今日、運転免許の更新を終えた。
次回の更新は5年後になるが、それまで事故無く旅を楽しんでいられたら、こんな嬉しいことはない。
さて、重要文化財の石塔を持つ2つの寺を紹介する。ともに拝観料不要の寺で、限られた予算内での長旅をしている私にとっては、大変ありがたい寺でもある。
梵釈山 涌泉寺(ゆうせんじ)
滋賀県東近江市鋳物師町にある涌泉寺は聖武天皇の勅願によって開創されたと伝えられる
山門(鐘楼)
拝観料がないのは嬉しいが困ることもある。
建物の名称や歴史などパンフレットを見て動くことが多いが、それができない。
この山門も見方によっては鐘楼ともいえる。
石造九重塔(重要文化財)
鎌倉時代(1295年)在銘の九重石塔として貴重
この塔は基礎部分を失っており現高は4.4m
塔身には西面に阿弥陀、北面に弥勒、東面に薬師、南面に釈迦を刻出している
周囲に大きな石があるが境内を整備しているためここに置かれている
石塔に横には観音像が立つ
九重石塔に花を入れてみた
同じく山門にもこの花は「桜」
普段はきれいになっているらしいが、工事中で自由に歩くことができる範囲も自然制限されてしまう
次の寺はナビにもその存在がなく、住所検索により、なんとかたどり着いたが駐車スペースがなく、少し離れた場所に車を駐めた。
目的地は「赤人寺」だが、同じ場所に「山部神社」がある。
すっかり回転の悪くなった私の頭にも、ある人物名が閃いた。
養老山 赤人寺(しゃくにんじ)
奈良時代の歌人、山部赤人の創建で、臨終の地と伝えられる
この建物の扉には、紙で作られた花が飾られている。
お堂内は本物の花で飾られている。
本堂
万葉歌人で三十六歌仙の一人に数えられ、柿本人麻呂とともに歌聖と称されている山部赤人が開創したと伝わるお寺だが、かなり傷んできている感じがする。
元正天皇より「養老山」の勅額を賜り「赤人寺」と名付けられ赤人はこの地で生涯を閉じたと伝えられている
七重石塔(重要文化財)
本堂裏の狭い空間に建つ石塔は、文保2年(1318)山部種生が赤人の冥福を祈って建てた
山部神社
祭神は山部赤人。明治9年(1876)に小松大明神から山部神社に改称
本殿は1間社流造り檜皮葺で室町時代末頃に建立された
赤人廟碑<慶応元年(1865)に刻まれた碑文>
赤人寺が山部赤人の創建であること、小松社(山部神社)が赤人の廟にあたり近くに墓や桜があったことが記されている
赤人歌碑
「春野の 寿みれ摘みにと こし我は野をなつかしみ 一夜寝た計る」
「田子の浦ゆ うち出てみればま白にぞ 富士の高嶺に 雪はふりける」
山部赤人のことを学んだのは高校生の時だと思うが、宗教家でもあったことなど、まったく知らず、この年齢になって新しい発見ができたことは素直に嬉しい。
これまで重要文化財を持つ寺院の石塔を紹介してきたが、近くに「石塔寺」があるので、そこへ向かうことにした。
平成25年11月9日
次回の更新は5年後になるが、それまで事故無く旅を楽しんでいられたら、こんな嬉しいことはない。
さて、重要文化財の石塔を持つ2つの寺を紹介する。ともに拝観料不要の寺で、限られた予算内での長旅をしている私にとっては、大変ありがたい寺でもある。
梵釈山 涌泉寺(ゆうせんじ)
滋賀県東近江市鋳物師町にある涌泉寺は聖武天皇の勅願によって開創されたと伝えられる
山門(鐘楼)
拝観料がないのは嬉しいが困ることもある。
建物の名称や歴史などパンフレットを見て動くことが多いが、それができない。
この山門も見方によっては鐘楼ともいえる。
石造九重塔(重要文化財)
鎌倉時代(1295年)在銘の九重石塔として貴重
この塔は基礎部分を失っており現高は4.4m
塔身には西面に阿弥陀、北面に弥勒、東面に薬師、南面に釈迦を刻出している
周囲に大きな石があるが境内を整備しているためここに置かれている
石塔に横には観音像が立つ
九重石塔に花を入れてみた
同じく山門にもこの花は「桜」
普段はきれいになっているらしいが、工事中で自由に歩くことができる範囲も自然制限されてしまう
次の寺はナビにもその存在がなく、住所検索により、なんとかたどり着いたが駐車スペースがなく、少し離れた場所に車を駐めた。
目的地は「赤人寺」だが、同じ場所に「山部神社」がある。
すっかり回転の悪くなった私の頭にも、ある人物名が閃いた。
養老山 赤人寺(しゃくにんじ)
奈良時代の歌人、山部赤人の創建で、臨終の地と伝えられる
この建物の扉には、紙で作られた花が飾られている。
お堂内は本物の花で飾られている。
本堂
万葉歌人で三十六歌仙の一人に数えられ、柿本人麻呂とともに歌聖と称されている山部赤人が開創したと伝わるお寺だが、かなり傷んできている感じがする。
元正天皇より「養老山」の勅額を賜り「赤人寺」と名付けられ赤人はこの地で生涯を閉じたと伝えられている
七重石塔(重要文化財)
本堂裏の狭い空間に建つ石塔は、文保2年(1318)山部種生が赤人の冥福を祈って建てた
山部神社
祭神は山部赤人。明治9年(1876)に小松大明神から山部神社に改称
本殿は1間社流造り檜皮葺で室町時代末頃に建立された
赤人廟碑<慶応元年(1865)に刻まれた碑文>
赤人寺が山部赤人の創建であること、小松社(山部神社)が赤人の廟にあたり近くに墓や桜があったことが記されている
赤人歌碑
「春野の 寿みれ摘みにと こし我は野をなつかしみ 一夜寝た計る」
「田子の浦ゆ うち出てみればま白にぞ 富士の高嶺に 雪はふりける」
山部赤人のことを学んだのは高校生の時だと思うが、宗教家でもあったことなど、まったく知らず、この年齢になって新しい発見ができたことは素直に嬉しい。
これまで重要文化財を持つ寺院の石塔を紹介してきたが、近くに「石塔寺」があるので、そこへ向かうことにした。
平成25年11月9日