今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

金栄山 妙成寺 その3(石川県羽咋市滝谷町)

2017年12月06日 | 神社・仏閣
鐘楼(重要文化財)
寛永2年(1625)建立と伝える。奥に見えるのは重文の仁王門



桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、杮葺



祖師堂(重要文化財)
寛永元年(1624)建立と伝える。方五間、単層入母屋造、杮葺



左が重文の本堂、右が祖師堂



宗祖日蓮聖人の坐像の左右に、開山日像上人と日像上人の師である日朗上人の坐像を祀る
入口正面には、彩色を施した迦陵頻伽(仏に使える想像上の生き物)の欄間がある






書院庭園



池泉鑑賞式の庭園は、石川県指定名勝



十数年前に訪れたとき部屋にあがり殿様気分で庭や塔を眺めたが、立入禁止になっていた



花が綺麗だったので一枚



妙成寺がある地区は交通の要衝であり、軍事的にも重要な場所で、戦が絶えることのなく城砦のような機能があった



五重塔は、お城の天守閣としての役割がある
塔の上層階からは境内の脇わきを通る街道も見下ろせ、日本海も一望できる
さらに、塔の窓は殿様が滞在する書院の方角に開けてある
攻め入る外敵を見つけたら、いち早く殿様に連絡できるようになっていた



客殿



10棟の木造建築物が国の重要文化財に指定され、参拝順序を参考に注意深く歩いてきた
ところが写真を整理していて「庫裏(重文)」の写真がないことに気付いた。客殿を庫裏と勘違いしていた



外国人観光客(学生風)の集団がやってきて、建物周辺で説明を受けていた
誰もいない場所をさがしていると面白い模様になっている池があった






車旅で旅行中に実兄が交通事故で入院、重篤な状態との連絡が入った。旅の途中だが、自宅に戻ることにした
この日が旅行の最終日となり、この五重塔の美しい姿を観ておきたかった



撮影 平成29年5月26日

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2 コメント

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昔の出来事ですが… (2014kurumatabi)
2017-12-08 23:03:38
ご心配をおかけしています。兄ですが事故から半年が経ちますがまだ意識が戻っていません。危機的な状況だったころからは大分回復し現在は安定しています。
能登半島には松本清張の「ゼロの焦点」の舞台となった場所もあり、早朝その現場に向かおうとすると警官が一定の距離をおいてついてきて、こちらから逆職質すると「自殺するのではないか」と心配で…と。
そこは「ヤセの断崖」という場所で高所恐怖症の私が高いところから飛び降りるなんて、死ぬ以上に嫌だし、だいたい私はフトッテいる…と。数年前の出来事を思い出しながら、今回は雨が強く降っていたためその場所を通りすぎました。色気のまったく無い話しで申し訳ありません。OTETSUDAI @様の成功しない女性遍歴を本にしてはいかがでしょうか。私は購入します。
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春にも… (OTETSUDAI @)
2017-12-08 21:12:45
その後、兄上様の容態は如何なものでしょうか。車に乗る者には気がかりなことです。
能登半島の方角でしょうか…このような土地にも重要文化財が指定されてあるのですね。観光客はどのようなものでしょう。
私は一度そちらの方に行ったことがありますが目的が終われば即帰途に向かうせっかちなタイプです。
もう数十年前になりますか、帰途が夜遅くなり私も眠気が襲ってきました。同行していたのは若き女性でした。泊まるにも宿はなく、モーテルにとなりました。しかし、二人で泊まることは「問題になる」とのことで女性が室内で泊まり、私は車中で睡眠を摂りました。朝になってトイレだけ借用。費用は私持ち。何てバカ真面目だったのかと今更ながら思います。費用に余裕がないわけじゃなかったので隣の棟を借りれば良かったのに…マヌケでした。何事もなく無事に帰京しました。今思えば「つまらない」話しでしす。失礼しました。
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