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モンドリアンの抽象絵画/〈赤を見る〉と〈赤として見る〉

2013年09月09日 10時37分25秒 | 美術/絵画原論、絵画理論、絵画技法
2013年9月9日-1
モンドリアンの抽象絵画/〈赤を見る〉と〈赤として見る〉


  「「キュービスムは実際には自然主義的なものであり、単にひとつのアブストラクション〔具象からの抽象化〕であって、アブストレー〔純粋抽象〕ではなかった。〔略〕もしわれわれが純粋の実在性の形を創案しようとするのなら、自然の事物の形を恒久的要素に還元し、自然色(固有色)を本質的な色に還元するのでなければならないだろう。」〔モンドリアン 1958『芸術作品 Das Kunstwerk』〔雑誌名らしい〕XI, 69, s.11〕
 これによるとモンドリアンの抽象絵画の意図は「純粋の実在性に形を創案する」ことにあり、そのためにはキュービスムに残存する「自然主義的な」内在的現実「空間は破壊」すべきものであった。」(岩山三郎 1980『視覚との対話』、173頁)。

 日本での美術教科書にも出ているモンドリアンの抽象への移行(的段階)を示すことを(執筆者が)意図していると考えられる木の絵画の三つの図。

 
写実主義 realisticism、実在主義 realism、そして現実性 reality についての(意識焦点依存的)相対主義

 
〈わたしという意識的存在者〉と〈赤を見る seeing red〉と〈赤として見る seeing (it) as red〉

  a:或る〔物体的〕対象
  b:或る〔物体的対象を分類した〕分類カテゴリー
  fとg:作用子 acter (actor) または(或るシステムにおいては in a system)操作子 operator
  f(a) とg(a):aを入力または契機とすることの或るシステム内での作用結果
    [たとえば人体システムにおいては、脳という自動(計算)機械 automaton (automated computing machine) の出力結果を〈わたしという意識システム〉が〈見る〉。]

とすると、
  seeing a as b
  seeing a as f(a) or/and as g(a)

 『赤を見る seeing red』:『赤の絵具で彩色された〈物体を見る〉/〈物体として見る〉/〈物体が表象または表現しているものを『見る』〉/〈物体に付着している色を『見る』〉』

  『赤として見る seeing (it) as red』: