2015年9月7日-1
ゼーレン レブトラップ 1987『Darwinism: The Refutation of a Myth ダーウィニズム:或る神話の論駁』(1)
「Cogitare necesse est〔考えることが必要である(この仮訳は正しい?。デカルトのcogito ergo sumのcogitoは疑うとも考えるとも違うのだったか、論理展開が違うのだったか、どの本で読んだのだったか、はて?)〕
To: Jacques Barzun
Paul Brien
C.D. Darlington
Leon Croziat
Richard B. Goldschmit
Gertrude Himmelfarb
Norman Macbeth
Robert G.B. Reid
Otto H. Schindewolf
D'arcy W. Thompson
John C. Willis」
上記のように、So/ren Lo/vtrup (1987) の『Darwinism: The Refutation of a Myth ダーウィニズム:或る神話の論駁』の献辞先名として、C.D. Darlington、Leon Croziat、Richard B. Goldschmit、Gertrude Himmelfarb、Otto H. Schindewolf、D'Arcy W. Thompsonらとともに、Norman Macbethがあった。
Norman Macbethは1971年に『Darwin Retried: an Appeal to Reason』という本を出版した。1976年、それを読んだ。ほどなくして、訳書が出た。(1985年には、『Darwinism: A Time for Funerals』を出したようである。)
最近ざっと読んだ、吉川浩満 2014/10『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』は、ネオダーウィニズムの教義にはまったく無批判であった。(ルートヴィヒ ウィトゲンシュインの家族的類似性についても、無批判。レイチェル クーパーの『精神医学の科学哲学』でも、ウィトゲンシュインの家族的類似性を無批判に引き合いにしている。)したがって、『個体発生と系統発生』という本のあるスティーヴン J. グールドは根本的なところで救済されていない。それは個体発生が関わる。
種システムが、それに属すると判定できる生物体を産出するのである。タクソンとは、法則性にもとづいた分類単位である。生物学的タクソンは、システム的種概念によって説明される。
Ernst Mayr エルンストマイアの生物学的種概念は、隔離的種概念と名づけるべきであるが、しかしマーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』が言うように、それは二つの生物体が同種か別種かの基準を与える指標仮説であって、種概念とは言えない。そしてまた、現実に照らせば、その基準は連続的尺度になってしまう。つまり、雑種が何代までできるかは、生物種によって様々である。
また、ラバは雄のロバと雌のウマを掛け合わせてできる(つまり二つの種システムの生物体システム製作上でなんとかシステム成立したという結果的妥協の産物)生物体だが、逆の掛け合わせ(雄のウマと雌のロバ)で生まれる家畜をケッテイの性質は、ラバとはかなり異なる。
しかし、エルンストマイアは、重要な事柄を示そうとしたのである。わたしがシステム的種概念を思いついたのは、Mayr (1988) の『The Growth of Biological Thought: Diversity, Evolution, and Inheritance 生物学的思想の成長:多様性、進化、そして遺伝』を読んでのことである。しかし、結局マイアは、いわば「進化は事実である」仮説または理論を疑わず、自然淘汰の説得力を疑わなかった。
*******
So/ren Lo/vtrup 1987
Darwinism: The Refutation of a Myth
ゼーレン レブトラップ 1987
『ダーウィニズム:或る神話の論駁』
序 Preface 〔p.ix〕
わたしの先立つ本である『後成論 Epigenetics』と『脊椎動物の系統 The Phylogeny of Vertebrata』では、広く受け入れられている進化理論、つまり「ネオダーウィニズム〔新ダーウィン主義〕」または「現代的総合」と呼ばれる理論は、間違いであることを示そうとした。
それに続く仕事のなりゆきで、進化思想の歴史に興味を持つことになって、わたしは大変注目すべき予期しなかった発見をした。それは、誰も、ダーウィンや彼に最も近しい友人たちでさえ、ダーウィンの自然淘汰の理論を少しも信じてはいなかった、という発見である。すなわち、ダーウィニズムは、それが思いつかれたその時から、誤りが明らかにされていたのだ。ダーウィンまたは自然淘汰のどちらかへの証拠〔賛辞 a tribute to〕を見つけなければ、生物学的学術論文を公開することは困難であることを考えるとまことに、生物学の歴史、事実における科学の歴史において、大変奇妙な状況に面している。この状況は、説明を要するものである。本書は、それを提供する一つの試みである。
〔略〕
はじめに Introduction 〔p.1〕
〔T.H. Huxleyによる二つの文章の引用箇所を、略〕
この惑星上の生命は進化の過程を通して生じたという考えは、教養あるすべての人々によく知られている。たいていの人々は、この理論のちゃんとした名前は「ダーウィニズム」であると教えられる。その理由は、有機的進化についての考えを最初に述べ、さらに自然淘汰の理論を創始したのはチャールズ ダーウィンだったからである。自然淘汰理論は、進化の過程が実現される機構を疑いの余地もなく説明するのである。
〔続く〕
文献
Lo/vtrup, S. 1974. Epigenetics: A Treatice on Theoretical Biology. xvi+547pp. John Wiley & Sons. [P]
Lo/vtrup, S. 1977. The Phylogeny of Vertebrata. xii+330pp. John Wiley & Sons.[P]
Lo/vtrup, S. 1987. Darwinism: the Refutation of a Myth. x+469pp. Croom Helm. [B19870701, 12,960円(14,400)丸善予価12,600]
Macbeth, Norman. 1971. Darwin Retried. 178pp. Dell Publishing Co. Inc.
マクベス,N. 1971.(長野敬・中村美子 訳 1977).ダーウィン再考.212+xxv pp.草思社.[1,300円]
*Macbeth, Norman. 1985. Darwinism: A Time for Funerals. An Interview with Norman Macbeth.
