<ある記事のエッセーから>
人はつっかい棒がないと生きられない。宗教や人間関係、生活慣習、制度や
法律その他、ありとあらゆるものがつっかい棒となり得る。
つまり、人は孤独に極端に弱いのだ。一人きりでは誰も生きられない。
つっかい棒の最も強力なものが「家族」だろう。
共に暮らす者が「家族」というきずなで支え合い、孤独から救われている
・・・・・・(略)
【冠 句】 旅つづく 互いの負荷を背負い合い
多忙な日が続き、少し体調を崩しました。
気弱になったその中で、家族からの温かい労わり、
優しさを受けて今更ながら、「家族」に支えられ生きている事に
気が付きました。
掌の中にある小さな幸せに、、、しみじみ感謝しています・・・
皆様、いつも有難うございます。
毎日の家事につい面倒さを感じますが、誰かのために作る食事は、又気持が違ってきます。
一緒に食べる人、喜んでくれる人がいる事が、大切な幸せなんでしょうね。
お母様を偲ばれた句、しみじみ読みました。
ありがとうございます。
<感謝の言葉を忘れずに>、家族への気持を実感しています。
素敵な冠句を頂き有難う御座いました・・・
<ある記事のエッセーから>の引用文の内容、全くその通りだと思いますね。
最近は特にそう思うようになりました。
家族の大切は身にしみますね。
それにしても若い時は親の心配を五月蠅いぐらいに思っていたことを後悔しています。
ポエムさんの文章を呼んであらためて「家族」の大切さを思いましたよ。
一人では生きていけないですから・・。
冠句、味わい深くて、上手いですね。
返句:亡き母に詫びたい声が胸に住む
温き刻 実感できるよ夫と子と