訪問日 令和5年6月17日
熊野大社
「あいたの~愛犬と楽しくお出かけ~」というYouTuberの動画で熊野大社の存在を知り訪れた
山の奥深い場所にあるが、平日でも参拝者も多いのには驚いた
火の発祥の神社として「日本火出初之社」とも呼ばれ、出雲大社と共に「出雲国一宮」である
さざれ石
鳥居
初めての場所は見逃しのないように注意深く歩くようにしている
神橋
鳥居
手水舎
境内図
後に写真を整理し発信する際には、この境内図は大変役に立つ
狛犬
随神門
明治19年(1886)昭和3年(1928)に改築された
大きな注連縄が張られている
「夫婦和合 連理の榊」
石碑には日本の和歌の最初の歌
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」
作者は戔嗚尊(スサノオノミコト)<熊野大社の祭神>
拝殿
『出雲國風土記』(733年)に熊野大社、『延喜式神名帳』(927年)に熊野坐神社と見え、日本火出初神社とも称され、
古来杵築大社(出雲大社)と並びて出雲の國の大社と遇されたとある
現在の拝殿は昭和53年(1978年)に建てられたもの
出雲大社の注連縄(左方が綯い始め)と同じように張られている
拝殿内部
舞殿
現在建っている舞殿は、もともとは拝殿として利用されていた
昭和53年(1978年)に造宮が行われた時に、舞殿として移しかえられた
舞殿では神楽や舞いが奉納されたり節分などでは豆まきが行われる
奉納額
拝殿側に目を向ける
稲田神社
伊邪那美神社
本殿
伊邪那美神社側から本殿の姿を観ることができた
現在の社殿は昭和53年(1978年)に幣殿と拝殿を増築して完成した
祭神:加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと)
<素戔嗚尊の別名>
原始は現在の「天狗山」の山頂付近にある 巨大な岩(磐座)があり、そこに祭祀されていた
その地は「元宮ヶ成(げんぐがなり)」と 呼ばれている
荒神社
稲荷神社
鑽火殿
大正4年(1915年)造営
社務所
創建は(伝)神代であるが、社殿は比較的新しく歴史的な価値は少ない
しかしながら出雲大社と並ぶ出雲国一宮の雰囲気を感じ取ることができる
また訪れてみたいと思った神社である
撮影 令和5年6月17日
熊野大社
「あいたの~愛犬と楽しくお出かけ~」というYouTuberの動画で熊野大社の存在を知り訪れた
山の奥深い場所にあるが、平日でも参拝者も多いのには驚いた
火の発祥の神社として「日本火出初之社」とも呼ばれ、出雲大社と共に「出雲国一宮」である
さざれ石
鳥居
初めての場所は見逃しのないように注意深く歩くようにしている
神橋
鳥居
手水舎
境内図
後に写真を整理し発信する際には、この境内図は大変役に立つ
狛犬
随神門
明治19年(1886)昭和3年(1928)に改築された
大きな注連縄が張られている
「夫婦和合 連理の榊」
石碑には日本の和歌の最初の歌
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」
作者は戔嗚尊(スサノオノミコト)<熊野大社の祭神>
拝殿
『出雲國風土記』(733年)に熊野大社、『延喜式神名帳』(927年)に熊野坐神社と見え、日本火出初神社とも称され、
古来杵築大社(出雲大社)と並びて出雲の國の大社と遇されたとある
現在の拝殿は昭和53年(1978年)に建てられたもの
出雲大社の注連縄(左方が綯い始め)と同じように張られている
拝殿内部
舞殿
現在建っている舞殿は、もともとは拝殿として利用されていた
昭和53年(1978年)に造宮が行われた時に、舞殿として移しかえられた
舞殿では神楽や舞いが奉納されたり節分などでは豆まきが行われる
奉納額
拝殿側に目を向ける
稲田神社
伊邪那美神社
本殿
伊邪那美神社側から本殿の姿を観ることができた
現在の社殿は昭和53年(1978年)に幣殿と拝殿を増築して完成した
祭神:加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと)
<素戔嗚尊の別名>
原始は現在の「天狗山」の山頂付近にある 巨大な岩(磐座)があり、そこに祭祀されていた
その地は「元宮ヶ成(げんぐがなり)」と 呼ばれている
荒神社
稲荷神社
鑽火殿
大正4年(1915年)造営
社務所
創建は(伝)神代であるが、社殿は比較的新しく歴史的な価値は少ない
しかしながら出雲大社と並ぶ出雲国一宮の雰囲気を感じ取ることができる
また訪れてみたいと思った神社である
撮影 令和5年6月17日