訪問日 令和6年6月5日
居多神社(こたじんじゃ)
10数年前、五智国分寺を最初に訪れた時、地元の歴史研究家(ボランティアガイド)に案内してもらった場所である
社号標
南北朝時代以降は、守護上杉家からの崇敬を受けて「越後国一宮」に位置づけられたとされる
<越後国の一宮として知られる神社には彌彦神社がある>
親鸞聖人 越後七不思議「片葉の芦」
社号標周辺の芦を確認してみると、片方だけに葉が伸びている
アシは別名:ヨシとも呼ばれている
「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善(よ)し」にちなんで呼んだものという
さて、越後七不思議の残りは
①逆さ竹 ②焼鮒 ③八房の梅 ④珠数掛桜 ⑤三度栗 ⑥繋ぎ榧
鳥居
正面に社殿が見えてくる
手水
狛犬
拝殿
額には「居多大明神」
拝殿内の様子
創建は不詳であるが
弘仁4年(813年)に「居多神」の神階が無位から従五位下に昇叙
貞観3年(861年)に従四位下に昇叙
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、「居多神社」と記載
承元元年(1207年)に親鸞が越後国府に流罪になった際に居多神社に参詣が記録として残っている
拝殿から鳥居を眺める
居多神社は「気多神」を祀る神社と考えられており、兵庫県北部から新潟県にかけての日本海側に分布する気多神社の一社とされる
明治12年(1879年)に現在地に社殿が造営され遷座したが、明治35年(1902年)に火災で焼失
平成20年(2008年)6月に本社殿が造営されて現在に至っている
祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)
奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと) - 大国主命の妻
建御名方命(たけみなかたのみこと) - 大国主命の子
大国主命と奴奈川姫命(祭神像)
大国主命は越後国の沼河姫と結婚しようとして、姫の家へ行って歌(略)を詠んだ
そのとき沼河姫は、戸を閉じたまま、家の中から次の歌(略)で答えた
その夜は会わないで、翌晩会ったという「妻問の歌」の説明板が近くにある
縁結び・子宝祈願の神として信仰されている
親鸞聖人像
境内には、葉が片方にのみ生える芦「片葉の芦」が群生する
伝承では、親鸞が居多神社に参拝して祈願をすると境内の芦が一夜にして片葉になったという
神社に浄土真宗の親鸞聖人像置かれていることは珍しい
撮影 令和6年6月5日
居多神社(こたじんじゃ)
10数年前、五智国分寺を最初に訪れた時、地元の歴史研究家(ボランティアガイド)に案内してもらった場所である
社号標
南北朝時代以降は、守護上杉家からの崇敬を受けて「越後国一宮」に位置づけられたとされる
<越後国の一宮として知られる神社には彌彦神社がある>
親鸞聖人 越後七不思議「片葉の芦」
社号標周辺の芦を確認してみると、片方だけに葉が伸びている
アシは別名:ヨシとも呼ばれている
「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善(よ)し」にちなんで呼んだものという
さて、越後七不思議の残りは
①逆さ竹 ②焼鮒 ③八房の梅 ④珠数掛桜 ⑤三度栗 ⑥繋ぎ榧
鳥居
正面に社殿が見えてくる
手水
狛犬
拝殿
額には「居多大明神」
拝殿内の様子
創建は不詳であるが
弘仁4年(813年)に「居多神」の神階が無位から従五位下に昇叙
貞観3年(861年)に従四位下に昇叙
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、「居多神社」と記載
承元元年(1207年)に親鸞が越後国府に流罪になった際に居多神社に参詣が記録として残っている
拝殿から鳥居を眺める
居多神社は「気多神」を祀る神社と考えられており、兵庫県北部から新潟県にかけての日本海側に分布する気多神社の一社とされる
明治12年(1879年)に現在地に社殿が造営され遷座したが、明治35年(1902年)に火災で焼失
平成20年(2008年)6月に本社殿が造営されて現在に至っている
祭神:大国主命(おおくにぬしのみこと)
奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと) - 大国主命の妻
建御名方命(たけみなかたのみこと) - 大国主命の子
大国主命と奴奈川姫命(祭神像)
大国主命は越後国の沼河姫と結婚しようとして、姫の家へ行って歌(略)を詠んだ
そのとき沼河姫は、戸を閉じたまま、家の中から次の歌(略)で答えた
その夜は会わないで、翌晩会ったという「妻問の歌」の説明板が近くにある
縁結び・子宝祈願の神として信仰されている
親鸞聖人像
境内には、葉が片方にのみ生える芦「片葉の芦」が群生する
伝承では、親鸞が居多神社に参拝して祈願をすると境内の芦が一夜にして片葉になったという
神社に浄土真宗の親鸞聖人像置かれていることは珍しい
撮影 令和6年6月5日
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