訪問日 令和5年5月22日
清水山 観世音寺
天台宗の寺院
天智天皇が母斉明天皇の追善のために発願した
発願から約80年も経った天平18年(746年)に完成した
講堂(福岡県指定文化財)
観世音寺は空海ゆかりの寺でもある
大同元年(806年)年8月に寧波から出航した空海は同年10月に九州に着き、観世音寺に落ち着いた
空海は、20年の留学の期間をわずか2年ほどで帰国したことで入京の許可が得られなかった

先に帰国していた最澄は太政官に送られた空海の請来目録を見て驚く
真言密教のことでは最澄が請来したものと大きな隔りがあるため最澄はそれを書写して手許に置いた
空海の請来したものが貴重と認識され始め、3年後に入京を許され、高雄山の神護寺に住むこととなった

その後天平宝字5年(761年)鑑真によって「戒壇院」が設けられた
僧になる者が受戒をするためにわざわざ都へ出向かずとも、観世音寺で受戒ができた
*元禄16年(1703年)に戒壇院は観世音寺から独立した

平安時代以降の観世音寺は、たび重なる火災や風害によって、創建当時の堂宇や仏像をことごとく失った
現在の講堂(本堂)は、元禄元年(1688年)再建
入母屋造瓦葺き二重屋根の仏堂

本尊:聖観音坐像(重要文化財)<宝蔵に安置>
堂内には金堂にあった聖観音立像を安置する

碾磑(重要美術品)
重要美術品は重要文化財に指定されるほどではないものの貴重な文化財

奈良時代のものと伝承する石臼(碾磑)
日本最古と言われており、一段で400Kgの重さがある

木槵樹(もくげんじゅ)

その種子で数珠を作り、百万遍の念仏を唱えると極楽往生できるというのが、謡曲『道明寺』に謡われている

金堂(福岡県指定文化財)
康和4年(1102年)に大風で倒壊
その後復旧したが、康治2年(1143年)の火災で再度焼失
寛永7年(1630年)の暴風雨で、当時唯一残っていた金堂が倒壊し、観世音寺は廃寺同然の状況に追い込まれた

寛永8年(1631年)藩主黒田家や博多の豪商である天王寺屋浦了夢らによって復興された

平安時代後期以来、東大寺の末寺であったが、明治時代以降は天台宗の寺院となっている

梵鐘(国宝)
重要文化財として貴重な仏像は数多くあるが、国宝は梵鐘だけである

現存する梵鐘は、正確な鋳造年次は不明ながら、「戊戌年」(698年)の銘がある京都・妙心寺の梵鐘と同一の木型によって鋳造された兄弟鐘とみなされる

初めてこの場所に訪れた時、国宝の梵鐘が軟弱な金網と数百円の南京錠で護られていることに驚いたものだ
さて、その梵鐘だが「九州国立博物館」で公開しているとの案内があった

宝蔵
拝観料:500円
18体の重要文化財の仏像が安置され、その大きさにも圧倒される
十数年前、地元のタクシーに乗った時に歴史的には天満宮より価値があると運転手が話してくれたことを思い出す

撮影 令和5年5月22日
清水山 観世音寺
天台宗の寺院
天智天皇が母斉明天皇の追善のために発願した
発願から約80年も経った天平18年(746年)に完成した
講堂(福岡県指定文化財)
観世音寺は空海ゆかりの寺でもある
大同元年(806年)年8月に寧波から出航した空海は同年10月に九州に着き、観世音寺に落ち着いた
空海は、20年の留学の期間をわずか2年ほどで帰国したことで入京の許可が得られなかった

先に帰国していた最澄は太政官に送られた空海の請来目録を見て驚く
真言密教のことでは最澄が請来したものと大きな隔りがあるため最澄はそれを書写して手許に置いた
空海の請来したものが貴重と認識され始め、3年後に入京を許され、高雄山の神護寺に住むこととなった

その後天平宝字5年(761年)鑑真によって「戒壇院」が設けられた
僧になる者が受戒をするためにわざわざ都へ出向かずとも、観世音寺で受戒ができた
*元禄16年(1703年)に戒壇院は観世音寺から独立した

平安時代以降の観世音寺は、たび重なる火災や風害によって、創建当時の堂宇や仏像をことごとく失った
現在の講堂(本堂)は、元禄元年(1688年)再建
入母屋造瓦葺き二重屋根の仏堂

本尊:聖観音坐像(重要文化財)<宝蔵に安置>
堂内には金堂にあった聖観音立像を安置する

碾磑(重要美術品)
重要美術品は重要文化財に指定されるほどではないものの貴重な文化財

奈良時代のものと伝承する石臼(碾磑)
日本最古と言われており、一段で400Kgの重さがある

木槵樹(もくげんじゅ)

その種子で数珠を作り、百万遍の念仏を唱えると極楽往生できるというのが、謡曲『道明寺』に謡われている

金堂(福岡県指定文化財)
康和4年(1102年)に大風で倒壊
その後復旧したが、康治2年(1143年)の火災で再度焼失
寛永7年(1630年)の暴風雨で、当時唯一残っていた金堂が倒壊し、観世音寺は廃寺同然の状況に追い込まれた

寛永8年(1631年)藩主黒田家や博多の豪商である天王寺屋浦了夢らによって復興された

平安時代後期以来、東大寺の末寺であったが、明治時代以降は天台宗の寺院となっている

梵鐘(国宝)
重要文化財として貴重な仏像は数多くあるが、国宝は梵鐘だけである

現存する梵鐘は、正確な鋳造年次は不明ながら、「戊戌年」(698年)の銘がある京都・妙心寺の梵鐘と同一の木型によって鋳造された兄弟鐘とみなされる

初めてこの場所に訪れた時、国宝の梵鐘が軟弱な金網と数百円の南京錠で護られていることに驚いたものだ
さて、その梵鐘だが「九州国立博物館」で公開しているとの案内があった

宝蔵
拝観料:500円
18体の重要文化財の仏像が安置され、その大きさにも圧倒される
十数年前、地元のタクシーに乗った時に歴史的には天満宮より価値があると運転手が話してくれたことを思い出す

撮影 令和5年5月22日