今日の幸せを明日に繋げ、日々に笑顔を忘れず、
一度きりの大切な人生の1ページを、自分らしく、
綴っていければいいなぁと思います。
《 平成6年の応募作品より 》 『 高齢化社会を迎えて 』
都会の片隅に残された一つの”幸せ”が、子供と老人の年齢を越えた触れ合いとなって温め
られている姿に、失いかけていた大切なものを、再び私の心に呼び戻す事ができました。
大阪市立日本橋小学校の全校生徒は、地域の老人達と文通をしている。入学と同時に担任
の先生から文通をする相手を決められ、卒業する迄の六年間手紙を書いて交流を深め、日々
の殺風景なお年寄りの生活が、少しでも潤いと楽しみのある生活になるようにと願って続けら
れている。このユニークな出会いをセッティングした学校の教育方針と、校長先生を始めとする
各先生方の熱い心遣いに、真の教育の最も大切な原点を感じる事が出来ました。
ある一人のおじいさんが、文通相手の少年を、自分の親友を呼ぶ時の様に、”呼び捨て”にし
て話しているのをみて、一回きりでなく長い期間をかけてどんどん深めていった ≪人間同士
の絆≫ の本物さを、すごく感じました。
又、ある一人暮らしのおばあさんの、初めて見知らぬ少年から手紙を受け取った当初のため
らいが、回を重ねる便りにだんだん気持ちが和らぎ、少年が本当の孫だと思えるぐらい、気持
ちが素直に変化していった様子に、人と人との真心は自然に育まれ、一つに和合するものだと
思いました。そしてその少年との触れ合いによって、おばあさんが丹精込めて咲かせた綺麗な
花を手に、時々学校を訪ねる様になりました。おばあさんの唯一の「生きがい」である「花作り」
が、小学校の教室を明るく彩る素敵な『生きがい』に変わりました。 少年の卒業式の日には、
花束を持ったおばあさんの目に、感激の涙が溢れていました・・・。
又、ある病気勝ちのおじいさんは、秋の運動会に文通相手の少女から招待を受け、自分
が本当に久しぶりに大きな声をあげ、声援を送る相手がいた事に、胸が熱くなったそうです。
自分の家にお祖父さんやお祖母さんがいない子供達は、この文通によってお年寄りとの触
れ合いを持ち、幅広い人間関係を結べました。また孫と同居しているお祖父さんやお祖母さん
は、孫が知り合ったお年寄り達と友人になれました。
一つの小さな輪が空回りする事無く、二つ、三つに広がり、”新しい輪と和”が芽を出し素敵な
花がいっぱい咲きました。
画一的な生き方しか出来にくい老人達に、”夢を与える喜び”を知った子供達は、お金では買
えない大切な経験をいろいろ積む事が出来ました。
四人に一人が高齢者となる二十一世紀、自分の老後を重ねて、何が大切かという事が、
このテレビからおぼろげながら見えた気がします。
・・・・・誰からも嫌われないように素直に多くの人と接し、いつも前向きに自分を磨き、子供の
笑顔に自分の笑顔を重ねられる気持ちを持つ事を!・・・・・
私の二十一世紀に明るい希望が見えてきました。
(NHKスペシャル 「配達された幸せ」を視聴して)
私の昔の作品を今読み返し、今の暮らしを見つめてみました。
<8月に思う 句>
【冠 句】 佳き余生 笑顔と笑顔持ち寄って
【冠 句】 精一杯 こころを繋ぐ義援金
《川 柳》 友だちも生きる支えのたからもの
[俳 句] 藍浴衣娘と妻を重ねけり
(ポパイさんの写真に心が癒されます)
<8月19日> 心から喜び楽しんで事に当たろう
<8月20日> 苦難こそ人間修業の道場
<8月21日> 大志を抱く者は小さな事もゆるがせにせず
<8月22日> 他人を見ること我が身を見る如く
<8月23日> 心次第で楽も苦となり、苦も楽となる
<8月24日> 平凡なる食事に真味あり
<8月25日> 眼の美しき者は心も美し
<8月26日> 誠実でつきあえる友を得よう
<8月27日> 人の心によって物も心となる
<8月28日> 焦らず争わず退一歩すれば広大な世界が開ける
今日もいい言葉に出会えました。お立ち寄り頂きありがとうございます。
疲れが切っ掛けで出る病気でしょうか? 以前姉が長い期間苦しんでいました。
くれぐれも無理をなさらないで、体を労わってお過ごしくださいね。
日々寄せて 何が無くても秋の空
いい冠句ですね。季語も入り心情が漂って、心に残ります・・・
ありがとうございます。
日々寄せて 何が無くても秋の空
元気で生き生きと青空の元いい空気をすいたいものですね。
新聞投句の掲載俳句です。すみません。
