護国山 宝円寺
1583年、加賀藩祖・前田利家が創建した、前田家代々の菩提寺
「利家とまつの寺」であることを知り、興味を持って訪れた
山門及び築地塀(登録有形文化財)
入口右手に「護国山 寶圓寺」の石柱。駐車場は左手にあり、私の白い車も見える
寺の歴史を頭に入れるが、数分後には記憶から抜けてしまう
本堂(登録有形文化財)
山門の正面に本堂がある
扉が固く閉められていたので、周囲を散策することにした
近くに境内案内図があったので参考にする
御影堂と御髪堂
利家が伏見で徳川家康と会見した際、死を決して自画像と髪を埋めた場所といわれている
利家の葬儀もこの寺で行われた
俵屋宗達墓碑
柳広司 著「風神雷神」を読んでいたので感慨深いものがあった
方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、仏教で言う地水火風空の五大を表す五輪塔
前田家の墓
鳥芻沙摩大明王
地蔵堂
庫裏と思われる場所から堂内に入る
扁額には山号の「護国山」
延命地蔵堂
台座に「護国山 延命地蔵尊像 寶圓寺」と刻まれている
右側の棚の上に並んでいる小さな仏様
賓頭盧尊者像
一番豪華な装飾をなされている場所がある
御本尊は「釈迦牟尼佛」
仁王像
山門にいる仁王像がなぜか堂内に安置されている
阿形の金剛力士像は、木造寄木造で鎌倉時代13世紀の作と推定されている
明治元年火災の時、一躰は焼失、一躰まさに火に包まれんとした時、小立野の力士亀坂の源八が抱え出して助かった
元の吽形は焼失したため、新たに阿形の作風に合わせて、高岡の佛師である本保喜作が彫ったもの
すでに訪れて数ヶ月経つが鮮明に記憶に残っているのが、この朱色の仁王像
堂内を出て、再び、本堂前に立つ
「南無観世音」の扁額と前田家家紋の梅の花びらをした「加賀梅鉢」
撮影 平成30年10月20日
1583年、加賀藩祖・前田利家が創建した、前田家代々の菩提寺
「利家とまつの寺」であることを知り、興味を持って訪れた
山門及び築地塀(登録有形文化財)
入口右手に「護国山 寶圓寺」の石柱。駐車場は左手にあり、私の白い車も見える
寺の歴史を頭に入れるが、数分後には記憶から抜けてしまう
本堂(登録有形文化財)
山門の正面に本堂がある
扉が固く閉められていたので、周囲を散策することにした
近くに境内案内図があったので参考にする
御影堂と御髪堂
利家が伏見で徳川家康と会見した際、死を決して自画像と髪を埋めた場所といわれている
利家の葬儀もこの寺で行われた
俵屋宗達墓碑
柳広司 著「風神雷神」を読んでいたので感慨深いものがあった
方形の地輪、円形の水輪、三角の火輪、半月型の風輪、団形の空輪からなり、仏教で言う地水火風空の五大を表す五輪塔
前田家の墓
鳥芻沙摩大明王
地蔵堂
庫裏と思われる場所から堂内に入る
扁額には山号の「護国山」
延命地蔵堂
台座に「護国山 延命地蔵尊像 寶圓寺」と刻まれている
右側の棚の上に並んでいる小さな仏様
賓頭盧尊者像
一番豪華な装飾をなされている場所がある
御本尊は「釈迦牟尼佛」
仁王像
山門にいる仁王像がなぜか堂内に安置されている
阿形の金剛力士像は、木造寄木造で鎌倉時代13世紀の作と推定されている
明治元年火災の時、一躰は焼失、一躰まさに火に包まれんとした時、小立野の力士亀坂の源八が抱え出して助かった
元の吽形は焼失したため、新たに阿形の作風に合わせて、高岡の佛師である本保喜作が彫ったもの
すでに訪れて数ヶ月経つが鮮明に記憶に残っているのが、この朱色の仁王像
堂内を出て、再び、本堂前に立つ
「南無観世音」の扁額と前田家家紋の梅の花びらをした「加賀梅鉢」
撮影 平成30年10月20日
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