今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

鵜の瀬(福井県小浜市下根来)

2024年07月10日 | 名所・旧跡
訪問日 令和6年5月17日
鵜の瀬
小浜市に流れる遠敷川(おにゅうがわ)の中流にある鵜の瀬
3月12日に奈良の東大寺二月堂で行われる「お水取り」に先駆けて、3月2日に「お水送り」が鵜の瀬で行われる

良辨(ろうべん、りょうべん)和尚 生誕の地碑
持統天皇3年(689年)に生まれる
生誕地は(諸説あるが)、若狭国小浜下根来



聖武天皇の勅により、天平14年(742年)には金鐘寺が大和国分寺に指定
天平勝宝4年(751年)には、東大寺大仏建立の功績により東大寺の初代別当となった
天平勝宝8歳(756年)には鑑真とともに大僧都に任じられる



鵜の瀬公園資料館
「お水送りの」の資料を入手するために立ち寄った
ビデオなどで神事を視聴することができる

館内には役行者像が安置されている



役行者(役小角)坐像
桧材寄木造(室町時代の製作)



外には「お水送り」の大看板



今回でこの地には3度訪れているが、この看板は初めて見る
神事が行われる場所だけに違和感がある



遠敷川(おにゅうがわ)の川岸を散策



この川原で「お水送り」が行われる
若狭地方に春を告げる神事「お水送り」<中日新聞YouTubeから>




対岸へ移動する
鳥居



灯籠と社



行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし



若狭彦神社の由緒に
小浜市下根来白石に鵜ノ瀬というところがある
遠敷川の清流が突き当たって淵をなしている巨巌の上に、先ずは若狭彦神、次いで若狭姫神(遠敷明神)が降臨されたと伝えられる



「お水送りとお水取り」について
天平勝宝4年(752年)東大寺において大仏開眼供養が行われた(若狭ゆかりの「良弁僧正」が東大寺の初代別当)
若狭神宮寺に渡ってきたインド僧「実忠」が、東大寺に二月堂を建立
大仏開眼の2ヶ月前から天下世界の安穏を願い14日間の「祈りの行法(修二会)」を始めた



その初日に実忠和尚は「神名帳」を読みあげ、日本国中の神々を招き行の加護と成就を請われた
若狭の「遠敷明神」だけが漁に夢中になって遅れて現れた
遠敷明神は二月堂のご本尊にお供えする「閼伽水(御香水)」を献じる約束をして神通力を発揮すると
地面をうがちわり、白と黒の二羽の鵜が飛び出し穴から清水が湧き出した



若狭の根来白石の川淵より地下を潜って水を導かせたと伝えられている
この湧水の場所は「若狭井」と名付けられ、川淵は「鵜の瀬」と呼ばれるようになった
古来より若狭と奈良は地下で結ばれていると信じられてきた



お水送りの送水神事は、神宮寺から山伏姿の行者や白装束の僧侶らを先頭に3,000人程の松明行列が、ほら貝の音とともに2km上流の鵜の瀬へ向かう
河原で護摩が焚かれた後、白装束の住職が祝詞を読み上げ、竹筒からお香水を遠敷川へ注ぐ
このお香水は10日かけて東大寺・二月堂の「若狭井」に届くといわれ、奈良のお水取りは3月12日に行われる



この周辺は、かつて鯖街道として利用された
名水百選の「鵜の瀬の水」を汲み、翌朝、珈琲を飲んだ



撮影 令和6年5月17日
コメント
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