昔から作文や標語など創作が大好きな子供でした。この作品はある財団法人が募集し入選した随分昔のものですが、当時感動した思いは今も残っています。
”生き甲斐”がある人生、正に今私もKennyさんも日々に感じて過ごせる事に幸せを感じますね。
体調管理を怠らず、いつまでも好きな事に没頭でき、時間を追いかけながらいい余生を、過ごしたいと願います。
守山の応援、ご苦労様でした。私も気持ちは行きたかったのですが、自由が利かず残念です。
また参加できそうな練習日には行こうと思います。「ありがとう」この言葉に支えられて人は困難や試練を乗り越えられると思いますね。
コメント、ありがとうございました・・・
教育については以前の仕事にも関わりがあり、今は孫の生育に一番近いところで見守っていることもあり、思いが深い私です。この文の学校も多分今もこの深意を繋がれておられると思いますが・・・
浴衣の句は、主人の気持ちを代弁?した一句、ふと主人が漏らした言葉にヒントを得ました。
新聞投句の掲載川柳です。
いつも有難うございます。
今日という日は二度と来ないのですね。
そう思いながら惰性で日を送っていることに反省をしなければと思いました。
日記はもう何年も付けているのですが・・・。
ところで大阪の小学生と高齢者の手紙を介した交友、学校側の配慮がいいですね。
小学校を卒業すればそれで終わりというわけではないと思うのですがその後の交友状況もテレビには追って欲しかったですね。
俳句の
・藍浴衣娘と妻を重ねけり
この句、私は好きですね。
私も浴衣について「孫娘の浴衣」という題でエッセイを新聞投稿してつい最近掲載されましたよ。
「今日の言葉」の8/19 心から喜び楽しんで事に当ろう
この心境になかなかなれない心の弱さがまだあり反省しています。
お盆の数々の行事を終えた今、66年の終戦忌、3月の震災、、、命を問う思いが強くなって、そこから人生の生きがい等を考え直すと、ふと昔の作品を思い出しました。
当時から17年過ぎた今、この感想文を振り返ると、丁度今の私の年齢からもう少し上の方を設定していたと記憶しています。
私も自筆で手紙を友人たちに書きますが、思いを文字にすると、心がより深く相手に伝わるかなと・・・ある面読み手によっては誤解も生じるかもしれない怖さもありますが、今の時代に生きる子供達には、手紙で気持ちを伝える事を教えるのはとても大切なことかと思います。
今日もいい言葉を教えて頂きましてありがとうございます。
1年生の稚拙な文字と文が、年とともに個性が見える文字と文になっていく。そのプロセスに接する老人は、我が子、我が孫と接するような心境になっていくのでしょうか。
また、老人は小学生の文の行間からパワーをもらい、小学生は老人の文から、おばあちゃんの知恵、おじいちゃんの知恵を感じるのでしょうね。
そんな気がします。
電話のやり取りは手軽だけれど、音声は瞬時に消えていく。肉筆の手紙は、いつでも手軽に読み返せる。比較もできる。
一瞬で、時間軸の凝縮もできる。この違いはやはり大きいような気がします。
この学校では、老人という基準は何歳と設定しているのでしょう。ちょっと気になります。
文通から幸せが形作られて行く一方、老人の死に直面する小学生も出てくるような気もします。文通が生み出す幸せの対極に悲しみもあるかもしれません。
このシステムを維持していく関係者の陰の努力も相当なものがあるように思います。
核家族化の進展で見失われていったある種の「幸せ」が、小学生と老人との間の「文通」の仕組みで、あらたに形作られているように感じました。
守屋洋著『中国古典一日一言』の8月22日の項には『説苑』(ぜいえん)の言葉が載っています。
福は微なるより生じ、禍は忽にするより生ず
(著者は 福:さいわい、微:かすか、忽:おろそか と読ませています)
この言葉は期せずして21日の言葉と共振共鳴しますね。
賢者は、時代、国を超えているのでしょうか。
<生きがい>があるってことは本当に幸せな人生だと思います。
花が人の心を癒し、優しくて温かい気持ちが繋がり、真心に触れ合える生き方が出来るようにいつも色々な事に前向きに生きていきたいと思います。
8月の句に、ポパイさんのお写真が私の言い尽くせない気持ちを補って頂けました。有難うございます。
国語の力と 人との交流を通じて 優しく素晴らしい人間に成長したことでしょう。
素敵な話をありがとうございました。