訪問日 令和6年5月21日
美保神社
創建の由緒は不詳であるが、8世紀に編纂された「出雲国風土記」の神社台帳に記載される古社である
近世頃から「大社(出雲大社)だけでは片詣り」と言われるようになり、参拝者が増えるようになった
出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称される
鳥居
これまで二度訪れているが、鳥居の周辺は参拝者が多くこのように全体を撮ることができなかった
社号標と鳥居
石造りの鳥居を良く見ると、上下二つに分かれている
狛犬
手水舎
祓所(はらえじょ)
社務所
神門(随身門)
<神門廻廊内>
大鼕(おおどう)
国指定 重要有形民俗文化財「美保神社奉納鳴物」内の一点
御霊石(おたまいし)
巫女が拝殿に向かい歩いて行く
祈祷者の前での古式豊かな舞い
宮御前社
社殿
拝殿は昭和3年(1928年)の建築で新しいものだが、本殿は大社造りを二棟並べて装束の間でつないだ建築
本殿(重要文化財)
現在の本殿は寛政12年(1800年)の火災の後、文化10年(1813年)に再建されたもの
大社造の左右二殿連棟の特殊な形式で「美保造」または「比翼大社造」といわれている
祭神:三穂津姫命(みほつひめのみこと)
大国主神の后神。高天原から稲穂を持って降り、人々に食糧として配り広められた神様
美保という地名は、この神の御名に縁があると伝えられている
写真左 祭神:三穂津姫命
写真右 祭神:事代主大神
若宮社
祭神:事代主神(ことしろぬしのかみ)
大国主神の第一の子神。鯛を手にする福徳円満の神えびす様として世に知られ信仰されている
また、出雲神話・国譲りの段において父神・大国主神より大変重要な判断を委ねられた尊い神様
美保神社の絵馬
大漁や海上安全を祈願する絵馬も釣り竿をイメージされている
数年前にテレビ番組で美保神社の「氏子の祭祀組織」について放映されていた
役前(やくまえ)についてである
役前とは、頭人・両當屋・客人當・両休番の6人のことをいう
1年間(頭人は客人當から始まり4年間)毎日欠かすことなく、子の刻(真夜中)に潮掻(しおかき、海に入って心身を清めること)をして美保神社本社や頭人宮・末社等に参拝する
参拝途中に他人と出会えば「穢れた」として再度潮掻からやり直すというもの
これを日参(にっさん)という
役前の6人は日参時に紋付き羽織、下駄を着用して港内を行き来し参拝する
カランコロンという下駄の音が聞こえてきた時は、地元の方は、役前に出会わないように注意を払うという
このほか
・泊付きの出張で日参できなかった日は次の日に二度参り
・食事は1人で神棚の下で専用の膳・箸を使い鶏肉・鶏卵を食べない
・夫婦別床
・仏壇を閉じ、死穢等の一切を避ける
この外にも多くのしきたりを守りながら日々精進潔斎し、神事を奉仕するための準備をするという
青石畳の通り(未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選)
美保神社から仏谷寺に至る石畳の通りは江戸時代の参拝道の遺構
敷設されたのは文化年間から弘化年間(1804~1847年)の江戸時代後期
撮影 令和6年5月21日
美保神社
創建の由緒は不詳であるが、8世紀に編纂された「出雲国風土記」の神社台帳に記載される古社である
近世頃から「大社(出雲大社)だけでは片詣り」と言われるようになり、参拝者が増えるようになった
出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称される
鳥居
これまで二度訪れているが、鳥居の周辺は参拝者が多くこのように全体を撮ることができなかった
社号標と鳥居
石造りの鳥居を良く見ると、上下二つに分かれている
狛犬
手水舎
祓所(はらえじょ)
社務所
神門(随身門)
<神門廻廊内>
大鼕(おおどう)
国指定 重要有形民俗文化財「美保神社奉納鳴物」内の一点
御霊石(おたまいし)
巫女が拝殿に向かい歩いて行く
祈祷者の前での古式豊かな舞い
宮御前社
社殿
拝殿は昭和3年(1928年)の建築で新しいものだが、本殿は大社造りを二棟並べて装束の間でつないだ建築
本殿(重要文化財)
現在の本殿は寛政12年(1800年)の火災の後、文化10年(1813年)に再建されたもの
大社造の左右二殿連棟の特殊な形式で「美保造」または「比翼大社造」といわれている
祭神:三穂津姫命(みほつひめのみこと)
大国主神の后神。高天原から稲穂を持って降り、人々に食糧として配り広められた神様
美保という地名は、この神の御名に縁があると伝えられている
写真左 祭神:三穂津姫命
写真右 祭神:事代主大神
若宮社
祭神:事代主神(ことしろぬしのかみ)
大国主神の第一の子神。鯛を手にする福徳円満の神えびす様として世に知られ信仰されている
また、出雲神話・国譲りの段において父神・大国主神より大変重要な判断を委ねられた尊い神様
美保神社の絵馬
大漁や海上安全を祈願する絵馬も釣り竿をイメージされている
数年前にテレビ番組で美保神社の「氏子の祭祀組織」について放映されていた
役前(やくまえ)についてである
役前とは、頭人・両當屋・客人當・両休番の6人のことをいう
1年間(頭人は客人當から始まり4年間)毎日欠かすことなく、子の刻(真夜中)に潮掻(しおかき、海に入って心身を清めること)をして美保神社本社や頭人宮・末社等に参拝する
参拝途中に他人と出会えば「穢れた」として再度潮掻からやり直すというもの
これを日参(にっさん)という
役前の6人は日参時に紋付き羽織、下駄を着用して港内を行き来し参拝する
カランコロンという下駄の音が聞こえてきた時は、地元の方は、役前に出会わないように注意を払うという
このほか
・泊付きの出張で日参できなかった日は次の日に二度参り
・食事は1人で神棚の下で専用の膳・箸を使い鶏肉・鶏卵を食べない
・夫婦別床
・仏壇を閉じ、死穢等の一切を避ける
この外にも多くのしきたりを守りながら日々精進潔斎し、神事を奉仕するための準備をするという
青石畳の通り(未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選)
美保神社から仏谷寺に至る石畳の通りは江戸時代の参拝道の遺構
敷設されたのは文化年間から弘化年間(1804~1847年)の江戸時代後期
撮影 令和6年5月21日