北星山 宝幢院 西福寺(さいふくじ)
北条時頼により、天台宗の寺院として創建され、文安元年(1444)に浄土宗の寺院として再興されたと伝えられる

北斗星が境内の松に来臨した夢を見たことから山号を北星山に

「手水舎」

この日の朝に供えられたと思われる花。日本人の信仰心の厚さを感じる

「星福弁財天」

本堂
堂内の扉は閉じたままで内部を窺うことができなかった

鐘楼(愛知県指定文化財)
明治維新の神仏分離令に際し、岡崎市の伊賀八幡宮より、明治4年(1871)に移築した
伊賀八幡宮の諸建築が寛永13年(1636)に建立されているので、この鐘楼もこの時の建立と考えられる

桁行3間、梁間2間の袴腰付の建物で、屋根は入母屋造、桟瓦葺(もとはとち葺)
姿形がいいだけに周囲の電線が気になり、目立たぬ場所をさがしたらここになった

撮影 平成29年5月11日
北条時頼により、天台宗の寺院として創建され、文安元年(1444)に浄土宗の寺院として再興されたと伝えられる

北斗星が境内の松に来臨した夢を見たことから山号を北星山に

「手水舎」

この日の朝に供えられたと思われる花。日本人の信仰心の厚さを感じる

「星福弁財天」

本堂
堂内の扉は閉じたままで内部を窺うことができなかった

鐘楼(愛知県指定文化財)
明治維新の神仏分離令に際し、岡崎市の伊賀八幡宮より、明治4年(1871)に移築した
伊賀八幡宮の諸建築が寛永13年(1636)に建立されているので、この鐘楼もこの時の建立と考えられる

桁行3間、梁間2間の袴腰付の建物で、屋根は入母屋造、桟瓦葺(もとはとち葺)
姿形がいいだけに周囲の電線が気になり、目立たぬ場所をさがしたらここになった

撮影 平成29年5月11日