訪問日 令和6年5月21日
龍海山 三明院 佛谷寺
佛谷寺は、約1200年前に創建された(出雲市の鰐淵寺に次ぐ)山陰第二の古刹である
開基は行基菩薩
後に弘法大師により真言宗となったが、永正12年(1516年)に知恩院の僧 順慶により浄土宗となっている
山門
美保関にある美保神社を訪れた二度目にこの寺の存在を知った
個人的にこの寺には3つの魅力を感じている
<魅力その1> 後鳥羽上皇・後醍醐天皇行在所跡
この寺は、後鳥羽上皇は承久3年(1221年)の「承久の乱」で
後醍醐天皇は元弘2年(1331年)の「元弘の乱」で行在所(あんざいしょ)として隠岐に配流された
本堂
後鳥羽上皇は、承久の乱で鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げたが敗北し隠岐に配流され、暦仁2年(1239年)に同地で崩御した
鎌倉時代最末期、鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と、幕府及び北条高時を当主とする北条得宗家の勢力の間で全国的内乱が起こった
後醍醐天皇側近「後の三房」の一人吉田定房が六波羅探題へ計画を密告
後醍醐と尊良は間もなく捕縛され、尊雲(護良)と正成は逃げ延びた
後醍醐天皇は退位を強制され、隠岐島へ、尊良親王は土佐国に流された
扁額には山号の「龍海山」
日本海の荒波が収まるのをこの場所で待っていたことになる
元弘2年(1332年)楠木正成と還俗した護良親王が再挙兵し
さらに翌元弘3年(1333年)には後醍醐天皇と尊良親王が流刑地を脱出した
堂内の様子
本尊:阿弥陀如来
仏像の撮影は許可されている
聖徳太子像
<魅力その2> 国の重要文化財仏像5軀
大日堂(宝物殿)
重要文化財拝観料 300円
この寺の魅力の2つ目は5軀の重要文化財仏像を有しているということ
さらに、写真撮影ができ、その存在を発信できるということだ
薬師如来(重要文化財)
海に3つの怪火が現れ、波風が荒れ狂った。人々はこれを三火(みほ)と呼び恐れていた
そこに東大寺建立に尽力した僧行基が訪れ、三火を封じるために仏像を彫り一堂を建立した
5体の仏像はまさにその像であり、天平様式を残す貞観時代の作と確認され、山陰最古の木仏像、国指定重要文化財となっている
日光菩薩(重要文化財)
月光菩薩(重要文化財)
虚空蔵菩薩(重要文化財)
聖観世音菩薩(重要文化財)
阿弥陀如来
毘沙門天
<魅力その3>八百屋お七の恋人 小姓「吉三」の墓
八百屋お七は、 江戸本郷の八百屋の娘で、天和2年(1683年)12月の大火により家が焼け、円乗寺での避難中に寺小姓吉三と恋仲になった
お七は、再建して戻った後、吉三会いたさに放火をし、火あぶりの刑に処された
その後、吉三は発心し「西運」と称し江戸より西に向かい巡礼の旅に出、各地の名刹にお七の遺品を納め地蔵を立て佛谷寺に至った
元文2年(1737年)10月4日、70歳で生涯を閉じた
寺に残っている過去帳には「門の横に葬る」と記されている
井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになった
命日には、吉三の墓前でお参りが行われているとのこと
撮影 令和6年5月21日
龍海山 三明院 佛谷寺
佛谷寺は、約1200年前に創建された(出雲市の鰐淵寺に次ぐ)山陰第二の古刹である
開基は行基菩薩
後に弘法大師により真言宗となったが、永正12年(1516年)に知恩院の僧 順慶により浄土宗となっている
山門
美保関にある美保神社を訪れた二度目にこの寺の存在を知った
個人的にこの寺には3つの魅力を感じている
<魅力その1> 後鳥羽上皇・後醍醐天皇行在所跡
この寺は、後鳥羽上皇は承久3年(1221年)の「承久の乱」で
後醍醐天皇は元弘2年(1331年)の「元弘の乱」で行在所(あんざいしょ)として隠岐に配流された
本堂
後鳥羽上皇は、承久の乱で鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げたが敗北し隠岐に配流され、暦仁2年(1239年)に同地で崩御した
鎌倉時代最末期、鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と、幕府及び北条高時を当主とする北条得宗家の勢力の間で全国的内乱が起こった
後醍醐天皇側近「後の三房」の一人吉田定房が六波羅探題へ計画を密告
後醍醐と尊良は間もなく捕縛され、尊雲(護良)と正成は逃げ延びた
後醍醐天皇は退位を強制され、隠岐島へ、尊良親王は土佐国に流された
扁額には山号の「龍海山」
日本海の荒波が収まるのをこの場所で待っていたことになる
元弘2年(1332年)楠木正成と還俗した護良親王が再挙兵し
さらに翌元弘3年(1333年)には後醍醐天皇と尊良親王が流刑地を脱出した
堂内の様子
本尊:阿弥陀如来
仏像の撮影は許可されている
聖徳太子像
<魅力その2> 国の重要文化財仏像5軀
大日堂(宝物殿)
重要文化財拝観料 300円
この寺の魅力の2つ目は5軀の重要文化財仏像を有しているということ
さらに、写真撮影ができ、その存在を発信できるということだ
薬師如来(重要文化財)
海に3つの怪火が現れ、波風が荒れ狂った。人々はこれを三火(みほ)と呼び恐れていた
そこに東大寺建立に尽力した僧行基が訪れ、三火を封じるために仏像を彫り一堂を建立した
5体の仏像はまさにその像であり、天平様式を残す貞観時代の作と確認され、山陰最古の木仏像、国指定重要文化財となっている
日光菩薩(重要文化財)
月光菩薩(重要文化財)
虚空蔵菩薩(重要文化財)
聖観世音菩薩(重要文化財)
阿弥陀如来
毘沙門天
<魅力その3>八百屋お七の恋人 小姓「吉三」の墓
八百屋お七は、 江戸本郷の八百屋の娘で、天和2年(1683年)12月の大火により家が焼け、円乗寺での避難中に寺小姓吉三と恋仲になった
お七は、再建して戻った後、吉三会いたさに放火をし、火あぶりの刑に処された
その後、吉三は発心し「西運」と称し江戸より西に向かい巡礼の旅に出、各地の名刹にお七の遺品を納め地蔵を立て佛谷寺に至った
元文2年(1737年)10月4日、70歳で生涯を閉じた
寺に残っている過去帳には「門の横に葬る」と記されている
井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになった
命日には、吉三の墓前でお参りが行われているとのこと
撮影 令和6年5月21日