くすしき旅の先に〜長谷観音 鎌倉大仏 鶴岡八幡宮へ(結)

2019年02月27日 | 日記
初めて江ノ電に乗りました線路間際に迫る民家を抜け、しばらくすると車窓から七里ヶ浜あたりの青い海が見えてきました。
長谷駅から歩いて五分くらいで長谷寺に到着。
まさかのお寺の由来がここにありました。

同名のお寺が奈良にあるのは知っていましたが、まさか、その奈良の初瀬の同じ霊木から同時に作られた二体の観音さまのうちの一体が、衆生を救う祈念のために海に流されて15年後に流れついたのでここにお寺を開いたとは〜大変驚きました✨🙏✨

お堂に入ると、高さ9.18メートルのまばゆいばかりに輝いておられる大きな木造十一面観音さまが立っておられました。

一瞬にして、はっと包まれたような感じを受けました。誰もが静粛にしてじっと佇み、手を合わせ続ける。そんな厳かな空間に有難い気持ちでいっぱいになりました✨🙏✨

お堂を出て、紫陽花が沢山植わっている山ぎわの斜面の道を上がっていくと、眼下に由比ヶ浜が広がって見えました。

また階段を降りていくと、経蔵と呼ばれるお堂がありました。中に入ると真ん中に、回転式の八角形の書架がありました。この書架は輪蔵と呼ばれ、中に一切経が収められています。拝みながら1回転一緒に回ると、中のお経を読誦したのと同じ功徳があるそうですまた経蔵の壁面には摩尼車もありました。これも手のひらで触って回転させるだけでお経を唱えたのと同じ功徳が得られるそうです

回せるのは、観音御縁日の毎月18日と正月三が日、4月8日、8月10日の年に17回だけです。訪れたこの日はなんと2月18日だったので回すことが出来ました🍀ご縁に恵まれ本当に有難いことでした〜✨🙏✨

さてここから、また歩いて歩いて〜ついに

鎌倉大仏さまに到着。国宝銅造阿弥陀如来坐像

坐像の高さは11.3m 重量は121トン。

高徳院のホームページやウィキペディアによると造立が開始されたのは1254年で、その後台風や大津波で大仏殿が失われ、1365年以降建物の再建された形跡がないそうで、露坐の大仏さまとなられたようです。

そして旅の終わりはここ。⬇︎

鶴岡八幡宮を目指しました。
ここは1063年に、河内源氏の源頼義が、奥州平定が叶い鎌倉に戻ったときに、源氏の氏神である京都八幡の石清水八幡宮から七里ヶ浜辺に勧請したのが始まりだそうです。
源頼朝が現在の場所に移したのは、1180年。
それから八百年以上の年月を経た今。戦後のこの75年の間に文明は急速に進んで便利な豊かな時代になりました。これからの世紀も平和で人々が和やかなに暮らせる時代が続いていきますようにと心から願うこの旅の終わりでした

追記〜お宿は鷗外先生の旧宅の地に〜

スケジュールいっぱいのこの旅。朝早くに宿を出て、夜遅くに帰って、温泉を頂くだけのお宿でしたが〜よくよく振り返れば、明治の文豪森鷗外先生の旧宅がロビーから眺められる宿だったのです。

ロビーの水槽には沢山の魚が泳いでいました。

庭の向こうに見えるのが鷗外先生の旧宅。

今回、友人の絵画入賞を祝しての東京行きが実現

素晴らしい綿密なスケジュールを立てて頂いたり、様々な連絡を取りあって頂いたり、切符や旅館の手配をしてもらったり、初日途中から急に脚が痛くなって荷物を代わりがわりに持ってもらったり、階段で支えてもらったり、夜にケアしてもらったり、優しい声をかけてくださったり〜✨🙏✨

ご一緒させていただいたお一人お一人に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました✨💕✨

ちなみにこの旅三日間の歩数は〜74093 でした👏👏👏