水上布奈山(みずかみふなやま)神社
本殿が重要文化財に指定されているということでナビに入力
途中大きな神社もあったが案内されたのは小さな神社
道路工事で鳥居の前に重機が置かれ、周辺を走っても駐車場もない
境内に入っても所謂神社らしい雰囲気をあまり感じさせない
「飯盛女の献燈籠」
稲荷神社の前に立つ燈籠が主役である
1839年(天保10年)7月に下戸倉宿に働く飯盛女52名と旅籠屋主人が奉納したもので千曲市の指定有形文化財
台座に刻まれた52名の飯盛女の名を確認することができる
二の御柱
諏訪大社にならい、7年毎(実際には6年に一度の申年と寅年)の4月中旬に御柱祭がある
拝殿
これまで経験したことのない雰囲気の異なった拝殿
額には「水上布奈山神社」
さて、本殿だが写真左の大きな建物になる
近づくと、このように固く護られている
水上布奈山神社本殿(重要文化財)
内部を覗き見ると、護りたいというのが理解できるほどの美しさだ
網と柵でガードされているなか、どのように撮したかは想像に任せるが、苦労はしている
寛政期に建立された本殿は一間社流造で、諏訪の大工柴宮長左衛門による彫刻が施されている
彫刻は「上り竜・下り竜」「唐獅子」「蘇鉄に兎」「鳳凰」「竹林の七賢人」「仙人像」など
この日は雨が降っていて左手に傘、右手にカメラと窮屈な姿勢で撮っていたため傘が写っているのを今日まで知らなかった
美しさよりも凄さを感じさせる本殿。雨で開放していなかったのか、わからないが近くで観たいと強く思った
撮影 平成29年5月24日
本殿が重要文化財に指定されているということでナビに入力
途中大きな神社もあったが案内されたのは小さな神社
道路工事で鳥居の前に重機が置かれ、周辺を走っても駐車場もない
境内に入っても所謂神社らしい雰囲気をあまり感じさせない
「飯盛女の献燈籠」
稲荷神社の前に立つ燈籠が主役である
1839年(天保10年)7月に下戸倉宿に働く飯盛女52名と旅籠屋主人が奉納したもので千曲市の指定有形文化財
台座に刻まれた52名の飯盛女の名を確認することができる
二の御柱
諏訪大社にならい、7年毎(実際には6年に一度の申年と寅年)の4月中旬に御柱祭がある
拝殿
これまで経験したことのない雰囲気の異なった拝殿
額には「水上布奈山神社」
さて、本殿だが写真左の大きな建物になる
近づくと、このように固く護られている
水上布奈山神社本殿(重要文化財)
内部を覗き見ると、護りたいというのが理解できるほどの美しさだ
網と柵でガードされているなか、どのように撮したかは想像に任せるが、苦労はしている
寛政期に建立された本殿は一間社流造で、諏訪の大工柴宮長左衛門による彫刻が施されている
彫刻は「上り竜・下り竜」「唐獅子」「蘇鉄に兎」「鳳凰」「竹林の七賢人」「仙人像」など
この日は雨が降っていて左手に傘、右手にカメラと窮屈な姿勢で撮っていたため傘が写っているのを今日まで知らなかった
美しさよりも凄さを感じさせる本殿。雨で開放していなかったのか、わからないが近くで観たいと強く思った
撮影 平成29年5月24日
私の家にも1間(180㎝くらい)の神棚があります。家を建てたとき(もう崩壊の時期ですが)、家人はお茶室に使うからと反対。その半分=半畳でいいと。大工さんは「そんな中途半端なものなら作らない」と一間分の大きさのものを作り、更には雲竜型の模様で飾りました。
近所の人が家を作るに当たり見せて欲しいと観に来ましたが「これは私には作ることは出来ない」とギブアップしていきました。
ブログに載っている彫刻の比にはなりません。小学校の図工の作品程度です。素晴らしい彫刻ですが作成の感覚が頭にあるのか身体に染み着いているのか…
宮大工や彫刻家は凄かったのですね。
シッカリと保護しているのに賽銭箱はオープン…
ありがとうございました。
日々の生活にも困窮していたと思われる飯盛女が燈籠を奉納したこともすごいと思いましたが、52名全員の名前を刻んでくれたことには感動しました。昔の日本人の情けを感じさせてくれた燈籠でした。死んで名を残しましたね。
重要文化財である本殿の彫刻は素晴らしく、風雨に曝すにはしのびないほどのもので、覆いをしている意味がよくわかりました。ふつう神社の本殿には近づくことさえできませんが、ガードが堅くても拝観できただけでもよしとしなければなりません。さらに写真まで撮ってしまいました。
ありがとうございました。