訪問日 令和3年5月21日
伊賀上野城(白鳳城)
この日も、終日雨予報ということもあり屋内で観光ができる場所を探す
上野公園の駐車場に駐めるといくつかの施設を巡ることができることを知った
いつもはGW後に出発し、梅雨に入ったら帰るという計画なのだが
家庭の事情で出発が遅れ、梅雨が例年より早くきてしまった
公園内の歩道もこのような状態になっている
初めて訪れる城なのでどこに何があるのかもさっぱり分からない
案内表示の通り歩いてみる
「城代屋敷跡」らしいがどのような建物があったのか想像もつかない
「台所門跡」も同じく想像がつかない
小さな石垣から城を眺める
上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である
現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の天守
近くに石垣があったので歩いてみる
「高石垣」が有名なようであるがここではなさそうだ
三つの天守閣についての説明があった
1. 筒井定次の城
天正13年(1585年)に筒井定次が平楽寺・薬師寺のあった台地に伊賀上野城を築いた
2. 藤堂高虎の城
慶長13年(1608年)徳川家康は、宇和島城主であった藤堂高虎に、22万石を与え国替えさせた
家康の信任が厚く、築城の名手でもあり、大坂・豊臣方との決戦に備えるための築城であった
3. 現在の天守閣
現在の復興天守閣は、代議士 川崎 克 が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて藤堂氏の天守台に建てたもの
「伊賀文化産業城」と名付けられた。その優雅な姿から「白鳳城」とも呼ばれている
映画『影武者』(1980年 監督 黒沢明)の舞台ともなった
甲賀と伊賀のみち『街道をゆく』(司馬遼太郎)より
徳川家康が大坂城の豊臣秀頼を攻める計画をたてたとき、万一敗北した場合の手当もしておいた。
その場合、嫡子の秀忠を近江の彦根城まで交代させ、自分はこの伊賀上野城まで後退して、攻撃再開の準備をするつもりだった。
その秘策も藤堂高虎にあかし、高虎をして堅固な城をつくらせた。
高虎は、信頼されたことをよろこび、五層の天守閣という、伊賀のような小国には大きすぎるものをつくった。
高石垣
藤堂高虎が本丸の西に築いた石垣
高さ約30メートルの高石垣は大阪城と並んで日本一の高さを誇っている
もっと良い場所があったのかも知れないが、高所恐怖症なので……
初めて訪れる城なので城内に入ることにした
登閣料は600円
「天守閣」は伊賀市有形文化財に指定されている
城内に入ると藤堂高虎像が迎えてくれる
「兜」も市の文化財
藤堂高虎の兜(三重県指定文化財)
現代でも通用するデザインの「唐冠形兜(とうかんなりかぶと)」
藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領した兜で、高虎から藤堂玄蕃良重に与えられたもの
徳川葵御紋入軍扇
最上階
「天井絵巻」
1メートル四方の色紙 最上階の格天井には46枚の書画の色紙がはめ込まれている
天守閣竣成を祝って日本画家の横山大観はじめ著名な画家、書家、政治家などから寄贈されたもの
昭和10年(1935年) 衆議院議員であった川崎克の私財により模擬天守が建設された
撮影 令和3年5月21日
伊賀上野城(白鳳城)
この日も、終日雨予報ということもあり屋内で観光ができる場所を探す
上野公園の駐車場に駐めるといくつかの施設を巡ることができることを知った
いつもはGW後に出発し、梅雨に入ったら帰るという計画なのだが
家庭の事情で出発が遅れ、梅雨が例年より早くきてしまった
公園内の歩道もこのような状態になっている
初めて訪れる城なのでどこに何があるのかもさっぱり分からない
案内表示の通り歩いてみる
「城代屋敷跡」らしいがどのような建物があったのか想像もつかない
「台所門跡」も同じく想像がつかない
小さな石垣から城を眺める
上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である
現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の天守
近くに石垣があったので歩いてみる
「高石垣」が有名なようであるがここではなさそうだ
三つの天守閣についての説明があった
1. 筒井定次の城
天正13年(1585年)に筒井定次が平楽寺・薬師寺のあった台地に伊賀上野城を築いた
2. 藤堂高虎の城
慶長13年(1608年)徳川家康は、宇和島城主であった藤堂高虎に、22万石を与え国替えさせた
家康の信任が厚く、築城の名手でもあり、大坂・豊臣方との決戦に備えるための築城であった
3. 現在の天守閣
現在の復興天守閣は、代議士 川崎 克 が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて藤堂氏の天守台に建てたもの
「伊賀文化産業城」と名付けられた。その優雅な姿から「白鳳城」とも呼ばれている
映画『影武者』(1980年 監督 黒沢明)の舞台ともなった
甲賀と伊賀のみち『街道をゆく』(司馬遼太郎)より
徳川家康が大坂城の豊臣秀頼を攻める計画をたてたとき、万一敗北した場合の手当もしておいた。
その場合、嫡子の秀忠を近江の彦根城まで交代させ、自分はこの伊賀上野城まで後退して、攻撃再開の準備をするつもりだった。
その秘策も藤堂高虎にあかし、高虎をして堅固な城をつくらせた。
高虎は、信頼されたことをよろこび、五層の天守閣という、伊賀のような小国には大きすぎるものをつくった。
高石垣
藤堂高虎が本丸の西に築いた石垣
高さ約30メートルの高石垣は大阪城と並んで日本一の高さを誇っている
もっと良い場所があったのかも知れないが、高所恐怖症なので……
初めて訪れる城なので城内に入ることにした
登閣料は600円
「天守閣」は伊賀市有形文化財に指定されている
城内に入ると藤堂高虎像が迎えてくれる
「兜」も市の文化財
藤堂高虎の兜(三重県指定文化財)
現代でも通用するデザインの「唐冠形兜(とうかんなりかぶと)」
藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領した兜で、高虎から藤堂玄蕃良重に与えられたもの
徳川葵御紋入軍扇
最上階
「天井絵巻」
1メートル四方の色紙 最上階の格天井には46枚の書画の色紙がはめ込まれている
天守閣竣成を祝って日本画家の横山大観はじめ著名な画家、書家、政治家などから寄贈されたもの
昭和10年(1935年) 衆議院議員であった川崎克の私財により模擬天守が建設された
撮影 令和3年5月21日
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