今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

安国山 華蔵院 五智国分寺(新潟県上越市五智3-20-21)

2024年09月05日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年6月5日

安国山 華蔵院 五智国分寺
もう何度目になるのか、上越市付近を走ると本来の目的地ではないのだが、つい立ち寄ってしまう
最初に訪れた時の親切なボランティアガイドとの再会を願っているのかも知れない

山門(上越市指定文化財)
聖武天皇の詔により各地に建立された国分寺のうち、「越後国国分寺」の後継寺院にあたる
現在は、天台宗の寺院である



額の「安国山」は山号



仁王像
天保7年(1836年)に名立町出身の長井要壱と弟子2人によって製作
平成6年(1994年)に仁王像が倒壊した為、3年をかけて修復した






芭蕉句碑
元禄2年(1689年)7月8日。『奥の細道』旅中、越後高田の医師細川春庵亭に一泊した折
「薬欄にいづれの花を草枕」
こんなに沢山の花々に囲まれたらどの花の傍で寝たものやら



経蔵(上越市指定文化財)
棟札から元禄6年(1693年)の建立
上越市内で記録の残っている最古の建物
鉄眼版一切経と呼ばれる一大仏教全集が納められている



白山神社神輿殿



本堂
天平年間(740年代)に、聖武天皇の勅願によって建立された越後国分寺の所在地は不明だが
永禄5年(1562年)近隣の春日山城主上杉謙信によって、現在の場所に再建された

いつもは閉じられている扉が何と開放されているではないか
初めての事なので駆け寄り堂内に入った



大日如来を中心として薬師如来・宝生如来・阿弥陀如来・釈迦如来の5体の五智如来像が本尊として安置されている
写真のように立ったままでは拝顔できないようになっている

住職と話しをする機会を得た
今日は団体の参拝者が入るため堂内を開けたとのこと



内陣は撮影禁止だが、この撫で仏は許されるであろう






竹之内草庵
承元元年(1207年)専修念仏禁止の弾圧により、親鸞聖人は越後の国に流罪となった
国分寺住職は、聖人とは比叡山で同学の友で、国司に申し出て境内の五仏のそばに草庵を結んだ
その草庵は、竹林に囲まれていたので竹之内草庵と呼ばれるようになった



団体の参拝者の為なのか、この建物の戸も開放されていた
遠くから眺めていた親鸞像も近くで拝顔することができた



伝親鸞聖人坐像(上越市指定文化財)
聖人が関東に旅立たれる際、別れを惜しむ同行の心根を思い
国分寺の北にある鏡ヶ池に姿を映し刻まれたのが親鸞聖人坐像



親鸞聖人像



親鸞聖人御真筆の「南無阿弥陀仏」の石碑









三重塔(新潟県指定文化財)
上越地方では唯一残る塔
寛政6年(1794年)の焼失後の安政3年(1856年)に再建を着工
慶応元年(1865年)に棟上がされたが高欄等は未完成である






三重塔周辺の木々が生長し塔全体を撮ることが難しくなっている
ここはトイレ周辺からのもの






三体の石仏



六地蔵




親鸞聖人上陸の地
承元元年(1207年)専修念仏禁止の弾圧により、親鸞聖人は越後の国に流罪となった



階段を上ると、日本海が見えてくる



ここが、上陸の地とされる「居多ケ浜(こたがはま)」
およそ800年前の出来事である



この石段であるが6段になっている
「南無阿弥陀仏」の6文字を意識して造られた(3回唱える)



撮影 令和6年6月5日

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