母のお参りに行き、母の遺した ” 冠 句 帳 ” を、私が貰ってきました。
積み上げた大学ノート、紐で綴じた和紙の句帳、栄誉の巻頭(三光に輝いた秀逸吟)、
一句一句に、母の命の言葉が深く残されています。
今、母と同じ 「冠句の趣味」 を持つことに、当時は分かち合えなっかた母の気持ちに
寄り添えることが嬉しくもあり、又寂しさも日々に感じます。
在りし日の、母の残した<冠句>です。
新しく 風に犇く悲願絵馬
昼ひとり 人語に飢えて飴しゃぶる
好きな曲 風鈴ゆっくり揺れる窓
募金箱 豊かさに慣れ人驕る
裸木の街 納骨軽き夫抱く
流れゆく 行方あてなき落椿
砂の文字 尽きせぬ挽歌碧く揺れ
束ね髪 紅うすくさす哀しい日
みんな嘘 女切ない薬指
通り雨 えにし深める虹あかり
ねむの風 笑顔でいよう母の日は
、、、、、、、、、、、、 (母の句帳より抜粋しました)
私の父は早く亡くなりました。
思えば計り知れない、寡婦の苦労があったと思います。
時にそれらが、周囲の幸せを羨む気持ちになっていた事もありました。
晩年、認知症を患い、母の描いた思い通りの人生で無くなりました。
要介護 5 生活の全てを人に委ねる厳しい環境になりました。
5年余り待って、半年前、やっと念願の施設に入所が叶いましたが、、、
自分の子供の認識も出来なくなって、会話も難しくなって、、、
10月に、私の名前を大きな声で 「〇〇子」 と言ったのが母の最期の言葉でした。
姉と妹の区別も付かず、何か言いたげに、口をもぐもさせるだけでした。
そして、 3月12日 静かに眠りました・・・
今頃、きっとあの空で、ずっと待っていた父と、一杯話をしていると思います。
母の遺品 「千の風になって」 のCDも、貰ってきました。
母が大好きだった 氷川きよしさんのCDも 箱に一杯入っているのを貰ってきました。
長年の難しい介護も本当に大変だったので、
「淋しいけれど、やっと楽になって、、、ある面、ほっとしたでしょう」 と
友人が労わりの言葉をかけてくれましたが、、、 葬儀が終わってから
父が亡くなった時とは違う気持ちが押し寄せ、ずっと泣けて、泣いて自分を責めて、
中々優しく寄り添えなかった悔いが、残りました・・・
日が経つにつれ、
今は、病院にも施設にも、母がもう居ないということの実感があります。
無くして判ることが、ありました・・・
七日毎の法事、母を偲び、お参りしたいと思います。
控えていた、ギター教室のミニ演奏会、 ギター講座の発表会、
共に葬儀にかかり、出られなくなりましたが、、、
友人たちから、温かいラインが沢山届きました。
コーラスも欠席しました。 来週、年度替りの引継ぎが待っていますが、
多くの友人からの励ましの言葉を貰い、苦手だったグループ長の大役も
無事、終えることが出来そうです。 1年間、やはり大変でしたが、
慌しい日々に一区切りが付けば、少しほっとできるかな~と思います。
母への挽歌に、、、
溢れ出す 万感胸に念む挽歌
研ぎ澄ます 僧の説法無になりて
葬儀の後に聞かせて頂いた僧侶のお言葉に、
改めて、大切なことを教えてもらいました。
今ある命は、両親から、4人の祖父母から、そして8人の祖祖父母から、、、
誰一人として、必要でない命は無いということ。
自分の命がまた次の世代へ繋いでいくということ。
命は、疎かにしてはいけないということ。
心にしみじみと刻みました。
皆さま、今日もありがとうございます・・・