ゼーレン レブトラップ 1987『Darwinism: The Refutation of a Myth ダーウィニズム:或る神話の論駁』(1)
「Cogitare necesse est〔考えることが必要である(この仮訳は正しい?。デカルトのcogito ergo sumのcogitoは疑うとも考えるとも違うのだったか、論理展開が違うのだったか、どの本で読んだのだったか、はて?)〕
To: Jacques Barzun
Paul Brien
C.D. Darlington
Leon Croziat
Richard B. Goldschmit
Gertrude Himmelfarb
Norman Macbeth
Robert G.B. Reid
Otto H. Schindewolf
D'arcy W. Thompson
John C. Willis」
上記のように、So/ren Lo/vtrup (1987) の『Darwinism: The Refutation of a Myth ダーウィニズム:或る神話の論駁』の献辞先名として、C.D. Darlington、Leon Croziat、Richard B. Goldschmit、Gertrude Himmelfarb、Otto H. Schindewolf、D'Arcy W. Thompsonらとともに、Norman Macbethがあった。
Norman Macbethは1971年に『Darwin Retried: an Appeal to Reason』という本を出版した。1976年、それを読んだ。ほどなくして、訳書が出た。(1985年には、『Darwinism: A Time for Funerals』を出したようである。)
最近ざっと読んだ、吉川浩満 2014/10『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』は、ネオダーウィニズムの教義にはまったく無批判であった。(ルートヴィヒ ウィトゲンシュインの家族的類似性についても、無批判。レイチェル クーパーの『精神医学の科学哲学』でも、ウィトゲンシュインの家族的類似性を無批判に引き合いにしている。)したがって、『個体発生と系統発生』という本のあるスティーヴン J. グールドは根本的なところで救済されていない。それは個体発生が関わる。
種システムが、それに属すると判定できる生物体を産出するのである。タクソンとは、法則性にもとづいた分類単位である。生物学的タクソンは、システム的種概念によって説明される。
Ernst Mayr エルンストマイアの生物学的種概念は、隔離的種概念と名づけるべきであるが、しかしマーナ・ブーンゲ『生物哲学の基礎』が言うように、それは二つの生物体が同種か別種かの基準を与える指標仮説であって、種概念とは言えない。そしてまた、現実に照らせば、その基準は連続的尺度になってしまう。つまり、雑種が何代までできるかは、生物種によって様々である。
また、ラバは雄のロバと雌のウマを掛け合わせてできる(つまり二つの種システムの生物体システム製作上でなんとかシステム成立したという結果的妥協の産物)生物体だが、逆の掛け合わせ(雄のウマと雌のロバ)で生まれる家畜をケッテイの性質は、ラバとはかなり異なる。
しかし、エルンストマイアは、重要な事柄を示そうとしたのである。わたしがシステム的種概念を思いついたのは、Mayr (1988) の『The Growth of Biological Thought: Diversity, Evolution, and Inheritance 生物学的思想の成長:多様性、進化、そして遺伝』を読んでのことである。しかし、結局マイアは、いわば「進化は事実である」仮説または理論を疑わず、自然淘汰の説得力を疑わなかった。
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So/ren Lo/vtrup 1987
Darwinism: The Refutation of a Myth
ゼーレン レブトラップ 1987
『ダーウィニズム:或る神話の論駁』
序 Preface 〔p.ix〕
わたしの先立つ本である『後成論 Epigenetics』と『脊椎動物の系統 The Phylogeny of Vertebrata』では、広く受け入れられている進化理論、つまり「ネオダーウィニズム〔新ダーウィン主義〕」または「現代的総合」と呼ばれる理論は、間違いであることを示そうとした。
それに続く仕事のなりゆきで、進化思想の歴史に興味を持つことになって、わたしは大変注目すべき予期しなかった発見をした。それは、誰も、ダーウィンや彼に最も近しい友人たちでさえ、ダーウィンの自然淘汰の理論を少しも信じてはいなかった、という発見である。すなわち、ダーウィニズムは、それが思いつかれたその時から、誤りが明らかにされていたのだ。ダーウィンまたは自然淘汰のどちらかへの証拠〔賛辞 a tribute to〕を見つけなければ、生物学的学術論文を公開することは困難であることを考えるとまことに、生物学の歴史、事実における科学の歴史において、大変奇妙な状況に面している。この状況は、説明を要するものである。本書は、それを提供する一つの試みである。
〔略〕
はじめに Introduction 〔p.1〕
〔T.H. Huxleyによる二つの文章の引用箇所を、略〕
この惑星上の生命は進化の過程を通して生じたという考えは、教養あるすべての人々によく知られている。たいていの人々は、この理論のちゃんとした名前は「ダーウィニズム」であると教えられる。その理由は、有機的進化についての考えを最初に述べ、さらに自然淘汰の理論を創始したのはチャールズ ダーウィンだったからである。自然淘汰理論は、進化の過程が実現される機構を疑いの余地もなく説明するのである。
〔続く〕
文献
Lo/vtrup, S. 1974. Epigenetics: A Treatice on Theoretical Biology. xvi+547pp. John Wiley & Sons. [P]
Lo/vtrup, S. 1977. The Phylogeny of Vertebrata. xii+330pp. John Wiley & Sons.[P]
Lo/vtrup, S. 1987. Darwinism: the Refutation of a Myth. x+469pp. Croom Helm. [B19870701, 12,960円(14,400)丸善予価12,600]
Macbeth, Norman. 1971. Darwin Retried. 178pp. Dell Publishing Co. Inc.
マクベス,N. 1971.(長野敬・中村美子 訳 1977).ダーウィン再考.212+xxv pp.草思社.[1,300円]
*Macbeth, Norman. 1985. Darwinism: A Time for Funerals. An Interview with Norman Macbeth.