今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

高野山 <壇上伽藍②>その2(和歌山県伊都郡高野町高野山)

2021年07月05日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月24日

高野山 <壇上伽藍②>

根本大塔
金堂とともに壇上伽藍の中核となる堂塔で、高野山のシンボルになっている



空海は高野山開創にあたり、真言密教の根本道場として、この大塔を建立した
落慶は空海入定後の貞観18年(876年)頃



根本大塔は空海が唐から伝えた日本最古の多宝塔といわれる
落雷などで5度も焼失し、その都度再建されてきた
現在のものは昭和12年(1937年)に再建されたもの



高さ48.5m、幅30m 鉄筋コンクリート造り



堂内では、本尊の胎蔵界大日如来、その周囲を金剛界の四仏がとり囲んでいる
塔内の16本の柱には「16菩薩」、四隅の壁には密教を伝えた「八祖像」が描かれ……
堂内そのものが立体曼荼羅となっている



大塔の鐘
空海が発願し、第二世・真然の代に完成した
1日5回、山内に時刻を知らせている
焼失して3度ほど改鋳された



現存は、天文16年(1547年)の鋳造 直径7尺 重量1600貫
日本で4番目の大きさで「高野四郎」の愛称で親しまれている



日本の寺の鐘の大きさのランキングで……
奈良太郎(東大寺)吉野三郎(金峯山寺)高野四郎<二郎とも>(高野山)
海に沈んだという巨鐘を「海に太郎」と呼び、「海に太郎、奈良次郎、吉野三郎、高野四郎」と称する場合もある



愛染堂
建武元年(1334年)に初代建立
後醍醐天皇の勅願により四海静平、玉体安穏(天下泰平)を祈念のため創建



本尊は後醍醐天皇と等身とされる愛染明王
現在の堂は嘉永元年(1848年)の再建



不動堂(国宝)
建久8年(1197年)上皇の皇女八條女院内親王の発願により行勝上人が創建
高野山内の一心院谷から、明治41年(1908年)に現在地に移築された



現在の堂は14世紀初頭に再建で、高野山内では金剛三昧院多宝塔に次ぎ、2番目に古い建築物
桧皮葺、入母屋造の住宅風仏堂



四隅の形に違いがみられるのは、4人の工匠が担当し、随意にそれぞれ腕を揮ったためと伝えられている






壇上伽藍の堂塔で唯一国宝に指定されている
脇侍の八大童子立像は運慶作で国宝に指定されている



大会堂
安元元年(1175年)鳥羽上皇の皇女五辻斎院頌子内親王が父の追福のため創建
もとは東別所にあったが西行法師が、長日不断談義の学堂として現在地に移し蓮華乗院と称していた



後に法会の集会堂になり、現在の堂は嘉永元年(1848年)再建



「西行桜」
歌人として有名な西行法師は、久安5年(1149年)32歳頃から約30年間、高野山で草庵を結んだ
高野山では「大会堂と三昧堂」の造営、移築に尽力した
三昧堂移築に際し、西行法師によりお手植えされたのが由来



三昧堂
延長7年(929年)初代創建、もとは総持院境内にあったが、治承元年(1177年)西行法師が現在地に移した



現在の堂は文化13年(1816年)再建



東塔
大治2年(1127年)初代創建、尊勝仏頂尊と不動明王・降三世明王を祀る



弘法大師入定1150年御遠忌記念事業で昭和59年(1984年)に再建



再び金堂へ






蓮池



「善女龍王社」



壇上伽藍を回るのに中門前の無料駐車場を利用した



次回に続く

撮影 令和3年5月24日

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