生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

形態進化の要因、ラマルク的衝動?、動物の意欲

2016年03月27日 19時16分01秒 | 進化理論
2016年3月27日-2
形態進化の要因、ラマルク的衝動?、動物の意欲

 ブラヴァツキーの『秘密教義』で(意識の進化ではなく、)形態の進化の諸要因の一つとして、わたしの記憶では〈ラマルク的衝動〉を挙げていた。
 クレーム(要文献)は、水中に棲息していた動物が、陸に上がろうと勇気を持って意欲したので、陸上動物へと進化したと述べている。

「生物における身体的な変化の第一段階は(ラマルクは植物よりも動物のことを考えていたのだが)、意志のはたらきによって、その環境を変えようと決心することにはじまる。それはどういうことかというと、新しい地域に移動したり、今まで馴れていた生活法を変えたりすることを意味する。新しい習性は、ラマルクのいわゆる新しい「ブズワン besoin」を形成し、これに対応して動物大には新しい行動が出現する。フランス語の besoin はしばしば「欲望」とか「希望」とか訳されるため、多くの人々はラマルクが進化における新しい構造は動物の欲望によって形成されると主張しているのだと理解した。ところが、グレアム・キャノンが最近してきたように、「必要性 needs」と回するのが適切である。田原この主張は、ある動物が生活上何か新しい必要性に直面した場合、その必要に責められたことを遂行する法適当した構造や道力を発達させるであろうと言うことだのである。ラマルクはさらに、これら新しい行動や能力は以前によって子孫に伝えられ、結局真の意味の実家が達成されると主張している。
〔略〕
いちはやく欠点として指摘されたのは、彼が究極の原因とするものが意志の作用のうちに見いだせるものとされていることである。彼の図式では、このものはどの動物につながるものとされたのだが、本質的にはそれは神学者立場が神に帰する創造的意志と同種のものではないのか。〔略〕
ラマルクへの反対の第二は、〔略〕生物が自らの意志の働きによってであれ何か別の方法によってであれ、一生の間に獲得した形質は決して子孫には伝わらず、かくて進化の過程には何の役割も果たさないということである。
〔略〕
ダーウィン自身も、実際には獲得形質の遺伝や用不用の効果をまるで放棄しているわけではない。ダーウィンがラマルクを非難するのは第一の論点からである。彼にとっては、意志のはたらきの有効性とか、生物の必要性によって新しい器官ができるようになるといったような生気論的な考えはどうしても呑むことができぬものであった。」
(ウォディントン/白上謙一・碓井益雄 訳 1964: 107-109)。


文献
ウォディントン,C.H.1961(白上謙一・碓井益雄 訳 1964/5/23).生命の本質.v+195+5pp.岩波書店.[350円][B19810921、280円、札幌][Rh19831011][C. H. Waddinton. The Nature of Life. ]

Blavatsky, H.P.B. 1888. The Secret Doctrine.

Creme, Benjamin.


エネルギー、生命、霊、物質

2016年03月27日 16時04分58秒 | 生気論
20160327-1
エネルギー、生命、霊、物質


 「質料 substance に内在して、それに対応する永続的なものが生命であり、止むことのない生命である。生命と質料は同一である。一つであって永遠に不可分であるが、唯一の実在のしかし、異なる様相である。生命は正の電気性なのであり、質料は負の電気性である。生命は動的であり、質料は静的である。生命は活動または霊であり、質料は形態または物質である。生命は父であり原因であり、質料は母であり孕むものである。
生命と質料のこれら二様相に加えて、さらに三番目の様相がある。生命は理論的また潜在的な活動であり、行動 operation する場が必要である。質料はこれを供給し furnish、生命と質料が一つになることで、第四の活動的エネルギーが燃えあがる。
こうして、単一の実在、普遍的質料がある。しかし同時に共存する双対性〔二元性〕 duality、つまり生命と質料があり、また同時に共存する三位一体 trinity すなわち、生命、質料、そして結果として生じる相互作用である。最後のものをわれわれは、意識または魂と呼んでいる。
顕現した世界全体は、エネルギー(そして共同要因である質料と意識)から生じた。最小の粒の砂から最も広大な星空まで、一人のアフリカ未開人から一人の仏陀またはキリストまで、見られるすべてのものは、エネルギーが伸び出たものである。物質とはエネルギーの最も濃密なまたは最も下位の形態にあるものである。霊とはこの同じエネルギーが最高位のまたは最も精妙な形態にあるものである。それゆえ、物質は降下しつつある品位の落ちた霊であり、霊は逆に上昇している耀かされた物質である。」
(Bailey 1930: 57)[試訳20160327]。


文献
Bailey, Alice A. 1930. The Soul and its Mechanism. viii+9-165pp. Lucis Publishing Company.