今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

鞍馬山 鞍馬寺 その1(京都府京都市左京区鞍馬本町)

2013年12月21日 | 神社・仏閣
行ってみたかった寺の一つであり念願は叶った。
だが、いつものことではあるが下調べなど全くしていなかったため、甘く考えていた部分もありかなり苦労もした。

鞍馬山 鞍馬寺
京都府京都市左京区鞍馬本町にある。1949年まで天台宗に属したが以降独立して鞍馬弘教総本山となる。
山号は鞍馬山。開基は鑑真の高弟鑑禎(がんてい)。
本尊は寺では「尊天」。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。
また、鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、能の『鞍馬天狗』でも知られる。

仁王門(山門)
1891年(明治24年)焼失し、1911年(明治44年)再建された



仁王門は俗界から鞍馬山の浄域への結界

 

仁王尊像は湛慶作と伝えられている(帰りに写真を撮ろうと思っていたが)



ここから緩い上り坂になるが300m程歩くと鳥居が見えてくる

由岐神社
祭神は元は宮中に祀られていたが、都で大地震・天慶の乱が起き、当時の天皇である朱雀天皇の勅により、天慶3年(940年)、鞍馬の地に遷宮をし、北方鎮護を仰せつかった



拝殿(重要文化財) 
豊臣秀頼により再建 割拝殿形式の桃山建築



願掛け杉の神木
大杉社の祭神

 

本殿 
豊臣秀頼により再建された



愛と光と力の像~いのち~
毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている



中門
もともとは仁王門の横にあり、勅使門または四脚門と呼ばれ朝廷の勅使が通る門であった



皇后陛下行啓御休息蹟 
大正13年12月に貞明皇后が行啓の際休息された所



九十九折(つづらおり)参道の途中ではあるが、誰しも休みたい気持ちになる
その昔、最澄や清少納言、そして牛若丸も同じ道を歩いていたかと思うと力が涌いてくる

転法輪堂
祖先の恩徳に感謝を捧げる道場。丈六の阿弥陀仏が安置されている



重怡(じゅうい)上人が6万遍の弥勒宝号を書いて法輪に収めたことが転法輪堂の名の由来



 


寝殿
1924年(大正13年)の建築。貞明皇后が行啓の際の休息所



非公開となっている



翔雲臺
中央の板石は本殿後方より出土したもので、平安時代より鞍馬寺に伝えられた如法写経会の経巻を埋納した経塚の蓋石



板石の下から発掘された経塚遺物二百余点が国宝に指定された



本殿
鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。
堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している



石畳は金剛床といい、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものと一体化するという鞍馬山の教えの理想を表現する

3年前SMAPの稲垣吾郎が金剛床に立って大きく手を広げたり、天を仰いだりして拝む姿がテレビで紹介された。
その姿を真似てみる女性の参拝者が増えたという。
実際並ばなければこの地点に立つことができない。
写真は外国人女性が合掌している姿だがこちらの方がずっと様になっている



写真ではわからないが金剛床周辺には多くの参拝者が待機している
ご本尊は秘仏で60年に一度丙寅の年のみ扉が開かれる 



光明心殿
護法魔王尊を祀る


 
次回(奥の院)に続く


撮影 平成25年11月14日
コメント (2)
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