訪問日 令和3年5月21日
敢國神社(あえくにじんじゃ)
伊賀国一宮である神社が車中泊した道の駅の近くにあることがわかり訪れた
社伝では、斉明天皇4年(658年)の創建になる
天正9年(1581年)の天正伊賀の乱では、織田信長の侵攻に伴って社殿を焼失
江戸時代に藤堂高虎が伊賀に入国した後は、藩主により上野城の鬼門として崇敬をうけ、慶長14年(1609年)に本殿が再興された
神社に伝わる「黒党祭」は、伊賀忍者の頭領、服部一族の私的な祭りである
私の母方の姓が伊賀ということもあり、小さい頃から忍者には興味を持っていた
駐車場から表参道を歩いていくと鳥居が見えてくる
鳥居
「手水舎」
手水鉢には「敢國津社」とある
元々の祭神は1座で、国史に「敢国津神」とあるように「敢の国津神」が本来の祭神であったと見られている
参集殿
絵馬殿
社務所・崇敬者会館
「桃太郎岩」
「延命井戸」
拝殿
拝殿・本殿へは石段を上がることになる
拝殿の扁額には「敢國大神」
拝殿内の様子
主祭神 大彦命(おおひこのみこと)
配 神 少彦名命(すくなひこなのみこと) - 右座
金山比咩命(かなやまひめのみこと) - 左座
雨が降り続いている。足元に注意をしながら石段を下りる
写真を整理して気付いたのだが本殿の写真がなかった
記憶を辿っても思い出せない。昨日から降り続いている雨のせいにしておこう
雨に濡れた「狛犬」
撮影 令和3年5月21日
敢國神社(あえくにじんじゃ)
伊賀国一宮である神社が車中泊した道の駅の近くにあることがわかり訪れた
社伝では、斉明天皇4年(658年)の創建になる
天正9年(1581年)の天正伊賀の乱では、織田信長の侵攻に伴って社殿を焼失
江戸時代に藤堂高虎が伊賀に入国した後は、藩主により上野城の鬼門として崇敬をうけ、慶長14年(1609年)に本殿が再興された
神社に伝わる「黒党祭」は、伊賀忍者の頭領、服部一族の私的な祭りである
私の母方の姓が伊賀ということもあり、小さい頃から忍者には興味を持っていた
駐車場から表参道を歩いていくと鳥居が見えてくる
鳥居
「手水舎」
手水鉢には「敢國津社」とある
元々の祭神は1座で、国史に「敢国津神」とあるように「敢の国津神」が本来の祭神であったと見られている
参集殿
絵馬殿
社務所・崇敬者会館
「桃太郎岩」
「延命井戸」
拝殿
拝殿・本殿へは石段を上がることになる
拝殿の扁額には「敢國大神」
拝殿内の様子
主祭神 大彦命(おおひこのみこと)
配 神 少彦名命(すくなひこなのみこと) - 右座
金山比咩命(かなやまひめのみこと) - 左座
雨が降り続いている。足元に注意をしながら石段を下りる
写真を整理して気付いたのだが本殿の写真がなかった
記憶を辿っても思い出せない。昨日から降り続いている雨のせいにしておこう
雨に濡れた「狛犬」
撮影 令和3年5月21日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます