いにしえのお寺を巡って(2)

2018年07月24日 | 日記
奈良 唐招提寺

鑑真和上は、742年日本からの熱心な招きに応じ、五度の渡航の失敗の上、
盲目の身となられながらも、753年に六度めの渡海でついに来朝されました。

東大寺大仏殿の前に戒壇を築き、聖武太上天皇はじめ四百余人の僧俗に、
日本初の正式授戒をされました。

758年に大和上(だいおしょう)の称号を賜りました。あわせて
新田部(にたべ)親王の旧宅地を賜り、759年(天平宝字三年)に
戒律の専修道場を創建されたとのことです。これが唐招提寺のはじまりだそうです。

国宝 金堂 


八本のエンタシス列柱はギリシャの神殿建築さながらの光景と称されます。
このお堂が8世紀後半からの建物であることに驚きます。

中央には座高3mの廬舎那仏座像、正面右に薬師如来立像、左に十一面千手観音菩薩立像
が、安置されています。

唐招提寺のリーフレットによると、

本尊の廬舎那仏座像(大仏)は、宇宙の中心、釈迦の本地仏

現世の苦悩を救済する薬師如来立像、

理想の未来へ導く十一面千手観世音菩薩立像

とありました。

この三尊が並ぶ姿を見たのは初めてで、それぞれのお姿からその威光のようなものが
1260年の時を経た今でも、とても力強く感じるように思えました。

金堂の端に置かれたハス




また、特別ご朱印めぐりのリーフレットの唐招提寺の項には、

開創以来、ハスを大切に栽培してきた。これは和上が来朝された際に蓮根を将来されたことによる。
和上伝来の品種は、「唐招提寺蓮(赤・八重)、「唐招提寺青蓮(白・一重)、「奈良蓮(赤・半八重)の
3種で、他の品種を含めて約130の蓮鉢と、境内2箇所の蓮池がある。

とのことでした。


これは、経蔵で唐招提寺が創建されるより前にあった新田部親王の米蔵を改造したものだそうです。
日本最古の校倉(あぜくら)とのことです。




鑑真和上の招来には、733年第9次遣唐使で派遣された、法相宗の僧、普照(ふしょう)と栄叡(えいえい)の
二人の僧の働きによるもののようです。その後、栄叡は、749年に唐で客死。普照は、帰朝後東大寺で律を講じたとのことです。

苦難の末にたどり着いた地で咲く蓮。今回初めて、1260年も大切に育て続けられていることを知りました。

連綿と大切に祈り続けられてきたことに、ただただ合掌します。