訪問日 令和5年5月19日
清瀧山 浄光院 萬福寺
応安7年(1374年)益田七尾城11代城主 益田兼見により建立
益田道場 浄光院 萬福寺と改め、益田氏の菩提寺とした
山門

額には寺号の「萬福寺」


本堂(重要文化財)
萬福寺の前身は「安福寺(天台宗)」といい平安時代に建立された
万寿3年(1026年)大津波のため流失
元応元年(1319年)遊行呑海上人が入寺された際、時宗の道場になった

応安7年(1374年)益田七尾城11代城主 益田兼見が現在の地に移築して「萬福寺」と改称した

室町時代前期(1374年)の建立
桁行七間、梁間七間、一重、寄棟造、桟瓦葺

案内板

雪舟像
文明11年(1479年)15代城主 益田兼堯(かねたか)が画聖雪舟を招き、石庭を造らせた

本堂額には山号の「清瀧山」

本堂内部に入る<拝観料:500円>

襖絵





慶応2年(1866年)第2次長州征伐・益田口戦争の際には幕府軍の陣営となった
軍略の天才「大村益次郎」が率いる長州藩1,000人の兵員で石州口を防衛し勝利
その時の鉄砲玉の跡が柱に残っている

兵火のために総門は焼失したが、本堂と庫裏は残った



欄間の彫刻



賓頭盧尊者

梵鐘

収蔵庫の仏像

弥陀三尊像(江戸時代)

阿弥陀如来像

勢至菩薩

観世音菩薩

普賢菩薩像(江戸時代)


青面(しょうめん)金剛像(江戸時代)

千手観音像(江戸時代)

持国天像(益田市有形文化財)平安時代

多聞天像(益田市有形文化財)平安時代

千手観音菩薩像(益田市有形文化財)平安時代


阿弥陀如来坐像(益田市有形文化財)鎌倉時代

庭園(国の史跡及び名勝)
須弥山式の庭園(雪舟作庭)

正面の心字池の向こうになだらかな築山と石組群が見える

殿様になった気分で部屋から鑑賞

境内に咲いていた花

本堂屋根



撮影 令和5年5月19日
清瀧山 浄光院 萬福寺
応安7年(1374年)益田七尾城11代城主 益田兼見により建立
益田道場 浄光院 萬福寺と改め、益田氏の菩提寺とした
山門

額には寺号の「萬福寺」


本堂(重要文化財)
萬福寺の前身は「安福寺(天台宗)」といい平安時代に建立された
万寿3年(1026年)大津波のため流失
元応元年(1319年)遊行呑海上人が入寺された際、時宗の道場になった

応安7年(1374年)益田七尾城11代城主 益田兼見が現在の地に移築して「萬福寺」と改称した

室町時代前期(1374年)の建立
桁行七間、梁間七間、一重、寄棟造、桟瓦葺

案内板

雪舟像
文明11年(1479年)15代城主 益田兼堯(かねたか)が画聖雪舟を招き、石庭を造らせた

本堂額には山号の「清瀧山」

本堂内部に入る<拝観料:500円>

襖絵





慶応2年(1866年)第2次長州征伐・益田口戦争の際には幕府軍の陣営となった
軍略の天才「大村益次郎」が率いる長州藩1,000人の兵員で石州口を防衛し勝利
その時の鉄砲玉の跡が柱に残っている

兵火のために総門は焼失したが、本堂と庫裏は残った



欄間の彫刻



賓頭盧尊者

梵鐘

収蔵庫の仏像

弥陀三尊像(江戸時代)

阿弥陀如来像

勢至菩薩

観世音菩薩

普賢菩薩像(江戸時代)


青面(しょうめん)金剛像(江戸時代)

千手観音像(江戸時代)

持国天像(益田市有形文化財)平安時代

多聞天像(益田市有形文化財)平安時代

千手観音菩薩像(益田市有形文化財)平安時代


阿弥陀如来坐像(益田市有形文化財)鎌倉時代

庭園(国の史跡及び名勝)
須弥山式の庭園(雪舟作庭)

正面の心字池の向こうになだらかな築山と石組群が見える

殿様になった気分で部屋から鑑賞

境内に咲いていた花

本堂屋根



撮影 令和5年5月19日