今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

松心山 善光寺<堂森善光寺>(山形県米沢市万世町堂森山下375)

2024年03月29日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年10月12日

松心山 善光寺(堂森善光寺)
道の駅「米沢」の屋内にある大きな看板である
前田慶次は趣味だったパチンコ台「花の慶次」で随分愉しませてもらった
その後、NHKの歴史ドラマでも扱われ、毎週、視聴していた



道の駅近くに「天下の傾奇者(かぶきもの)」と称された前田慶次の供養塔が建立されているということを知った
上杉家には謙信を筆頭に直江兼続など魅力的な武将がいるが前田慶次もその一人だ



駐車場に車を駐め、周辺を散策する



案内板には寺の歴史が記されている
真言宗豊山派の寺院
伝承によると善光寺阿弥陀堂の別当として大同2年(807年)に開山されたとある



仁王門



仁王像
仁王像の前には細かな金網があり鳥類などの侵入を防いでいる
写真を撮る側としてはこれが難敵でいつも苦労している












手水鉢



仁王門の正面に見えるのが阿弥陀堂



阿弥陀堂へ向かう短い参道周辺の石仏





















十王堂



堂内の様子



扁額の文字が薄くて読み取ることができない






阿弥陀堂
建久3年(1192年)に長田庄司忠次の妹益王姫が中興、中世に入ると地頭職にあたる長井氏が庇護
現在の阿弥陀堂は、寛延3年(1750年)に建立された
入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、平入、桁行3間、梁間2間、正面3間軒唐破風向拝付









本尊:(善光寺式)阿弥陀三尊
   木造阿弥陀如来立像<見返り阿弥陀如来>(山形県指定文化財)像高50.8㎝



伝承によると
長田庄司忠次が源頼朝に敗れ、妹である益王姫は守護神である阿弥陀如来像を守る為、像を担いで出羽国まで逃れたが、頼朝軍に追いつかれた
姫は死を覚悟したが、阿弥陀如来像が急に後ろを振り返り敵軍を睨み付けると、兵は皆卒倒した事から姫は無事に危機を脱する事が出来た



姫は堂森に辿り着くと尼となり草庵を設けて後ろを向いたままの阿弥陀如来像を安置
その故事を聞いた人々は「見返り阿弥陀如来」として信仰の対象となった



前田慶次供養塔
堂森は前田利家の甥で「天下の傾奇者(かぶきもの)」と称された前田慶次の別邸「無苦庵」があった
実父は織田信長の重臣・滝川一益の一族だったとされるが、確証はない
上杉景勝や直江兼続との関係は深く、関ヶ原の戦いの後は上杉軍とともに米沢に移り、1612年に没したとされている



前田慶次供養塔碑文



前田慶次は奇怪な行動が多かったといわれている
「大ふへん者」と大書きされた旗を掲げて上杉の陣に参加したという



周囲の武士たちが「“大武辺者”とはずいぶん調子に乗っているじゃないか」と言うと
慶次は「そうじゃない、“大不便者”という意味だ!」と説明、人々をからかったという



隆慶一郎の小説「一夢庵風流記」などによって、慶次のイメージが形成された部分が大きいという
これを機に読んでみたいと思った






供養塔周辺の石仏






光明殿



光明殿前の石仏









本堂
明治28年(1895年)の再建



鐘楼






撮影 令和5年10月12日

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