今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

両界山 横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原)

2014年11月28日 | 神社・仏閣
華厳寺とそう遠くないところにある横蔵寺(よこくらじ)
ミイラがある寺として、数年前に訪れたことがあり、今回が2回目となる

医王橋
大きな駐車場に車を駐めると、札幌ナンバーを見て参拝者に声を掛けられた
「遠くから」といういつもの会話であるが、多くの人と話ができることは嬉しいことだ
貴重な情報を得ることができる



話しによると、この橋は紅葉の季節には撮影スポットになるという



寺名が刻まれた石柱が参道の入口となる



多くの寺と共通することだが、しばらく石段を上ることになる



寺門



仁王門(岐阜県指定重要文化財)
かつて、ここに木造仁王尊立像2体(重要文化財)が安置されていた



現在は、他のお堂の仏像を含め、瑠璃殿において公開されている
 





両側には大きな草鞋が奉納されている






本堂側から見ると山門の上に釣鐘が見える



香堂
香堂と奥にあるのが山門



香堂。こちらの正面奥に見えるのが本堂になる



三重塔(岐阜県指定重要文化財)
この寺を訪れた大きな要因のひとつに三重塔があることがあげられる



日差しが強すぎるため、木陰や建物の影を探して撮ることに



 


周辺の風景



本堂(岐阜県指定重要文化財)
寺伝によれば、横蔵寺は天台宗の宗祖・最澄が自作の薬師如来を安置して創建した寺とされている



最澄は比叡山延暦寺を開創する際に、本尊薬師如来像を自ら刻んだが、その薬師如来像を造ったのと同じ霊木から、もう1体の薬師如来像を造った
 


信長の比叡山焼き討ちによって、延暦寺の伽藍が灰になった後……



横蔵寺の本尊薬師如来像は、「延暦寺本尊と同じ霊木から造られた、最澄自作の像」という由緒ある像だということで延暦寺に移された



観音堂



観音堂の横を通り瑠璃殿、舎利堂を目指す



瑠璃殿
この寺を訪れた大きなもう一つ要因は瑠璃殿の仏像の拝観にある
多数の重要文化財を有し、「美濃の正倉院」とも呼ばれている
西遊記の沙悟浄といわれる「深沙大将」、重要文化財の彫像としては明通寺、金剛院とともに全国で3体
仏像が好きな人には価値がある



舎利堂
妙心上人の舎利仏(ミイラ)が安置されている



諸国を巡って仏道修行をし、文化14年(1817年)、断食修行の後、今の山梨県都留市の御正体山で即身成仏したという
明治13年に明治天皇が天覧になられた際に、故郷へ戻すようにとのお言葉があり、明治23年出身地の横蔵寺に移された



帰り際に三重の塔を撮す



撮影 平成26年10月17日

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