました。

孫の学校も学級閉鎖となり、インフルエンザが猛威を振るっています。

長引いている私の病状も中々すっきりせず、戻らない食欲に元気もなく、毎日ゴロゴロと

寝たり起きたりの生活が続いています。 

年明け後のコーラスも欠席、ギター練習も欠席、ストレスが溜まり、悶々としていますが、、、

今しばらくの養生が要るようです。 気持ちは逸りますが、出来る範囲内での家事をしながら

様子を見ながら、無理なく過ごしたいと思います。 

同じく風邪の症状が今も続く主人ですが、普段から体力は私より有るとても健康な人で、

今日もさり気無く、台所に置きっ放しの食器などを洗ってくれて助かります。

「ありがとう」の主人への感謝の言葉が、衒いなく素直に出ます。

友人達から優しいメールも届き、落ち込んだ気持ちがグンと上向き、励まされます。

 

             午後の部屋 時に癒され射す夕陽

             眠らぬ灯 影でささえて繋ぐ愛

           

            (連冠句)

               沈沈と

            風邪心地 心細さに寒々し

            風邪心地 無理の利かない齢かも

             膝を抱く 里恋しさの募る夜

 

 

                      

 

 

    今朝の新聞コラム欄、胸が熱くなりました。

 

    ある若いお母さんは、わが子が生まれたとき、ラジオで聞いたこんな言葉を、

    日記に書きとめたという。

    「子供が生まれたとき、私は、二度目の人生が歩けると思った。

    二番目の子供がまれたときは、こんどは三度目の人生だ、と思った」

    子供を育てることで、もう一度、人生を歩む。

    ハイハイをして、立ち上がり、最初の一歩を踏み出す。

    言葉を覚え、歌を覚える。 そして入学、進学、期待と不安・・・

    一歩一歩をかみしめつつ、子育てをしていたのだろう。

    だが、このお母さんの人生は二十二年前のきょう、突然終わった。

    阪神大震災が起きた朝、心臓の鼓動が止まったのだ。

    あの地震で歩みが止められた六千四百三十四の命の一つ一つ。

    冒頭のお母さんの日記には、こういう一文もあったそうだ。

    <(わが子の)体の中には私の血が流れ、ずっと後の世代に受け継がれて

    いくわけだから。 大きな喜び、というべきだろう>

    このお母さんの娘さんは、震災後に母の日記を見つけ、自分がいかに愛されて

    いたかを感じ、つらい時に読み返して励ましてもらったという。

    命の歩みは完全に断ち切られたのではない、

    「二度目、三度目の人生」は続いているのだろう。

 

 人生には思いがけないことが時として起こりますが、見渡せば立ち直るための暖かい絆や

 深い愛が、見えてくると思います。

 今は焦ることなく、良い日が戻ることを願っています。

 いつもありがとうございます。

 


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