新海三社神社
重要文化財の三重塔があるということで訪れた
手水鉢
手水鉢に家紋があるのは珍しい。写真を拡大してみると「松平兵部少輔乗友」の銘
石段の奥に拝殿が見える
狛犬にも歴史を感じる
拝殿
扁額には「新海三社神社」
拝殿の奥に「西本社」(写真左)と「中本社」。中央に「御魂代石」がある
中本社
諏訪大社上社の御祭神を奉祀する
西本社
出雲美保神社の御祭神を奉祀する
神楽殿
東本社(重要文化財)
「東本社・中本社・西本社」の三つの神殿があることにより、新海三社神社と呼ばれている
御祭神は佐久地方開拓の祖神「興波岐命」
古くは「新開(にいさく)の神」と記され、開(さく)が佐久に、新開(にいさく)が新海の社号になった
三重塔(重要文化財)
待ちに待っていた三重塔。正面からはこのような状態である
いつものように周辺を歩いてみる
社伝によると嘉祥2年(849)東隣にあった神宮寺の塔として建立された
室町期のものと認められ、全高約20m、和様を主とするが唐様(禅宗様)も混在
初重(唐様)と二、三重(和様)の垂木の方向の違い等にそれが見られる
明治初年の神仏分離では、新海神社三社神社の三重塔も破壊される予定だった
神社が「これは塔ではなく倉庫である」と申し出たところ、それが認められたという
塔を撮るためなら少し高いところでも上るため、よく転倒して傷を負う
構造については知識も興味もないのだが、凄い技術が詰まっていることだけは想像できる
塔巡りも旅の大きな目的。自然の中に溶け込んでいるような美塔に満足している
天神社
拝殿・神楽殿から重文の三重塔と東本社をみる
撮影 平成29年5月23日
重要文化財の三重塔があるということで訪れた
手水鉢
手水鉢に家紋があるのは珍しい。写真を拡大してみると「松平兵部少輔乗友」の銘
石段の奥に拝殿が見える
狛犬にも歴史を感じる
拝殿
扁額には「新海三社神社」
拝殿の奥に「西本社」(写真左)と「中本社」。中央に「御魂代石」がある
中本社
諏訪大社上社の御祭神を奉祀する
西本社
出雲美保神社の御祭神を奉祀する
神楽殿
東本社(重要文化財)
「東本社・中本社・西本社」の三つの神殿があることにより、新海三社神社と呼ばれている
御祭神は佐久地方開拓の祖神「興波岐命」
古くは「新開(にいさく)の神」と記され、開(さく)が佐久に、新開(にいさく)が新海の社号になった
三重塔(重要文化財)
待ちに待っていた三重塔。正面からはこのような状態である
いつものように周辺を歩いてみる
社伝によると嘉祥2年(849)東隣にあった神宮寺の塔として建立された
室町期のものと認められ、全高約20m、和様を主とするが唐様(禅宗様)も混在
初重(唐様)と二、三重(和様)の垂木の方向の違い等にそれが見られる
明治初年の神仏分離では、新海神社三社神社の三重塔も破壊される予定だった
神社が「これは塔ではなく倉庫である」と申し出たところ、それが認められたという
塔を撮るためなら少し高いところでも上るため、よく転倒して傷を負う
構造については知識も興味もないのだが、凄い技術が詰まっていることだけは想像できる
塔巡りも旅の大きな目的。自然の中に溶け込んでいるような美塔に満足している
天神社
拝殿・神楽殿から重文の三重塔と東本社をみる
撮影 平成29年5月23日
塔の避雷針が何処も一緒に見受けられます。高層建築の一本の避雷針では役に立たないのでしょうか。当時はなかったと思いますが、近年になっての「付属品=失礼な詞で」でしょうか。ありがとうございました。
朝起きて道路地図を見て良いところがないか探したり、スマホに向かって「最寄りの観光地」とか「最寄りの有名寺院」などと話しかけ、天気と相談しながらその日の行き先を決めています。
そのため下調べは一切していません。自宅に戻り写真を整理しながら、訪れた場所の歴史などを調べています。毎回20~30枚の写真を投稿していますが、選択とネット用に縮小する時間に2時間、調べる時間とコメント作成に2時間ほど要しています。
今日の一枚目の手水鉢の写真など現場ではただ撮っているだけで、家で写真を選んでいるときに何処かで見た家紋に似ていると思い調べていくうちに、だんだん楽しくなってきて、その人物の歴史までという風になり、無駄に時間を要してしまっています。神社仏閣を巡る楽しさはこんなところにあるのかも知れません。
避雷針ですが多くの塔に付けられています。写真は掲載していませんが、実はどの塔でも裏側に太い線が下まで伸びています。文化財の保護のためなので仕方ないとあきらめています。