訪問日 令和4年5月30日
金光山 最勝院 国分寺<伊予国分寺>
四国八十八カ所第59番札所
真言律宗の寺院
天平13年、聖武天皇(在位724〜49年)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる
参道
鐘楼
正面に本殿
右に大師堂
大師堂
第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納
大師の弟子・真如(?〜862年)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている
薬壺
握手修行大師像
手水鉢
白皮松(三葉松)
現在の日中関係のような感じかな……
本堂
伊予国分寺は、悲運な災禍の歴史に見舞われる
天慶2年(939年)「藤原純友の乱」により灰燼に帰した
元暦元年(1184年)源平合戦の戦火による焼失
貞治3年(1364年)南北朝時代 讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれる
天正12年(1584年)長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失
本格的な復興は江戸時代後期からであった
寛政元年(1789年)に再建されたもの
本尊:薬師瑠璃光如来
「奉納額」には、安政2年(1855年)とある
門の前にベンチが置かれている
山号ではないし気になる
巡礼者のクループがきたので隣接している神社に移動した
春日神社(愛媛県今治市国分四丁目1番62号)
後冷泉天皇の永承5年(1050年)8月に国分寺第12世権大憎部雲海が国分寺の鎮守として春日神杜を勧請して寺内に杜殿を建立
城主加藤嘉明が、慶長16年(1611年)辛亥九月杜殿を再建
明治元年(1868年)4月、神仏分離の政令により合祀の仏体は別当国分寺に奉納した
狛犬
拝殿
本殿
祭神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比売大神(ひめのおほかみ)
石灯籠
社務所に駐車料金を支払う
本殿を後に駐車場に戻る
撮影日 令和4年5月30日
金光山 最勝院 国分寺<伊予国分寺>
四国八十八カ所第59番札所
真言律宗の寺院
天平13年、聖武天皇(在位724〜49年)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる
参道
鐘楼
正面に本殿
右に大師堂
大師堂
第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納
大師の弟子・真如(?〜862年)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている
薬壺
握手修行大師像
手水鉢
白皮松(三葉松)
現在の日中関係のような感じかな……
本堂
伊予国分寺は、悲運な災禍の歴史に見舞われる
天慶2年(939年)「藤原純友の乱」により灰燼に帰した
元暦元年(1184年)源平合戦の戦火による焼失
貞治3年(1364年)南北朝時代 讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれる
天正12年(1584年)長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失
本格的な復興は江戸時代後期からであった
寛政元年(1789年)に再建されたもの
本尊:薬師瑠璃光如来
「奉納額」には、安政2年(1855年)とある
門の前にベンチが置かれている
山号ではないし気になる
巡礼者のクループがきたので隣接している神社に移動した
春日神社(愛媛県今治市国分四丁目1番62号)
後冷泉天皇の永承5年(1050年)8月に国分寺第12世権大憎部雲海が国分寺の鎮守として春日神杜を勧請して寺内に杜殿を建立
城主加藤嘉明が、慶長16年(1611年)辛亥九月杜殿を再建
明治元年(1868年)4月、神仏分離の政令により合祀の仏体は別当国分寺に奉納した
狛犬
拝殿
本殿
祭神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比売大神(ひめのおほかみ)
石灯籠
社務所に駐車料金を支払う
本殿を後に駐車場に戻る
撮影日 令和4年5月30日
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