訪問日 令和5年5月21日
宗像大社(世界遺産)
宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮(総社)の三社の総称
現在では「辺津宮」のみを指す場合も多い
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして世界文化遺産登録されている
鳥居
4・5年前に一度訪れているが、参拝者の数はその頃と同じように思えた
社号標には「官幣大社宗像神社」と彫られている
宗像神社境内は国の史跡になっている
太鼓橋
鳥居から真っ直ぐ伸びた参道
祓舎
手水舎
柄杓がなく直接水を受ける
狛犬
文政7年(1824年)奉納
山鹿平十郎 作
神門
拝殿前には参拝者が並んで待っている
拝殿(重要文化財)
天正18年(1590年)、時の筑前領主・小早川隆景が再建
切妻妻入造で屋根は柿葺
額には「宗像宮」
拝殿内部
案内板
本殿(重要文化財)
辺津宮 祭神:市杵島姫神(イチキシマヒメ)
天照大神が素盞鳴尊の剣を噛み砕き、息を吹きかけると宗像三女神が誕生した
沖津宮 : < 第三宮>田心姫神
中津宮 : < 第二宮>湍津姫神
辺津宮 : < 第一宮>市杵島姫神
宗像氏貞の建立で、大島に在する中津宮の本殿を参考したといわれる
摂社・末社
江戸時代初期の建立
神郡宗像にあった神社群を時の福岡藩主、黒田光之がまとめ寄進したもの
本殿の周辺には大小のお社が24社あり、121の神様が祀られている
御神木
樹齢550年の楢の木
枝は横に伸び、その先には参拝者がガイドの話を聞いている
さらにその枝は本殿の方へ向かっている
第二宮(ていにぐう)
沖津宮分社 祭神:田心姫神(タゴリヒメ)
第三宮(ていさんぐう)
中津宮分社 祭神:湍津姫神(タギツヒメ)
本殿周辺に戻る
社務所
拝殿前には参拝者の列が続いている
太鼓橋横にある池の鯉
第二次世界大戦後、荒廃していた境内は、宗像大社を崇敬していた実業家、出光佐三(小説『海賊とよばれた男』のモデル)の寄進により整備された
本人が畏れ多いと辞退したため境内にその名を示す痕跡は永く無かったが、現在は神宝館などに佐三を顕彰する展示が為されている
大鳥居は、麻生太吉の寄進(麻生太郎の曾祖父)
撮影 令和5年5月21日
宗像大社(世界遺産)
宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮(総社)の三社の総称
現在では「辺津宮」のみを指す場合も多い
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして世界文化遺産登録されている
鳥居
4・5年前に一度訪れているが、参拝者の数はその頃と同じように思えた
社号標には「官幣大社宗像神社」と彫られている
宗像神社境内は国の史跡になっている
太鼓橋
鳥居から真っ直ぐ伸びた参道
祓舎
手水舎
柄杓がなく直接水を受ける
狛犬
文政7年(1824年)奉納
山鹿平十郎 作
神門
拝殿前には参拝者が並んで待っている
拝殿(重要文化財)
天正18年(1590年)、時の筑前領主・小早川隆景が再建
切妻妻入造で屋根は柿葺
額には「宗像宮」
拝殿内部
案内板
本殿(重要文化財)
辺津宮 祭神:市杵島姫神(イチキシマヒメ)
天照大神が素盞鳴尊の剣を噛み砕き、息を吹きかけると宗像三女神が誕生した
沖津宮 : < 第三宮>田心姫神
中津宮 : < 第二宮>湍津姫神
辺津宮 : < 第一宮>市杵島姫神
宗像氏貞の建立で、大島に在する中津宮の本殿を参考したといわれる
摂社・末社
江戸時代初期の建立
神郡宗像にあった神社群を時の福岡藩主、黒田光之がまとめ寄進したもの
本殿の周辺には大小のお社が24社あり、121の神様が祀られている
御神木
樹齢550年の楢の木
枝は横に伸び、その先には参拝者がガイドの話を聞いている
さらにその枝は本殿の方へ向かっている
第二宮(ていにぐう)
沖津宮分社 祭神:田心姫神(タゴリヒメ)
第三宮(ていさんぐう)
中津宮分社 祭神:湍津姫神(タギツヒメ)
本殿周辺に戻る
社務所
拝殿前には参拝者の列が続いている
太鼓橋横にある池の鯉
第二次世界大戦後、荒廃していた境内は、宗像大社を崇敬していた実業家、出光佐三(小説『海賊とよばれた男』のモデル)の寄進により整備された
本人が畏れ多いと辞退したため境内にその名を示す痕跡は永く無かったが、現在は神宝館などに佐三を顕彰する展示が為されている
大鳥居は、麻生太吉の寄進(麻生太郎の曾祖父)
撮影 令和5年5月21日