旅行途中で薬師寺の水煙が一般公開され、写真も自由に撮れるという内容のニュースが流れていた。
薬師寺には何度も訪れてはいるが、最後に訪れてから10年以上も経つ。唐招提寺にも行きたいと思っていたのでちょうどよかった。
薬師寺<世界遺産>
奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山。南都七大寺のひとつ、本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇、道昭、義淵である。
1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録
駐車場から南門へ、以前来たときは世界遺産登録前だったことを思い出す

南門
境内南正面にある小規模な四脚門。室町時代・永正9年(1512年)の建築で、もとは薬師寺西院の門
早い時間帯だったこともあり参拝者の数もまだ少ない

中門
中門は昭和59年(1984)に西塔に引き続き復興された。平成3年(1991)には二天王像も復元


金堂
金堂は享禄元年(1528)この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、西塔などと共に焼け落ちた。
昭和42年(1967)高田好胤が晋山し、百万巻写経勧進による金堂再建を提唱、全国に写経勧進に歩かれ、その結果昭和46年(1971)金堂の起工式を行い、そして昭和51年(1976)4月に白鳳時代様式の本格的な金堂として復興した

本堂の仏像
堂内撮影禁止と書かれてあったのでお堂の外から
薬師三尊像(国宝)
飛鳥時代後期(白鳳期) - 奈良時代(7 - 8世紀)の作。中尊は薬師如来、左脇侍に日光菩薩、右脇侍に月光菩薩を配している




大講堂側から見た金堂、右に西塔、左の覆いは修復中の東塔

西塔
東塔と対称的な位置に建つ。旧塔は享禄元年(1528年)に戦災で焼失

現在ある塔は1981年に伝統様式・技法で再建された

再建当時の朱色も今は周囲に風景に溶け込み、落ち着いた色になっている

大講堂
2003年の再建。正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物。
本尊の銅造三尊像(重文)は、中尊の像高約267センチの大作だが、制作時期、本来どこにあった像であるかなどについて謎の多い像である
かつては金堂本尊と同様、「薬師三尊」とされていたが、大講堂の再建後、寺では「弥勒三尊」と称している


東塔 古代釘(国宝)
講堂内に展示されている

鐘楼

東院堂(国宝)
境内東側、回廊の外に建つ
元明天皇のために皇女の吉備内親王が養老年間(717-724年)に建立した東禅院が前身で、現在の建物は鎌倉時代・弘安8年(1285年)の建築

堂内の厨子に本尊・聖観音立像を安置する


聖観世音菩薩(国宝)
金堂薬師三尊像と同じく、飛鳥時代後期(白鳳期) - 奈良時代の金銅仏の代表作の1つ
日本屈指の美しい観音像の一つといわている

礼門


玄奘三蔵院 玄奘塔
玄奘三蔵は『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶

薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たる

平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿(写真左の建物)にお祀りしている
大谷徹奘執事法話
30分間の法話であるが所々に過去に見聞きした内容が多く含まれていた。
実は学生時代に故・高田好胤氏のテレビ法話を真剣に視聴し、その著書も購入し少なからず影響を受けていた時代があった。
般若心経も購入したが「とらわれない こころ かたよらない こころ こだわらない こころ ひろく ひろく もっとひろく これが般若心経 空のこころなり」と説いた高田好胤氏の言葉が当時の自分の心にすっと入ってきたことを今でも思い出す。
大谷氏の法話の最後に参加者全員でこの言葉を唱えた。
次回(東塔水煙降臨展)に続く
撮影 平成25年11月16日
薬師寺には何度も訪れてはいるが、最後に訪れてから10年以上も経つ。唐招提寺にも行きたいと思っていたのでちょうどよかった。
薬師寺<世界遺産>
奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山。南都七大寺のひとつ、本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇、道昭、義淵である。
1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録
駐車場から南門へ、以前来たときは世界遺産登録前だったことを思い出す

南門
境内南正面にある小規模な四脚門。室町時代・永正9年(1512年)の建築で、もとは薬師寺西院の門
早い時間帯だったこともあり参拝者の数もまだ少ない

中門
中門は昭和59年(1984)に西塔に引き続き復興された。平成3年(1991)には二天王像も復元


金堂
金堂は享禄元年(1528)この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、西塔などと共に焼け落ちた。
昭和42年(1967)高田好胤が晋山し、百万巻写経勧進による金堂再建を提唱、全国に写経勧進に歩かれ、その結果昭和46年(1971)金堂の起工式を行い、そして昭和51年(1976)4月に白鳳時代様式の本格的な金堂として復興した

本堂の仏像
堂内撮影禁止と書かれてあったのでお堂の外から
薬師三尊像(国宝)
飛鳥時代後期(白鳳期) - 奈良時代(7 - 8世紀)の作。中尊は薬師如来、左脇侍に日光菩薩、右脇侍に月光菩薩を配している




大講堂側から見た金堂、右に西塔、左の覆いは修復中の東塔

西塔
東塔と対称的な位置に建つ。旧塔は享禄元年(1528年)に戦災で焼失

現在ある塔は1981年に伝統様式・技法で再建された

再建当時の朱色も今は周囲に風景に溶け込み、落ち着いた色になっている

大講堂
2003年の再建。正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物。
本尊の銅造三尊像(重文)は、中尊の像高約267センチの大作だが、制作時期、本来どこにあった像であるかなどについて謎の多い像である
かつては金堂本尊と同様、「薬師三尊」とされていたが、大講堂の再建後、寺では「弥勒三尊」と称している


東塔 古代釘(国宝)
講堂内に展示されている

鐘楼

東院堂(国宝)
境内東側、回廊の外に建つ
元明天皇のために皇女の吉備内親王が養老年間(717-724年)に建立した東禅院が前身で、現在の建物は鎌倉時代・弘安8年(1285年)の建築

堂内の厨子に本尊・聖観音立像を安置する


聖観世音菩薩(国宝)
金堂薬師三尊像と同じく、飛鳥時代後期(白鳳期) - 奈良時代の金銅仏の代表作の1つ
日本屈指の美しい観音像の一つといわている

礼門


玄奘三蔵院 玄奘塔
玄奘三蔵は『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶

薬師寺と興福寺が法相宗の大本山で、玄奘三蔵は法相宗の始祖に当たる

平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿(写真左の建物)にお祀りしている
大谷徹奘執事法話
30分間の法話であるが所々に過去に見聞きした内容が多く含まれていた。
実は学生時代に故・高田好胤氏のテレビ法話を真剣に視聴し、その著書も購入し少なからず影響を受けていた時代があった。
般若心経も購入したが「とらわれない こころ かたよらない こころ こだわらない こころ ひろく ひろく もっとひろく これが般若心経 空のこころなり」と説いた高田好胤氏の言葉が当時の自分の心にすっと入ってきたことを今でも思い出す。
大谷氏の法話の最後に参加者全員でこの言葉を唱えた。

次回(東塔水煙降臨展)に続く
撮影 平成25年11月16日