訪問日 令和5年5月16日
鳥取東照宮<旧 樗谿神社>
江戸時代 慶安3年(1650年)の創建
創建より因幡東照宮と称され、明治7年(1874年)から平成23年(2011年)までは樗谿(おうちだに)神社と称されていた
鳥取藩初代藩主池田光仲によって造営された
光仲はわずか3歳で藩主となり、藩主となって16年目の慶安元年12月(1649年)に初のお国入りを果たした
藩主としての威厳を示すため、鳥取城下への東照宮勧進を願い出て許可された
近くにある樗谿公園は梅林、遊歩道、芝生公園が整備され、奥には周囲の緑を映す大宮池があり、憩いの場として知られている
随神門
東照宮のイメージとは異なる簡素な建物だ
気象条件等もあり、偶々なのかも知れないがこれは酷すぎる
拝殿まで少し距離があることもあり、この場所から手を合わせる人を何人か見かけた
手水舎
随神門を背に進むと石段の上に拝殿が見えてくる
拝殿(重要文化財)
桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺
東照宮の社殿というと豪華絢爛なイメージがあるが、ここは簡素で上品な感じがとてもいい
本殿(重要文化財)
桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺
祭神:主神として東照大権現
配神として池田忠継・忠雄・光仲・慶徳を合祀
池田光仲の父・忠雄の生母は徳川家康の次女・督姫で、光仲自身は家康の曾孫となる
光仲が曾祖父・家康を追慕しての東照宮勧進でもあった
かつては豊臣系大名の雄として知られた池田家が幕府への恭順の意を示すための勧進でもあった
本殿扉上の桁には「鷹」の彫刻があり、左甚五郎の作と伝わる
本殿側から見た拝殿
東照宮の彩色を感じる唯一の部分のような気がする
神輿舎
撮影 令和5年5月16日
鳥取東照宮<旧 樗谿神社>
江戸時代 慶安3年(1650年)の創建
創建より因幡東照宮と称され、明治7年(1874年)から平成23年(2011年)までは樗谿(おうちだに)神社と称されていた
鳥取藩初代藩主池田光仲によって造営された
光仲はわずか3歳で藩主となり、藩主となって16年目の慶安元年12月(1649年)に初のお国入りを果たした
藩主としての威厳を示すため、鳥取城下への東照宮勧進を願い出て許可された
近くにある樗谿公園は梅林、遊歩道、芝生公園が整備され、奥には周囲の緑を映す大宮池があり、憩いの場として知られている
随神門
東照宮のイメージとは異なる簡素な建物だ
気象条件等もあり、偶々なのかも知れないがこれは酷すぎる
拝殿まで少し距離があることもあり、この場所から手を合わせる人を何人か見かけた
手水舎
随神門を背に進むと石段の上に拝殿が見えてくる
拝殿(重要文化財)
桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、こけら葺
東照宮の社殿というと豪華絢爛なイメージがあるが、ここは簡素で上品な感じがとてもいい
本殿(重要文化財)
桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺
祭神:主神として東照大権現
配神として池田忠継・忠雄・光仲・慶徳を合祀
池田光仲の父・忠雄の生母は徳川家康の次女・督姫で、光仲自身は家康の曾孫となる
光仲が曾祖父・家康を追慕しての東照宮勧進でもあった
かつては豊臣系大名の雄として知られた池田家が幕府への恭順の意を示すための勧進でもあった
本殿扉上の桁には「鷹」の彫刻があり、左甚五郎の作と伝わる
本殿側から見た拝殿
東照宮の彩色を感じる唯一の部分のような気がする
神輿舎
撮影 令和5年5月16日