生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

日米地位協定を改定または廃棄して、日本国の独立を

2018年08月15日 22時25分52秒 | 政治経済社会学
学問修行2018年8月15日(水)-1
日米地位協定を改定または廃棄して、日本国の独立を

 日本国民にとっての諸悪の根源は、日米地位協定の不平等さである。
 

 朝日新聞2018年8月15日(水)21面
  「地位協定見直し、全国知事会が初提言 翁長氏の訴え受け
2018年8月15日05時00分

 全国知事会は14日、日米地位協定の抜本的な見直しを日米両政府に提言した。8日に亡くなった翁長雄志・沖縄県知事の「基地問題は一都道府県の問題ではない」との訴えを受け、2年近くかけて提言にまとめ、7月の全国知事会議で全会一致で初めて採択した。航空法や環境法令など国内法の適用や、事件・事故時の基地への立ち入りなどを日米地位協定に明記するよう要請。米軍の訓練ルート・時期に関する情報を事前提供すること、基地の使用状況などを点検して縮小・返還を促すことも求めている。」
 朝日新聞2018年8月15日(水)21面
(https://digital.asahi.com/articles/DA3S13635855.html?ref=pcviewpage)


安倍政権と自民党の醜悪さと奴隷道徳と虚無主義

2018年08月15日 03時16分43秒 | 政治経済社会学
学問修行2018年8月15日(水)
安倍政権と自民党の醜悪さと奴隷道徳と虚無主義

 安倍政権と自民党の醜悪さと奴隷道徳と虚無主義を、ごく普通に、筋道すっきりと説明している。


 古川 雄嗣 : 教育学者、北海道教育大学旭川校准教授
 あの発言は「杉田水脈氏だけの問題」ではない
 「自民党と自称保守」を支配している根本思想

 「彼女〔自民党・杉田水脈議員〕がやっていることは、弱い者をたたき、異質な者を排除することによって、自分(たち)が「普通であること」を確かめ、集団としての「秩序」を保とうとすることでしかありません。これはまさに、「いじめ」の構造そのものです。いやしくも「保守」を自称し、日本の伝統だの、日本人としての誇りだのを口にするのであれば、せめて、「弱きを助け強きをくじく」といった意気地や誇りや美意識を、もう少しは大事にしてほしいものです。それがカケラも見られないから、彼女の文章は、ただただ「卑劣」で「醜悪」なのです。
〔略〕
「驚かないのか? こんなひどい奴が政治家をやっているんだぞ?」と問われたので、私はこう答えました。

「だって、自民党だもの」

私はむしろ、この記事を読んで「驚いた」という感想が多かったらしいことに対して、かなり驚きました。いったい、彼女の主張のどこに、いまさらあらためて驚くべきことがあるのでしょうか。

彼女が書いていることは、特にここ約20年来の自民党が、もろもろの政策の根本思想として、陰に陽に言い続けてきたことの、単なる「リピート」でしかありません。だからこそ彼女は、たちまち批判が噴出して「炎上」した際にも、あっけらかんと、「うちの党のエライ人は、問題ないって言ってくれてますよ?」などと、開き直ることができたのです。おそらくあれは、彼女のごく素朴で単純な本音だったのでしょう。

「何騒いでるの? みんなそう言ってるじゃん?」という感覚でしかなかったはずです。そして現に、自民党は当初、彼女の発言を問題視しないという見解を示し、それでも後を絶たない激しい批判を目の当たりにして、やっと慌てて「注意」を与えたにすぎなかったわけです。

「生産性」という概念は、本来「物」に対して使うものだ。それで人間の価値を測ろうとするなど、もってのほかだ。こういう批判が相次いでいます。

まったくそのとおりなのですが、しかし、この「生産性」の思想は、もうかれこれ約20年来、たとえば一連の教育改革において、あまりにもあからさまに語られ続けてきたものです。これはすでに、わが国において、幼児教育から高等教育(大学教育)まで、すべての学校段階を貫く、教育政策の根本思想なのです。

たとえば大学は、「役に立つ人材を作れ」との掛け声の下に、さまざまな「改革」を強いられています。「役に立つ」というのは、「生産性がある」という意味ですし、だから大学は、「人間を育てる」のではなく、「人材を作る」ことをしなければならないのです。

さらに、その「人材」を「作る」ための方法として、導入を義務づけられているのが、いわゆるPDCAサイクルです。これは、もともと工場で生産する製品の「品質管理」の方法です。こんにちの大学は、学生を「製品」と見なして「生産」し、それを「品質管理」することを、法律によって強制されているのです(詳しくは、藤本夕衣・古川雄嗣・渡邉浩一編『反「大学改革」論――若手からの問題提起』ナカニシヤ出版、2017年を参照)。

