今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

松島青龍山 瑞巌円福禅寺「瑞巌寺」(宮城県宮城郡松島町松島字町内)

2016年09月10日 | 神社・仏閣
日本三景・松島へは学生時代を含め、確か今回で4回目になる
震災後、どうなっているのか気になっていた
この日は平日にもかかわらず観光客で賑わっていた
駐車場も満車状態でかなり遠く離れた場所に駐めることになった

三聖堂(松島町指定文化財)
瑞巌寺へ向かう途中にある。
天和2年(1682)瑞巌寺101世鵬雲によって建てられた。方3間の素木造、屋根は宝形造で萱葺



堂内中央には聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから三聖堂という



「三聖堂」の扁額は創建者鵬雲の筆






御水主町の民家(松島町指定文化財)
御水主町(おかこまち)は瑞巌寺の東に隣接した一画。藩主等が松島遊覧の際に御座船を操った水主(かこ)衆が住んでいた



瑞巌寺
参道に杉並木があったが、東日本大震災の津波の被害に見舞われた
その後の塩害による立ち枯れにより、約300本が伐採されることになった



工事の人に話を聞くと山門の目の前まで津波がきていたという



この塔も心なしか錆が濃くなってきている感じがする



「延命地蔵」
文久3年(1863)鋳造。飢饉時の幼児保護などに勤めた117世中方明哉和尚の業績や長命にあやかったと伝えられている



庫裡(国宝)
境内工事中のため参拝順路が示されている。庫裡は禅宗寺院の台所



正面は千鳥破風の曲線、その下に唐草が彫刻されている



「光雲観音」
高村光雲作。宮城電鉄が松島まで延線、事業の発展と無事故を祈念して昭和2年(1927)に造られた



単層切妻造本瓦葺で、大屋根の上にさらに入母屋造の煙出をのせる



本堂(国宝)
本堂は平成21年9月より平成の大改修、平成28年4月5日より拝観を再開したということで、参拝者の賑わいも理解できた



堂内では外国人の僧侶が流暢な日本語で分かりやすく説明してくれる



庫裡と本堂以外は白いシートで覆われている。どうも耐震工事のようだ



松の上にセッコクが咲いているとの案内板があり、皆が見ているので私も
セッコクって何かとも知らず見上げていると、ランで樹木の幹に根を張ると誰かが話してくれた
その仲間のうちでも北限まで(日本の東北地方)生育する種がセッコク(中央の白い花)



法身窟
鎌倉中期(13世紀半ば)北条時頼が、臨済宗円福寺の開山となる法身性西と出会った場所といわれる
瑞巌寺にくるとここを訪れるのを楽しみにしている



鎮海・楊柳観音像
粘板岩の巨石に刻まれた2体の観音像が実に美しい
「鎮海観音像」 寛政12年(1800)の建立(左側の小さい方)



光の加減でうまく撮れないこともあるが、この日は運が良かった



「楊柳観音像」 文政6年(1823)の建立(右側の大きい方)



塩釜出身の小池曲江の模写。ここは参拝者の盲点になっているのか誰もこない



「六地蔵塔」 竿中央部の円盤を回すと、地蔵菩薩が六道を輪廻する未成佛霊を救済。



洞窟遺蹟群



洞窟内は塔婆・五輪塔・戒名等が無数に刻まれ、供養場として使用されていた



墓所ではないので、納骨はなく(例外有り)、供養者には岩手、山形等の人物も認められる



この観音様と目が合ったので撮ってみた



古来松島は「奥州の高野」と呼ばれ、亡き人の供養が営まれた場所



この案内板の通り、まだまだ復興途中。色々な思いを胸に「五大堂」へ向かう



撮影 平成28年5月23日

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