さらに、ここ数年、小中学校での「教科化」が話題になっている「道徳教育」もまた、じつは、まさにこの「生産性」の思想に基づくものにほかなりません。

意外に思われるでしょうか。たしかに、政府自身は(あるいは、「教科化」を支持する教育学者たちの多くは)、教科化を中心とする道徳教育の強化・推進は、「いじめ」をなくすことを何よりの目的としている、などと言っています。

しかし、違います。これは明らかに方便であり、政府が道徳教育を推進する真の目的ではありません。彼らのホンネは、国民の「生産性」の向上と、それによる「経済成長」です。そのためにこそ、道徳教育が必要だと、彼らは考えているのです。
〔略〕
「生産性」を前面に押し出しているこの論者は、何を隠そう、安倍首相のブレーンとして「教育再生実行会議」の委員などを務め、そこで道徳の「教科化」を提言した人物の1人でもある、麗澤大学教授・八木秀次氏にほかなりません。しかも彼は、「なぜ今、『道徳』教育が必要なのか」と題して、こう書いているのです。

彼の評論は、こう続きます。あるデータによると、「うそをついてはいけない」「他人に親切にする」「ルールを守る」「勉強をする」という4つの「基本的なモラル」の教育を、すべて受けた者は、1つでも欠けた者よりも、年収で約57万円、多くの所得を得ている。さらに、1つも教育されていない者と比べた場合、その差は約86万円にもなる。そうすると、「年収が多ければ当然、納める税額も多くなる。社会保障関係の納付金も多く、受給額は少ない」。したがって、「道徳教育」は「国家・社会全体として活力を産み、利益になるということだ」。

こう論じて、彼は、「教育で国民の質を上げることが経済的な効果を持つことがわかる。教育を国家戦略として位置付け、道徳教育を重視するのはその意味においてだ」と、この評論を締めくくっているのです。

「道徳教育」は、国民の経済的な「生産性」の向上をこそ、目的とするものである。「教科化」を提言・推進した当事者の1人が、はっきりと、そう述べているのです。
〔略〕
まったく恥じる様子もなく、「利益」と「生産性」だけが、日本が国家として目指すべき価値であり、「道徳」も「教育」も、ほとんどそのためだけにあるものなのだと、首相のブレーンを務め、いわゆる「保守」を代表する論客として知られる大学教授が、はっきりと言ってしまえるということに、私は愕然としました。
〔略〕
ほんとうの問題は、彼女がそうやって、ほとんど何の深い考えもなしにリピートしてしまった、自民党と自称保守を支配している根本思想にこそあるのです。

それは、奴隷根性とニヒリズムにほかなりません。

なぜ「奴隷」というのかといえば、彼らは人間を、自由な意思をもった「人間」としてではなく、単なる「物」としてしか、見ることができなくなっているからです。ここでいう「物」とは、一方では「生産手段」として労働に駆り立てられ、他方では「欲望の操り人形」として消費に駆り立てられる、労働と消費の自動機械のことです。これが「奴隷」でなくて何だというのでしょうか。

しかも彼らは、国民がそのような「奴隷」であることをこそ、むしろ善しとし、したがって国民にその「奴隷の道徳」を教え込み、それによって国家が「奴隷の国民」に支配されることをこそ、理想として目指そうとしているのです。

そして、この底抜けの奴隷根性をもたらしているものこそ、信ずべき価値を見失ったニヒリズムと、それに対する不安ではないのかと、私は思います。なぜなら、信ずべき価値を見失い、善悪と美醜を、暗黙のうちに、しかし確信をもって、判断することができなくなった者は、目に見えるわかりやすい基準に、その根拠を求めます。それが「数字」です。「道徳を教えれば、年収がいくら増える」などというのは、まさにその典型ではないでしょうか。
〔略〕
「道徳を教えれば経済が成長する。だからそれは正しい」

「同性愛者は経済に貢献しない。だからそれは間違っている」

この見るも無残なニヒリズムこそ、「自称保守」の政治家と知識人を、奴隷状態に向かって強迫症的に駆り立てている、不安の正体にほかなりません。彼らは、むしろ「保守」すべき大事なものを見失った、哀れな人たちなのです。

https://toyokeizai.net/articles/print/232518[受信:2018年8月15日(水)。]